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"親愛なる父"

「投げるぞ~取れよ! ほいっ」

投げられたボールは重力のまま
まっすぐ土の上へと落ちる。

「…は?」
父に向けられたその一言と疑問のクエスチョンの
二文字で不満を表しているのは
小学生のわたしだ。

その日は父に誘われるがまま
キャッチボールをするぞ。
ということになり
あまり気乗りしないわたしを
半ば強引に公園へと誘い出したのだ。

気乗りしない理由は面倒くさいわけではなかった。
父との遊びは少し変わっていたので
嫌気が差しているのだ。

親子のキャッチボールといえば
向かい合い、程よく離れて
ボールを投げ合いながら
夢を語るというのが理想的
ドラマチックだ。

我が家のキャッチボールは
どちらも同じ方向を向く。
父はわたしの背中から放たれた
ボールをわたしが瞬時に反応し、
落ちる前にキャッチするという
ものだった。意味不明だった。

ちなみに野球にはまったく縁はない。

めずらしく
父が勉強を教えてくれるというのだ。
父は当時のパソコンはなくワープロで
仕事をしながらわたしがテキストを
解いていくのだが
父は一向に教えてはくれないのだ。

「なんや、こんな問題もわからんのか。」
恐らく教えるまでもないという
判断だったのかもしれない。

そう言い放つ父を尻目に
黙り座り続けた。
テキストは進むことはなく
宿題がおわることはなかった。

海外出張のおみやげは
シンガポールの夜景が一時間写し出される
だけのビデオ。
マーライオンを模した金属製のつまようじ。
当時小学生だったわたしには意味不明だった。

海水浴にいったときのことだった
これもまた気乗りしない。
砂場で遊べば海中へ投げ飛ばされ
泳げば足の届かないところまで
連れていかれ泳いで戻るのだ。
決して虐待ではないのだが
それがわたしにとって海水浴での
ふつうの遊び方になった。

おかげさまで友人たちはわたしを
海水浴へは誘うことはなくなった。
投げ飛ばされるからだ。

そんな父とは今も大変仲がよい。

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