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”わたし”は存在するのか(本要約:〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義 – 2014/8/28)

人はなぜ過ちを犯すのか。

本来その行為を避けることができたにもかかわらず「敢えて」その行為を選択したことを非難するのが司法の世界。

哲学をやると「自由意志なんてものはあるのか」というのが一大論点だったりもします。古くはスピノザ、新しいところではアインシュタインが「自由意志なんてものは無い」と説いている。

「生まれか育ちか」という言葉があるが、20世紀前半は「脳は白紙である=可塑性がある」という考えが主流だった。

しかし、その後後天的な要因や経験に左右される、と通説は変化してきた。 脳では言語野・運動野・海馬・後頭連合野など、それぞれが自動的に処理を行なっている。

”私”はそれぞれの機能を個別に解析したり、意識することはできない。脳の別の領域に伝えられるのはその結果だけで過程は省かれる。
このように特定の仕事をする局所的で専門的な回路をモジュールと呼ぶ。

では、それほど局所化が進んでいるのに人間はあたかも一つの統一体として機能しているのはなぜなのか。

実は脳は二つの意識的システムに分かれるのではなく複数のダイナミックなシステムの集まりと考えられている。
脳は汎用コンピュータではなく、脳全体に専用回路が配置され並列処理を行っている。この回路網が無意識レベルで様々な処理を並列で行っているが、それを統括している「本部」は存在しないようだ。

重度のてんかん患者の治療として、この脳梁を切断する手術がある。左右の脳を分離することで、てんかんの発作が脳全体に広がることを防ぐという治療だ。意外にも患者は手術後、特に問題なく日常生活を送ることができる。

しかし脳梁がないため、左右の脳同士が情報をやり取りできなくなる。このような特殊なケースの患者にある実験をすると、驚くべきことがわかる。
特殊な装置を使って、患者の左視野、つまり右脳にだけ「雪景色」の写真を見せる。そして患者の右視野、つまり左脳にだけ「ニワトリ」の写真を見せる。

左右の脳が分離しているため、どちらかの脳にだけ特定の写真を見せる、ということができるというわけだ。

そして、用意した数枚の絵の中から、見た写真に関係するものを選んでもらう。すると「ニワトリ」を見せられた患者の左脳は、左脳につながっている右手で「ニワトリ」の絵を選んだ。

次に「雪景色」を見せられた患者の右脳は、右脳につながっている左手で「スコップ」の絵を選んだ。雪かきをするためのスコップを選んだのだろう。 実験者は患者に「なぜスコップの絵を選んだのですか?」と質問する。すると患者は、理由を言葉で答えようとする。

しかしここで患者の脳内で大問題が起きる。

理由を答えるためには言葉を使う必要がある。

言葉は「左脳」でしか使うことができない。

そのため「左脳」が質問に答えようとする。しかし困ったことに「雪景色」の写真を見て、「スコップ」の絵を選んだのは「右脳」です。

「左脳」ではない。

そのため「左脳」は、「スコップ」を選んだ理由がわからない。

普通の人は左右の脳が脳梁でつながっているので、右脳の情報が左脳に伝わり、なぜ右脳がスコップを選んだのかを左脳が理解し、答えることがでる。

しかし分離脳患者は、左脳と右脳で情報のやりとりができないため、「右脳」が「スコップ」を選んだ理由を「左脳」が知ることはできない。

しかし、この絶対に答えられないはずの質問に対して、患者の「左脳」は平然とこう答えた。

「ニワトリ小屋を掃除するためにスコップを選びました」 これは完全に「左脳」のでっち上げです。

スコップを選んだ本当の理由は、「右脳」が「雪景色」の写真を見て雪かきを連想したからです。しかし患者本人はまったく嘘をついたとは思っていない。

本気でニワトリ小屋の掃除のために、スコップを選んだと思いこんでいるのです。 「左脳」は「右脳」が「スコップ」を選んだ結果を見て、ニワトリ→ニワトリ小屋の掃除→スコップ、と瞬時にこじつけ、理由を後から作ってしまったのです。

そして後から作ったとは思わず、始めから「わたし」の判断で、ニワトリ小屋の掃除のためにスコップを選んだのだ、と思いこむのです。

他にも同じような実験がいくつか行われ、同様の結果が得られた。

その結果からガザニガは、 「左脳には自分の活動を観察し、つじつまが合うように物語を作り上げる”意味解釈機能”がある」 と結論づけた。

ということで、脳(並列分散型のシステム)から生まれる行動・情動・思考に理由付けを行う「インタープリター」と呼ばれる機能の存在が確認されたのです。

ちなみにこのインタプリターは左半球に存在します。インタープリターが私たちの記憶、知覚、行動とその関係についての説明を考え出しているのです。

仮説を立てようとするその衝動が人間の様々な信念を生み出す原動力となっているのです。

私たちは指を曲げようと意識してから脳の運動野に指令を発し指を動かしているように感じていますが、実は意識よりも運動野からの信号の方が早いことが証明されています。

意識・意志があるように錯覚しているが、これはインタープリターによる後付けにすぎないのかもしれない。

こう考えると、ChatGPTにインタープリターモジュールがインストールされると人間と区別がつかなくなってしまうかもしれない。

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義 単行本 – 2014/8/28


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