川瀬結弦

小説を書いています。

川瀬結弦

小説を書いています。

最近の記事

花弁の輪郭

2024年4月執筆  春雷の翌日、残った雫は涙のように乾いて消えた。  北柏ふるさと公園は、対岸にもある別の公園とは趣を異にして、大人たちの姿が目立った。春はただ過ぎ去りつつあり、そこに在るだけの人びとは時間を感じることしかできないでいる。  栄養を奪い合わないように、等間隔で植えられた桜の木々は花弁を散らしている。花弁たちはありきたりな雪のように見えた。そこに感情の対応物は存在しない。それは人々の心の中で明滅しているだけである。  植え込みには、わざとらしくチューリップ

    • 残照

      2022年9月執筆  概念はいつも人間が作り出すまやかしである。形而上的なものであり、ふわふわとしてつかみどころのない考えのまとまりだ。我々が生み出した概念の中でも一番つかみどころがないのは「自己」であるといえる。なぜなら僕たちはいつも変わり続ける存在だからだ。永遠とまでもいわずとも、僕たちは現状維持のまま緩やかで間延びのした幸せが続いたら、どんなにか安らかに今日を眠ることができるだろうと想像する。  自己への憧れはいくつかあるだろう。僕が考えるのは「完成」したものへの憧れ

      • 東尋坊

        2022年3月執筆  目まぐるしく気温が上下する3月の初旬、私は高校時代の友人Kと福井駅で待ち合わせていた。何度か会う約束はしていたものの、結局高校を卒業して二年も経ってしまっている。世の中は戦争が起き、流行病の勢いもいまだ冷めやらぬ中、我々は二年の時を超えて会うのである。それもただ会うのではない。二人して旅に出かけようというのだ。  私はその時分、所属している団体でやるべき仕事が山積していた。そして友人もバスケットボールサークルの代表を務めて、バイトの掛け持ちをしてい

        • 睨みの木

          2021年9月執筆  小学校の頃の記憶を思い出してみると、幼い私の世界は不思議であふれていたように思う。とりわけその不思議が取り沙汰されるのは学校の怪談についてである。トイレの花子さん、真夜中の学校を徘徊する人体模型、こちらを見つめる音楽室の肖像画。そういったものはどんな学校にも存在するし、またいつの時代も小学生を恐怖させ、魅了し続けるものである。しかし、年を経る毎にそのような不思議は無知ゆえの幻想であったと悟り、我々はつまらない日常に埋没していくのである。  毎日同じよ

          或る不安

          2021年3月執筆  履歴書に書いた字が滲んでいたらどうしようか、そんなことを考えるくらいには私は世間との心配事の視点が変わっているのだろう。これは一種脳天気ともいえるような性格を魂に灯しているものだと感ずる時もあるが、私はいつもこのような心配事が絶えなかった。  家が近いからという理由が決め手のレストランのバイト面接では君はもったいないなと言われた。いったい何がもったいないのだ。私は今までさんざん時間を浪費してきてやっとの思いで仕事に就こうと思ったのに。下手に経済学

          或る不安