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こころにうつりゆくよしなしごと | "Nonsensical thought…

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こころにうつりゆくよしなしごと | "Nonsensical thoughts that have entered my head." | Website: https://hirari.themedia.jp

最近の記事

再訪の鎌倉 エピローグ 〜 「いつか絶対にまた出会うから」

一応、こちらの続きです。 7年半前の旅行記はこちらからお読みになれます。 定時で職場を後にした私の手に提げるのは、 やはり、テイクアウトしたかかんの麻婆豆腐丼。 向かう先は鎌倉ゲストハウスである。 「また来ちゃいました」 へへへ、と12月29日の閉業を前にチェックインを済ませる。 泊まりに来るのは1ヶ月ぶり、その前は7年半ぶりだ。 実家のようだ、と誰かが言った。 そんな今宵の鎌倉ゲストハウスは“たこ焼きパーティー”である。 炬燵の卓上には無数の皿。 そこに

    • 再訪の鎌倉 下 〜 あれからずっと私は「旅」というものに魅せられたままである。

      こちらの続きです。 7年半前の旅行記はこちらからお読みになれます。 7年前の3月、3年続いた浪人を終えようとしていた若者は、大学生になる前に鎌倉へと旅に出た。 その旅が始まったのは、源氏山で遭難しかけた時か、 長谷駅で江ノ電を降りて鎌倉の地を踏んだ時か、車窓から湘南の海を見た時か、 藤沢駅であの濃いグリーンの小さな車体に乗り込んだ時か。 はたまた、ぎゅうぎゅうの荷物を抱えて自分の部屋を出た時か。 あの旅は、3日目の夜、渋谷の空を見上げたあの時に終えたと思っていたが、

      • 再訪の鎌倉 上 〜 多種多様な点を結び、縁を紡ぐ鎌倉ゲストハウス。

        こちらの続きです。 7年半前に訪れた時の記録はこちらから。 鎌倉で最初期に生まれた安く泊まれるゲストハウス形式の宿 鎌倉ゲストハウスは古民家を改装して作られた宿だ。 今でこそ鎌倉には、江ノ島、長谷、鎌倉駅周辺、その他にも数多くのゲストハウスがあるが、宿泊をするにしても食事をするにしても何かと高くつく鎌倉において、最初期に生まれた安く泊まれるゲストハウス形式の宿がここであった。 冬には座敷に炬燵が出され、綺麗に整備された囲炉裏に火が灯るのが大きな特徴であり、それらは魅

        • 再訪の鎌倉 プロローグ 〜 「今日、定時で帰ります!!」

          この7年半後の旅行記です。 2015年3月、あの夜は雨が降っていた。 日はとっくに沈んでいて、既にあたりは真っ暗だった。 傘をさして歩いた、湘南深沢駅から鎌倉ゲストハウスへの道のりはその天気も相まって随分と暗く寂しい場所だと思ったものだ。 右手には幅の狭い川が流れていて、街灯もまばらで、当時ネット環境を絶っていた私は、この道で合っているのか、という不安な気持ちを胸に歩みを進めたことを思い出した。 - - - - - - - - - - 2022年11月4日、先月宿

        再訪の鎌倉 エピローグ 〜 「いつか絶対にまた出会うから」

          鎌倉 3 〜 都会の喧騒の中、今回の小さな旅を思い出す。耳の奥には、まだ…

          この投稿は2022年12月4日にAmebaで公開した記事の再掲となります。 こちらの続きです。 昨日見た夕日が幻だったかのように、次の日の夜に私は雨が降る夜の渋谷にいた。 夜9時のスクランブル交差点、進むことを拒むかのように、パラパラと雨が降っている。 都会の喧騒の中、今回の小さな旅を思い出す。 耳の奥には、まだ波の音が響いているような気がした。 3日目の鎌倉、今日が最終日だ。 朝、私に鎌倉の夕日のことを教えてくれたスタッフの女性に夕日のことを報告する。 最高

