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鎌倉 1 〜 「あんた、一人で旅でもしてきたら」

この投稿は2022年12月2日にAmebaで公開した記事の再掲となります。



始まりは母の一言からだった。

「あんた、一人で旅でもしてきたら」

2015年3月、三浪の末、志望校に落ちた。

そのことを引き摺っていた私に母がその言葉をかけた。

それも良いかもしれない。

長らく旅行などしていなかったが、ずっと京都に行きたい、そこに住みたいと高校生の頃から考えていた。

しかし、浪人生をしながら働いていたとはいえ、そこでの稼ぎの大半は受験の費用に費やしていて、残りの貯金額は心許なかった。

京都にはいけない。どうしようか。

そこで思いついたのが、京都と同じく古都である、鎌倉だった。

鎌倉ならば、私の家から1時間程で行くことができる。

こうして始まった、鎌倉への小さな一人旅は、今の私にとっては非常に大きな意味を持つものとなった。

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鎌倉への一人旅


2015年3月15日の朝、天気はあいにくの曇り空。

旅行かばんとしては不釣り合いにも思う、派手なボストンバッグに着替えや日用品などを無理やり詰め込んで、私は家を出た。

この旅行に当たって、私は入念な計画を立てた。

その時、私は携帯電話の契約を解除していた。

厳密に言えば、通話はできるがネットには繋げられない契約にしていた。

三浪目の受験をするにあたって、自分で決めたことだ。

誘惑を絶とうとする意味合いがあった。

そのため、旅先でネットの情報に頼ることはできない。

万全には万全を期すつもりで、何時の電車に乗り、何分歩いてどこへ行き、そこに何分滞在するかまでを記載した、旅のしおりを持参しての旅だった。

まるで小学生みたいだ。

1日目は、長谷で観音像や大仏を見た後、源氏山のハイキングコースへ足を踏み入れた。

ハイキングコースとはいえ、そこそこしっかりとした山道で、受験で鈍った身体にはキツかった。

だが、久しぶりに体感する自然の空気に心は踊っていた。

地元では聞くことのないような鳥や動物の鳴き声を聞きながら歩みを進める。

源氏山のリス。どんぐりを探していた。

都会からそう遠くない鎌倉で、ここまでの自然があることに感動もしていた。

これは私の悪い癖でもあるが、旅先では沢山の物を見ようとする。

佐助稲荷神社の赤鳥居が並ぶ参道

この旅ではそれが遺憾なく発揮され、度々ハイキングコースから外れて、銭洗弁天や佐助稲荷神社などに寄り道した。

佐助稲荷の奥の寄進された祠や狐様達

そのため、当初の計画からは大幅に遅れが生じては、早足でハイキングコースを駆けるということを繰り返していた。

だが、そうしているうちに、運の悪いことに雨が降り出した。

源氏山のハイキングコース

ハイキングコースとはいえ、ここは山道である。

そして、私の靴は履き古したスニーカーである。

靴底のグリップは弱っていて、雨に濡れた土や木の上ではよく滑る。

足を滑らすとそこそこ危険な様子の細い山道を内心ではヒヤヒヤしながら進んだ。

辺りも暗くなってきた。

もちろん街灯などはどこにも無い。

「すみません、源氏山で遭難してしまって、自分がどこにいるか分からないんです」

そんな間抜けな119番通報だけはどうしても避けたかった。

「それ、鎌倉の話だよね!?」

この後出会う宿のスタッフの女性には、そう笑われたが、鎌倉の話である。

本気で神に祈りながら山道を進んだ。

北鎌倉が近づいてきたところ

そうしているうちに、やっとこさ平らな道が続くようになり、道幅の広い緩やかな下り坂が現れ始め、コンクリートの道路が見えてきたときには漸く安心できた。

北鎌倉に辿り着いたときには、辺りは薄暗くなっていた。

苔むした門

北鎌倉は鎌倉駅から横須賀線で1駅。

鎌倉五山に数えられる円覚寺や建長寺、竹林で有名な明月院に程近く、ここも関東の一大観光地、鎌倉を構成する場所の一つである。

とはいえ、商店街などが広がる場所ではなく、寺の閉門時間も過ぎれば人通りは疎らで、完全な住宅街と化す。

私がここに辿り着いたときには観光客など皆無で、雨が降っていることもあり物音はなく、鎌倉山を構成する木々の葉に当たる雨音だけが響いていた。

その雨の影響もあってか、空を仰ぐと薄霧が出ているかのようだった。

源氏山ハイキングコースの終点であり、北鎌倉側の起点が見えてきた。浄智寺である。

浄智寺の参道 霧がかった様子が美しい

浄智寺は静かに、そして確りとそこに存在していた。

山門へと続く階段の手前の、俗世との結界のように作られた綺麗な水を湛えた小さな池には、小さな石組みの橋がかけられていた。

その橋にもまた青々とした若竹の結界がかけられ、まるで何者の聖域への侵入も拒むようだった。

雨が降っていた。遠くに見える山門には霧がかかっていた。

薄いまどろみの中に、時が止まったかのように、浄智寺の山門は確かにそこにあった。

辺りには僅かな雨音と、鎌倉山が育む水を湛える小さな池の水音だけが響いている。

人も動物の気配すらも感じない。

ここには、もう自分しか存在していないのではないか、そんな思いをするような場所だった。

だが、暫くすると、私の後方から自動車の音がする。

宿へ、急がねば。私は北鎌倉駅へと歩を進める。

浄智寺の山門


こちらに続きます。

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