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東尋坊

2022年3月執筆
 

 目まぐるしく気温が上下する3月の初旬、私は高校時代の友人Kと福井駅で待ち合わせていた。何度か会う約束はしていたものの、結局高校を卒業して二年も経ってしまっている。世の中は戦争が起き、流行病の勢いもいまだ冷めやらぬ中、我々は二年の時を超えて会うのである。それもただ会うのではない。二人して旅に出かけようというのだ。
 私はその時分、所属している団体でやるべき仕事が山積していた。そして友人もバスケットボールサークルの代表を務めて、バイトの掛け持ちをしているのもあり、多忙な日々を送っているようである。つまり二人とも日常の多忙から抜け出したいと思っていたのであろう。どちらともなく福井県の東尋坊に行く、と言い出した。事は非常にスムーズに運び、東尋坊から二駅ほど離れた三国神社駅の近くにある民泊を予約し、一泊二日の短い短い旅行を決行する運びとなった。

 約束の日の当日、私は夜勤明けで朝の9時ごろに自宅に帰ると素早くシャワーを浴びた。鏡に映っている自分は夜勤明けの疲れからか、目の充血と、目頭から鼻にかけて皺ができていた。高校時代から二年の時が経ち、バイトやサークルに明け暮れて目に皺を作っている自分を見たらKはどう思うだろう。
 一日分の着替えと財布だけを詰めたリュックを背負うと私は福井駅行きの急行電車に乗った。私は元来、車窓の流れゆく景色を見つめているのがとても好きであった。車窓にはアニメや漫画のように内容や起承転結があるわけでもない、流転する画面がただ映し出されている訳である。それでも、なんだか自分の住んでいない地域の建物や店を眺めていると、根無し草のような気分になって、気持ちが浮つくのである。しかし、そんな格好の機会を急行電車に乗ることで得られると、密かに楽しみにしていた私であったが、夜勤明けという事もあり、ほとんど電車内では寝てしまっていた。
 あくびをしながら福井駅の改札を通った。携帯を確認するとKから駅に着くまでまだ30分ほどかかると連絡があった。時間をつぶすために駅の西口へ出てみると、筒と一輪の花を持ったスーツ姿の若い人々の群れがいくつか目についた。みんな目元にはタンポポのような黄色い笑みを作っていた。おそらく大学の卒業式でもあったのだろうか。人々の群れは一所から流れてくると、川の支流や木の枝葉が伸びるように散り散りに霧消した。そうして嬉しそうな黄色い笑みを眺めている時に、私は切迫した声の響きを聞いた。しきりに何かを訴えているので私は気になって声の方向へと歩みを向けた。駅から商店街へとつながる信号のあたりでその声の集団を見つけた。年老いた女性たちが横断幕を持って「戦争反対」と訴えていた。とある国の首相はおぞましい独裁者であるとか、とにかく国はこのままでは危ないだとか、なんだかそんな風なおぼつかないことを叫んでは空気を震わせていた。
 黄色い笑みやおぼつかない空気の切迫した震えを見ていると、私はひどく日常のゆらぎと埋没を感じた。