          鎌倉 3 〜 都会の喧騒の中、今回の小さな旅を思い出す。耳の奥には、まだ…

          鎌倉 2 〜 今日は朝から幸先がいい。そう感じられるような光景だった。

          この投稿は2022年12月3日にAmebaで公開した記事の再掲となります。 こちらの続きです。 2日目の鎌倉は快晴である。 朝、予定通りの時間に宿で借りた自転車のペダルに足を掛ける。 前日はあいにくの空模様であったが、それが功を奏してか、素晴らしく、幻想的な光景に出会えた幸運があった。 北鎌倉駅から横須賀線で1駅、大船駅で夕食を済ませ、宿へ向かう。 私が予約していた宿は「ゲストハウス」という形態のものだ。 個室ではないし、食事やサービスが充実したような宿泊施設で

          鎌倉 2 〜 今日は朝から幸先がいい。そう感じられるような光景だった。

          鎌倉 1 〜 「あんた、一人で旅でもしてきたら」

          この投稿は2022年12月2日にAmebaで公開した記事の再掲となります。 始まりは母の一言からだった。 「あんた、一人で旅でもしてきたら」 2015年3月、三浪の末、志望校に落ちた。 そのことを引き摺っていた私に母がその言葉をかけた。 それも良いかもしれない。 長らく旅行などしていなかったが、ずっと京都に行きたい、そこに住みたいと高校生の頃から考えていた。 しかし、浪人生をしながら働いていたとはいえ、そこでの稼ぎの大半は受験の費用に費やしていて、残りの貯金額は

          鎌倉 1 〜 「あんた、一人で旅でもしてきたら」

          未成年

          この投稿は2020年10月3日にAmebaで公開した記事の再掲となります。 - - - - - - - - - - the GazettEには高校1年生のときに出会った。 当時も今も、私はX JAPANが好きであり、私にとっての音楽はX JAPANから始まったので、the GazettEの音楽は幾分か安っぽく聴こえた。 今はそうは思わないが当時の私にとっては、 どれだけ激しいか、どれだけ速いか、どれだけ音の数が多いか、どれだけそのバンドの生き様が格好いいか、それが大

          あの日から13年目の春が来る(3)|全部なくなっちゃったけど、やっぱりここは故郷なんだよな。

          この投稿は2023年5月4〜5日に書き置いたものをnoteを通して公開したもので、こちらの続きになります。 - - - - - - - - - - 東日本大震災という過去と共に力強く生きる松島、石巻、気仙沼の人々 この旅では松島、石巻、そしてこの後に気仙沼にも足を運んだ。 共通することは、被災した方々は皆、東日本大震災という過去と共に力強く生きているということだった。 あの苦しい過去を捨て去らないという選択をしてくれたから、私達はあの日の記憶を知ることができる。 で

          あの日から13年目の春が来る(3)|全部なくなっちゃったけど、やっぱりここは故郷なんだよな。

          あの日から13年目の春が来る(2)|被災者“ではない”私達は、どんな意識でいるべきなのでしょうか?

          この投稿は2023年5月4〜5日に書き置いたものをnoteを通して公開したもので、こちらの続きになります。 - - - - - - - - - - 日和山に登って石巻市沿岸部を見渡す。 沿岸部の地域と、旧北上川に沿っての地域は特に津波の被害が酷かった。 7年前に訪れた際、その頃はGoogleマップが機能しておらず、道が道ではない所を示していた。 まだ区画整理の途中だったからだ。 一面が荒れ地といった状況で、盛り土をしたり復興市営住宅を建てている途中だったりした。 「

          あの日から13年目の春が来る(2)|被災者“ではない”私達は、どんな意識でいるべきなのでしょうか?

          あの日から13年目の春が来る(1) | あの日に生まれた子供たちは、もうすぐ中学校2年生になる。

          この投稿は2023年5月3日に書き置いたものをnoteを通して公開したものです。 - - - - - - - - - - 7年ぶりに訪れる松島は賑わっていた。 3年ぶりのGWの賑わいに、遊覧船の船達は、やっぱりGWはこうじゃなくちゃ、と笑みを溢していた。 仙台藩主伊達家の菩提寺である瑞巌寺。 鬱蒼と茂った杉の森を貫くように作られた参道。 この杉並木は津波による塩害で甚大な被害を受けたが、現在は整備され、開けた明るい参道になっていた。 生き残った杉とは別に、伐採して

          あの日から13年目の春が来る(1) | あの日に生まれた子供たちは、もうすぐ中学校2年生になる。