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花弁の輪郭

2024年4月執筆

 春雷の翌日、残った雫は涙のように乾いて消えた。
 北柏ふるさと公園は、対岸にもある別の公園とは趣を異にして、大人たちの姿が目立った。春はただ過ぎ去りつつあり、そこに在るだけの人びとは時間を感じることしかできないでいる。
 栄養を奪い合わないように、等間隔で植えられた桜の木々は花弁を散らしている。花弁たちはありきたりな雪のように見えた。そこに感情の対応物は存在しない。それは人々の心の中で明滅しているだけである。

 植え込みには、わざとらしくチューリップ、ルリカラクサ、ネモフィラ、パンジーが整列している。ミツバチのように大きな羽虫が花の周りをゆっくりと飛びながら、一輪のルリカラクサにとまって、動かなくなった。
 公園は利根川水系の一つである手賀沼を少し囲むようにした楕円形をしている。芝生、低木、砂利道のパターンで仕切られており、空から見れば一本の道が公園を横切っている。
 対岸の子供連れが多い公園とは対照的に、程々な気持ちの高揚で済まさなければならない大人たちはストレッチや軽いランニングをしたり、あるいは、トラス構造をした鋼鉄の送電塔に寄りかかって休んだりしている。
 手賀沼沿いに公園の一本道をゆっくりと歩く。分岐した道を曲がると、芝生でも低木でも砂利道でもなく、湿った地面の広場に出る。木々が作り出すモザイク画のような木陰と、そこから漏れ出す光が広場全体に投影されている。湖と地面の境目には、グレーに塗られた鉄製の柵が設置されている。そこから三歩ほど離れたところで四人ぐらいの男性が、大きなカメラを構えて何かを撮ろうとしている。何を撮っているのか聞いたが、返答はなかった。
 カメラの視線の先では黒色の丸い形をした水鳥が、小さな干潟で餌を探っていた。時々、少し甲高い、奇妙な鳴き声を発する不快な習性があったが、濃い緑色を讃えるこのビオトープにおいては不思議と調和を保つ要素の一つになっているようだった。

 少し時間が経ち、広場を後にする。広場から続く道では、湿地帯を近くで見たいという人々の希望に応えるために木道が設置されていた。人間が二人通れるくらいの道で、景色を見ながら歩くと、すこし性格のゆったりした人によっては落ちてしまうかもしれない。
 木道も中頃に差し掛かった時、あることに気づいた。それは、公園の入り口にあんなにも植えてあった桜の木が、ここには全く見当たらないことだ。湿地の広場を抜けてからというもの、空気が停滞している。桜の木々が見当たらなくなることで、私は漸く、今が桜の季節であるということを強く感覚した。

 白いピンク色の花弁は、人々に様々な感情を呼び起こす契機を提供する。しかし、そこにはっきりとした対応物は無い。つまり、その時の心の置き方によって桜がどのように見えるかはまったく異なってくる。では、当時の私が桜をどのように感じていたのかと言うと、それは良くわからない。儚さや綺麗さ、そしてこれからの始まりと別れを象徴しているという記号性を理解していながらも、はっきりとその記号性を首肯することができないもどかしさを感じていた。そこまで表現したところで言葉が尽きてしまう。
 その感情は人を焦燥感に駆らせる。まるで人生はヴェートーベンが表現するところの『運命』であると断言する教師のように、である。しかし、私にはその感情をどうにもいなす為の術がない。深緑色のモザイク画の中で迷子になってしまった私は、どうにかこの絵画の石片やインクとなって、周りと融けだしてしまうことができないかと考えた。

 木道は阿弥陀くじのように複雑な分岐を見せる。私はインクとなってあの曖昧な集合体になって見せたいのだが、彼らは曖昧なようでいて、実は決まりきったパターンと例示の積み重ねでしかない。私はそのパターンで何かを認識することを、もう、一切やめてしまいたいのに。
 阿弥陀くじから枝木のように飛び出した、ある分岐の先は、しっかりとした地面の小道に続いていた。小道は人が何度も通ったことでできたような道だった。両脇には人の背丈ほどの高さから、三メートルほどはありそうな、バラ科の植物や葦、アオキ、マルバノキといった様々な植物が取り囲んでいる。これらの木々は互いに分け合うようにして、太陽の光が地面まで届くように生長している。そのため、私は植物たちに取り囲まれながらも、周りの明るさによって世界の具体性を徐々に取り戻すことができるようになっていた。
 数分歩くと木立を抜けた。ここが公園の一部なのか、そうではないのか、もはや分からないところまで私は来てしまっているようだった。

 目の前には手賀沼がまっすぐに伸びていた。さざ波がさわさわと立ちながら、手賀川を抜けてコンクリートの橋を潜り抜け、そのはるか彼方で利根川に合流しようとしているところまで見渡すことができた。右手の奥の方には日に焼けたレンガ造りの北千葉導水センターと、その傍には一棟の展望台が建っている。きっと、あの展望台にいる人は、私のことを見つけることができないだろう。
 視線を手前の水辺に戻すと、いくつも木の杭が打ち込まれており、その上には無造作に、人がやっと一人寝転がることができるくらいの木製の集成板が敷かれている。どうやら船着き場の様である。
 船着き場のすぐ傍にラミネート加工がなされた紙の看板が張り出されていた。ラミネート加工は風雨に晒されたせいで、赤字の部分がオレンジ色に滲んで不自然な染みを作っていた。看板には次のように警告がなされていた。

―この工作物は、河川法の許可を得ない不法工作物です。この工作物の所有者または設置者は、速やかに撤去してください―

 そうした船着き場が三つほどある。きっとここで釣りをしようと考えた釣り人が勝手に作り上げたものだろう。最も大きなものには実際に、古びて浸水しかかったボートが結びつけてある。劣化が激しいボートは何も語らないで、誰かを待ち続けているようであった。
 船着き場の上に立ってみようと足を踏み出すと、木の杭がぐらついて平衡を強いた。私は少しの恐怖を感じながらもその上に立った。やっと体を安定させると、手賀沼の方からニットの網目をすり抜けて少し強い風が私の体を洗っていった。

 理屈っぽく言うなら、私の立っている場所はほんの少しだけ地面から離れた水の上である。誰かが作ったこの船着き場に私は立つことで、やっと世界の一部から本当に抜け出すことができたように思えた。

 世界のはずれで、私はあるパラレルな情景を思い浮かべた。それはフランシス・デ・ゴヤの描いた『巨人』である。モノクロで描かれ、世界の終りの縁に座る巨人は何かに、おそらく実体のない何かに憂いを含んだ視線を注いでいる。その視線は何か特定の物を見ているのではなく、「世界」そのものに注がれているに違いない。

 私もまた外縁から世界を眺望する。そして、眼を見開いた。世界はもうモザイク画ではなくなっていた。
 桜の花弁が風に乗って、ここまで来ていた。そして私を越えて海の方へ向かっていった。その一つの一つの輪郭は、ただの例示された象徴的な花弁ではなかった。私と出会い、散っていくのではあるが、すべてが独立した確かな存在であった。
 私は、心の中に、花弁たちの輪郭を一つ一つ留めおきながら、春が過ぎていくのを見守った。

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