 Kが駅のバスターミナルに着いたというので駅に引き返す。喧騒は悲痛な訴えから種類を変えて忙しなさを取り戻した。福井駅の構造はさほど複雑ではないが、それでも慣れない場所で二人が待ち合わせるというのは少し困難が伴う。なかなか会えずに右往左往していると、同じく痺れを切らしたのだろうか、Kから電話がかかってくる。どうやら私と同じく駅の構内に入ったらしい。私が電子看板の近くにいる事を伝えようとする瞬間
「よお、見つけたわ」
とKが人の流れをかき分けて一直線に私の方へ歩いて来ているのを認めた。
 Kを見つけた瞬間、私の心は踊った。その額と瞳には懐かしい匂いが漂っている気がした。また、大学に入って少し趣向が変わったのだろうか、柄の違う二枚のシャツを重ねて着ており、オリーブ色のジャケットとジーンズに身を包み、どこか自然味と気さくで小洒落た感じを演出していた。いや、元から制服姿のKとばかり話していたせいで、私服など見たことはなかったか。だが、Kの話すときの間の取り方、泳がない真っ直ぐな視線といい、私の親しみ深い部分は相変わらずだ。
 JR福井駅から福井県の地方鉄道であるえちぜん鉄道へと乗り換える。駅構内の狭い道を歩いていると黒い制服を身にまとった高校生たちが列をなして歩いている。いくつか高校生の群れを避けて歩いている最中、ふと横を見ると懐かしむような瞳で少し下を向いたKがいた。
「なんだか輝いてみえるね」
「ああ」
私はKの気持ちを察して気持ちを代弁した。Kはまだ少し顔を下に向けたままポケットに手を入れた。
 Kとは大学で別れてから最初の内は電話でやり取りすることが多かった。流行病の抑えこみに政府が躍起になっていたため、私たちは大学生になってからというもの、全く外に出ることを禁止されていたのだ。だから大学で友達などできるはずもなく、ずっと高校の友達と電話でやり取りするくらいしか誰かと交流する機会が無かったのだ。しかし、どうしたことだろう、大学一年目の夏の終わりくらいから、私たちはどちらともなく全く連絡を取ることがなくなった。いや、実は決定的な原因があるにはあったはずなのだが、別に仲たがいという事でもなく、お互いのことを少し失望したというだけのことだった。
 Kとのやり取りがなくなってからというものの、私は常に心の中にKを見た。Kの言葉を思い出し、振り返っては大学の諸々にめげずに取り組んだ。言葉を交わさない日々が募るほど、私の中でKの存在は、心のぽっかりと空いた場所に石垣をくみ上げ、鉄柱で支えられた大きな城を作り上げた。だからずっと言葉を交わさなくても私は安心できた。私は疑いようもなくKを尊敬していた。
 大学二年の冬、急にKから私の安否を確認する連絡が届いたときは心臓が銅鑼を打ったように大きく跳ねたのを覚えている。そうしてお互いの近況をぽつりぽつりと話していくうちに、お互いせわしない日常への埋没に甘んじていることへ焦燥を感じていた。その焦燥こそが東尋坊へと私たちを向かわせたに違いない。

 えちぜん鉄道福井駅から東尋坊の最寄り駅である三国港駅までは約一時間はかかる。私はKとの再会を心から望んでいたにもかかわらず、何を話せばよいのやら分からなくなっていた。一時間の電車の中では誰もが他人に見えた。自分の向かいに座っているKと誰にでも話せる話しかしないことに努めた。車内は車輪が枕木を蹴る音に、学生たちの話す声、常に日常の音が流れていたが、私たち二人の間柄だけは薄い透明な膜が張られているようにぎこちなかった。
「旅情を感じないか」
Kは車窓の流れゆく景色を見ていると、ふとそんなことをつぶやいた。
「でも、日常がどこにでも顔を見せるからなあ」
私がそういうとKは温かい目で私を一瞥し、顎を手に載せてまた車窓の景色を見続けていた。
 終点の三国港駅で下車する人はまばらであった。三国港駅は無人駅で、数分もして電車が引き返していくと人の気配がすっかり消えていた。三国港から東尋坊へ直行のバスへ乗るつもりであったが、なんと次のバスまで一時間近くもかかるという。我々二人は観念して20分ほど歩くことを決めた。左を見渡すと太陽と風に揺らめく広大な海を見ることが出来た。額を撫でつけるほどの風が我々を出迎え、人の気配が全く感じられない静寂が訪れていた。そこでようやく私は日常ではない、かといって旅情でもない、不思議な安心感を得ることが出来ていた。
「静かだね」
私は心からの喜びをKに共有した。私が求めていたのは何も干渉してこない世界。そして隣で静かに海を見つめるKだけであったのだろうか。私はこの一泊二日の間に、Kをこの世界に閉じ込めてしまうことに少しだけ罪悪感を感じた。
 二人で並んで歩いているときも、私たちはぎこちなさを取り払うことが出来なかった。海を見たかと思えば、右手側の街の風景を指さしてはKに報告し、Kはなんだかぼんやりとした返事を返している。こうしたことが少し続いたあと、私たちは完全に黙ってしまった。だから私はこの沈黙をなんとも思わないようにある詭弁を建てることにした。
―私たちはこの静寂を心から感じなければならない運命にあるのだ―
少し急な坂を上り切ると、石碑が立っていた。いや、ただの看板だっただろうか。そこには「高見順の故郷」と書かれていた。
「高見順、聞いたことがあるな」
Kが我々の沈黙を破った。
「確かに私は聞いたことないな。たぶん小説家だよね……」
携帯で調べてみると確かに高見順は立派な小説家であった。自身の暗い出生を基にした無頼派小説を書いており、第一回芥川賞を受賞したという。我々は高見順について調べてはいろいろと話し合った。二人とも文学は好きであったから、ようやく話のタネを見つけることが出来たといった感じであった。

