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優秀な人材と資本主義の距離感

資本主義という資本という1つの物差しで評価し「株式会社が儲かることをしていれば社会は良くなる」みたいな構造の綻びはどんどん露呈している。

物質的な豊かさを享受することが資本主義の役目であった場合、その役割は終焉を迎えているのではないか。

資本という単一的な物差しでは小さな問題は置き去りにされ、解決が難しく、解決に膨大な資本が必要となる問題も先送りにされる(Ex.環境問題)。

物質的にある程度豊かになったにも関わらず、資本のために市民が使われているという逆説的な状況になっているのではないか。

かといって、世界の経済成長率は年々右肩下がりになっている。 産業革命でエネルギー的に豊かになり、AI革命で情報的にも益々豊かにはなるだろう。

しかし、精神的・文化的な豊かさは享受できただろうか? 質量ある人間である以上、我々は社会を形成して生身の人間として生きていく。

人間が対峙すべき問題とは精神的・文化的な豊かさをどう取り戻していくか、ということなのではないか?

文学部を廃止にするという愚行は象徴的だなと思う。

かといってそう簡単には資本主義は止まらない。

資本主義の枠組みの中で、オルタナティブを提示し、同じ志をもつ仲間と地方から、クリティカルビジネスを始めていきたい。

そこから「この活動いいね」というアクティビストを増やしていく。 そのためには、優秀な人材がひたすら株式会社の幹部になったり、ザ・資本主義なベンチャーを起業するみたいな、理性で考えたら、矛盾しているこの世間の潮流もなんとかしたい。

社会善のために活動する方が、よっぽど豊かに暮らせるのではないか?

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