たまには短めに書いてみようか。なんつって。

20歳のちょうど今ぐらいの季節に僕は上京した。時の流れは早いものであれからもう14年経ってしまった。

下高井戸駅を降りて5分ほど歩いたところにあるアパートが僕の住処だった。甲州街道と京王線に挟まれたその木造アパートは、とてもレトロで、汚くて、良い意味でも悪い意味でも味があった。

六畳一間の和室はイグサの香りが懐かしくて、僕は気に入っていた。部屋には布団が一組と、コタツテーブルと、座椅子と、ブラウン管の小さなテレビが所広(ところひろ)しと点在していた。狭い部屋でも物が少ないとガランとしてしまうらしかった。

僕の部屋で一番高価なものはノートパソコンだった。なんの根拠もないのだけれど、僕は自分が小説家になれると信じていた。そして、そのノートパソコンが僕の仕事場だと思いこんでいた。

上京したばかりの時、なんの手違いか田舎から彼女がついてきてしまった。そして、そのままこの狭い部屋で僕たちは同棲生活をしていた。でも、その生活は長くは続かなかった。

その辺の内容は前に「ゲゲゲと遭遇」って題名でnoteに書いたから割愛するが、とにかくその年の11月に、正直な話あまり仔細には覚えてないのだけれど、僕たちは別れた。

なんとなく、その瞬間はホッとしたことを覚えている。でも、それは本当に別れた瞬間だけのことだった。

2年半の付き合いで、常に一緒にいた女性との別れは、想像の何倍もの喪失感だった。僕はその時に初めて寂しいと心から思った。僕の人生において、後にも先にも、これほどの寂しいという感情は湧いてこない。それほど、僕はただ寂しかった。

言葉にできない寂しさは、当然文章にもできなかった。なんの根拠もなく小説家になるつもりだったのに、僕はその寂しさすら文章にできなかった。暗い部屋でパソコンの画面をただ眺めていた。なにを書いたらいいのかも分からず、なぜか涙は出なかったのだけど、ただ寂しいと思いながら、パソコンの画面を見ていた。

辞めていたはずのタバコを買って吸ってみた。あまり好きでもない酒を買って飲んでみた。僕は、はっきり断言できる。この時から僕は手のつけられないほどの酒飲みへと堕ちていった。

時間がただ過ぎる。長いと思っていた夜が意外と短いと知った。窓の外が薄明るくなってくる。東雲の空を見てまた寂しいと思った。

ただ不思議と心は病まなかった。ただ、ただ寂しくて、辛くて、時間だけが過ぎるのだけど、別に眠らなくても仕事には行っていたし、職場の同僚や、友達の前でも笑っていられた。眠る時間が減っただけだった。

親に会いたいとも思わなかったし、故郷に帰りたいとも思わなかった。毎日3時間くらいしか眠れないのだけれども、それはそれで特に問題はなかった。

寂しさに慣れることは遂になかった。辛さが和らぐことも遂になかった。忘れるほどバカでもなかった。その度に思い出すほどの真面目さもなかった。ただ、いつの間にか、そういうことに無関心でいることを覚えた。

消えることも、癒えることも、増えることも、減ることもない、そういう事には無関心でいて、他のことに取り組むことが一番楽だった。

特にやりたい仕事でもなかったけど、全力で取り組んだ。それ位しかなかったから。何もかも満たされていて、何とでもなると思っていた人生なんて勘違いで、目の前にあることは、そこから見える範囲にあるものだけだった。

病めるほど自分を惨めだと思えなかったんだと思う。元々、自己肯定感なんて皆無だったから。何もかも無くしてしまったような気になっても、よく考えてみたら何も最初から持ってないとすぐに気づいた。

同情という愛情からかけ離れたものを他人にかけられるなんて、吐き気がした。言葉なんかどんなに繕って貰ったところで、なんの慰みにもならない。そんなことで薄れる寂しさなんて、自己陶酔でしかない。

僕は本当に寂しいんだ。それは、この先もずっと寂しいと分かっているから感じているんだ。三島由紀夫が老いて朽ち果てていく肉体そのものを病気と書いた意味がよくわかった。逃れられない事実を目の前にしたら、ヒトはそれを受け入れることしか出来ない。

病んで抗って、泣いて抗って、仕事を休んで抗って、他人に傷ついたと表明して抗って、他人からの慰みで自己肯定して、同情されて自己陶酔して、もしかしたら、こうして抗えることが本当の健康ではないのか。抗うことはどこまでも健やかだと思う。

そんなことを思っていても、結局20歳の僕は何も書けなかった。ノートパソコンは暗い部屋で、ただ僕の顔を照らして、立ち登るタバコの煙りを照らし、部屋は靄がかかったみたいに重苦しかった。

あの頃の自分は、本当に何もなくて、ただ寂しかったのだと思う。そして、今もその寂しさは普遍であるけど、どうやら僕はそれに対して、更にハッキリと無関心でいることを覚えたようだ。


なんだか、短く書こうとすると全く話が散々としてしまう。でも、これが何かを思い出すってことなんだなと思う。深夜の一時に僕は何となく思い出した。14年前を。

あれから、だいぶ時が経った。何も変わらず、ただ時間だけが過ぎた。


おわり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?