 とりとめのない話をしているうちに我々はどんどん歩みを進め、14時ごろに東尋坊へと着くことが出来た。額を撫でつける風は崖へ至るほどにますます強くなり、息をするのも少し苦しいと思う瞬間があるほどだ。春が近づいているとはいえ、突風は服を突き抜けて体を洗った。私たちは風に体を洗われながら、ついに東尋坊の全貌を見た。ブロック状に複雑に切り込まれた岸壁は波に抉られたのだろうか、無機質な冷たさを感じた。常に自分の立っている場所がデコボコと歪んでおり、安定した姿勢を保つのが難しい。波は白く泡を吹きながらぐちゃぐちゃとした歪な勢いを崖へ容赦なく責め立てている。切り立った崖は背を弓状にのけぞるようにして波を避けている。海の向こうに見える地平線は彼方に緩やかな直線を描きながら私を誘っている。自分の足元を見れば、奇怪で無機質な岩が私を見つめ返し、視線を上に移し、地平線へ遠ざかるほど平穏で変化のない世界が私を迎えていた。
 我々は最初こそ、この岩場で自由に動き回ることを躊躇していたが、とうとう不自由な足場にも慣れ、崖の一番鋭い先端まで来てしまった。すぐ足元は私を攫おうと白い波が口を開けて唸る声が聞こえた。風は私の最も弱い部分をさらけ出させようと、四方八方から殴りつけるように吹いた。だが、それよりも私はこの東尋坊という奇怪な崖の様子そのものよりも、そのずっと先の静寂な地平線、その稜線に心を奪われていた。そして、その静寂へ至る方法、狭き門は確かに数歩先に存在しているように思う。自分の足元のいびつな光景と、絶対届きはしない、はるか先の静寂との不均衡こそがこの東尋坊という土地が与える魔力であると思われた。
「ここで死んだなら、誰もが納得してくれる」
私はKにそう言った。Kは静かに頷いた。

 三国港駅へ引き返して、一時間に数本しか来ない電車を待つよりも、歩いて民泊へ向かった方が早いように思われたので、我々は歩いて今夜の宿まで行くことにした。緩やかな坂道を下って歩いているうちに私たちはすっかりと現実感を取り戻していた。
 話はいつの間にか旅のことになっていた。旅は確かに素晴らしい、日常を抜け出すことのできる唯一の手段である。私がずっと旅をしていたいと言うと、Kは
「それでは結局、俺たちは問題を先延ばしにしているだけなんだよ」
ずっと先の道路を視線でなぞりながら言った。
 Kは高校生の頃から、教師になることが目標であった。その理由を聞くといつもKは
「合法的に本を読んで金がもらえる」
と私に言って聞かせていた。しかし、Kは自分に課したその目標に時々苦しんでいるようだった。Kは本が読みたいのであって、教師になりたいわけではない。しかし、Kにはその道しかないと思い込んでいる節があった。だから、Kはいつも自分のやっていることに常に意義があるのかどうか気にしていて、その圧力からじりじりと追い詰められているような雰囲気を感じた。私はKが教師に向いているとは思わない。Kは生徒に入れ込みすぎると思ったからだ。Kは誰にも悟られずに周りのことに気を配る才能があった。だから、気疲れしやすい。いろいろと考え込んでいるうちに私はKにふとこんなことを言った。
「教師というのは常に与える側に立つ職業だ。Kはずっと誰かに与え続けられるだけのものを持っているの?」
口走った後に私は少し後悔した。なぜ私はKのことを思いやっているにも拘らず、Kが期待した言葉を投げかけてやれないのだろうか。Kと私は限りなく同じ考えを共有していたはずなのに、この旅が始まってからというものの、どうにも噛み合わないでいる。
「どうなんだろうな、持っていないだろうな」
私はその言葉を発した時のKの顔を見ることが出来なかった。

 宿へは17時についた。民泊へ着くと外国人の女が優しく出迎えてくれた。私たちを二階の部屋へ案内すると、慣れない日本語で一通りのアメニティの説明をした。最後に、30分後に主人が温泉まで送っていくから準備しておいてね、と告げると下の階へと降りていった。東尋坊はもともと火山噴火によって形成された土地であり、東尋坊のある坂井市の芦原には温泉が噴き出しているのだという。だから東尋坊に訪れた人たちは芦原温泉に浸かって旅の疲れを癒すのだ。
 部屋にはベッドが二つあり、広さは十畳ほどである。私は窓際のベッドをKから譲ってもらうと、二人ともベッドに腰掛けて一息ついた。ベッドには星形の模様がちりばめられたシーツがかけられていた。部屋にはほかに、キャラ物の小さなフィギュアがいくつかと、テレビが置かれていた。天井の張り紙もベッド同様に星がちりばめられていた。そして何より夕日が差し込む部屋の中は静かであったが、生活の呼吸が感じられた。静寂と呼吸、この二つが緩やかに存在していることが、私には大層好ましく感じられた。
「子供部屋みたいだね」
「そうだな」
二人は部屋に差し込む光の柔らかな直線を見つめては、いつかは終わる安心感に身をゆだねていた。しばらく経つと男が私たちを呼ぶ声が聞こえた。

 温泉を済ませるとあたりはすっかり暗くなっていた。下水道のマンホールから立ち込める湯けむりが街頭に照らされて、我々の行く先を滲ませた。帰りがけに近場のドラッグストアに向かい、酒と気持ちばかりのお菓子、それから明日食べるパンと水を買った。本当はどこかで飲むつもりだったが、二人とも金がなかった。だから宿で安酒を飲もうという運びになったのだ。今日泊まる民泊も相場より数段安い宿であった。しかし、私は二人で話せる場所があるならどこでもいいと思っていた。二人して袋を携えて夜道を歩いた。暗幕を垂れた夜を駆けていく車は青白い光の軌跡を描いて幾つも通り過ぎて行った。街灯が並ぶ夜道をどこまでも歩いて行けると思った。

 宿へ戻ると赤子の鳴き声と母親のあやす声が聞こえた。物音を立てないように二階へ上る。夜ご飯は食べていない。お腹が空いているので早く飲もうと私が言うと、Kは煙草を吸いたいと言い出した。私たちはそのまま窓から酒とお菓子、それから煙草を持ってバルコニーへ出た。バルコニーは広く、4人ほどが座ることのできる机と白いペンキで塗られた金属の椅子が置いてあった。私たちは椅子に腰かけると町の小さな明かりを見た。しばらくすると、Kがライターの火に薄く照らされているのに気が付いた。私はその時のKに言い表せない魔力を感じた。
 私がどこにでも売っている安い日本酒の瓶を開けると、Kもハイボールの缶を開けて乾杯した。Kと初めて飲む機会がまさか東尋坊の安い民泊のバルコニーだとは、二年前の私は思いもしなかっただろう。Kは煙草をふかしながら町の明かりを見ている。
「自分が一体何を頼りとして生きているのか、分からなくなる時がある」
Kはそんなようなことを言った。誰もがつまずくシンプルな問いに、Kも又苦しんでいるのだろうか。
「私は何かを成し遂げるために生きているとか、あるいは生きる意味を見出したとか言っている人間を偉いとは思わない。むしろ軽蔑すらしている。目標や生きる意味に安住して思考することを止めた人間の末路には、何も残っていないから」
私はそう答えた。何かを得たと思って喜んだのも束の間、どこか歯車が合わない感じがしてまた自信を失う。それが生きる上では繰り返されているだけだ。寄せては返す波のように。
「何か目標を定める必要はどこにもない?」
「うん。果たしてこの先、何を得ることができるのか、そう思って生きていくんだ。その先にたとえ何も得ることが出来なかったとしても、その苦しんだ過程だけは必ず残る。Kがその過程を誇れなくとも、私はKのことを認めているから」
そのあとも、灰皿が煙草の吸い殻で満ちるまで、私たちは語り合った。

 二日目の夕方、私たちは福井駅へ戻ってKが乗る夜行バスを待っていた。バスターミナルへ向かう途中、私はKのことを見つめながらこう言った。
「いい旅だったね」
するとKも
「これでいい」
そう返した。私もそう思ったし、Kがそう言ってくれたことが嬉しかった。しばらくするとターミナルにバスが停車して、制服の男性が乗車券を持って列を作るように呼び掛けた。
「上手くやりなよ」
「上手くはできない、何とかやっていくさ」
Kは目を細めて笑って応えた。
 Kがバスに乗って行ってしまった後、私は心の中にある、あのKの幻想によって造られた城が瓦解して崩れていくのを感じた。
 私も帰りの電車に乗り込んだ。何を考えるでもなく、夜で塗りつぶされた暗い車窓をずっと見ていた。一時間くらい経っただろうか、ふと思い出したように携帯で高見順の小説を読んでみた。高見順の小説の冒頭では樗牛という小説家のある一説が引用されていた。
 『如何なる星の下に生れけむ、われは世にも心よわき者なるかな。暗にこがるるわが胸は、風にも雨にも心して、果敢なき思をこらすなり。花や採るべく、月や望むべし。わが思には形なきを奈何にすべき。恋か、あらず、望か、あらず……』
 車掌が、どこかの駅へ到着したことを告げていた。

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