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「今の世代はハングリー精神が無い」のか

努力を続け、成功を掴むにはハングリー精神が必要だ、と言います。
 
貧しい家庭に育ち、ボクシングの世界チャンピオンに輝いた人物のストーリーが語られます。
スラム街で育ち、世界的サッカー選手になった人の話。バスケットボール選手。陸上競技選手。貧しい両親に不自由な生活をさせたくないという思いで稽古に励んだという相撲取り。

様々なスポーツ選手で聞かれる話です。でも、「親の暮らしを豊かにさせてあげたくてゴルフに打ちこみました。」という話は聞いたことがありません。「そんな話を聞かない」競技は他にもあります。水泳、テニス、フィギュアスケート、F1レーサー、等々。ようは、練習するのに設備が必要な競技はお金が掛かるので、貧しい頃から取り組んだ、という人がいません。

かといって、お金持ち競技はハングリー精神が無いのかというとそうではなくて、一流の選手には必ず強烈な渇望があります。
 
一般的には「ハングリー精神」とは次のようなものと認識されます。
「なにくそ、今に見ていろ、ギャフンと言わせてやる。・・・という闘志を内に秘め、努力に邁進する。」
 
ですが、当事者目線での実際はちょっと違っている、と私は考えています。
 
私自身が強いハングリー精神を持って生きてきたと感じます。
日雇いの現場で幾ら働いても大学の授業料が工面できません。同級生の友人は一様に余裕があって、身なりも小綺麗です。
国立大学に通っている学生は、親がお金持ちの人が多いことが統計結果に出ています。お金がある家庭の子どもが教育リソースを受けられて、良い学校に進むことが出来る、というのは事実です。
 
私はそういったことを「見返す」という意識は全然ありませんでした。
「口惜しい」という感情は、「私はあそこにいるべきだ」という感情とセットであるものです。
圧倒的な差の下に置かれたときに人は、「あそこは私とは無縁の世界だ」と心の中で「切り離し」を行います。
 
この「切り離し」は、物質的な豊かさ、受ける愛情の豊かさ、あらゆることにおいて恵まれないときに人が自分の心が壊れないようにするための安全装置です。「心を閉ざす」という言い方も出来るかもしれません。そしていったん閉じた心に水と栄養をやり、再び心が氷解して開きだすのには長い時間が掛かります。
 
私は、豊かな家庭に育った人がどんな経験をして育っているか、ということを知らないので、「いつかあれを手に入れてやる」という発想は元々ありませんでした。知らないことは憧れようがありません。
 
私はいまだに、クリスマスと言われても誕生日と言われても何もワクワクしないです。それは、私の中にそれに関する思い出が何もないからです。

だから、社会人になって給料を稼ぎ始めた頃には、ただひたすら「興奮した」ことを覚えています。
 
お店で買った食べ物を食べてお店で買った洋服を着る。もうゴミ捨て場で食べ物や着るものを探す必要は無い。飯場で残飯を分けてくださいと頭を下げて蔑まれることもない。僕は街で見る人たちと同じ人間になった!
 
仕事に必死で邁進しますが、それは「いつか見ていろ」ではなくて、「これを頑張ればずっとおいしいご飯が食べられる」というのが自分をドライブする気持ちでした。どちらかというとワクワク感に押されていました。

おかげで今でも、食べ物に不満を持ったことは全くなくて、人間の食べ物が目の前に運ばれて来るだけのことが本当にうれしいです。そして暖かい家と布団があって家族が幸せにしている、ということが奇跡のように思えます。そうすると今までにお世話になった方々への感謝はもちろん、苦労に関してすら、神様から与えられたギフトではなかったのだろうかと思います。
 
「今の若者にはハングリー精神が無い」とか「日本人はハングリーさを失ってしまった。今後は他国に勝てない」といった論調に違和感を感じます。
その言い方は本質を突いていないのではないかと疑問に思います。
 
例えば「根性論」の人にこんなことを言われます。「あなた『なにくそ』と思っていないでしょう?それじゃ駄目ですよ」。「そんなこと言われても。」となりますよね。一億人が「なにくそ」と思って生きている設定って、何が仮想敵でしょうか。
 
イシューは「なにくそが足りない」ではなくて、「ワクワク感が足りない」のです。
 
私が20年前、仕事でアフリカに行き始めたとき、いま日本にとって脅威となりうる他国は、着々と準備しているさまが伺われました。
 
ナイジェリアの空港に降り立つと大きい看板広告はサムソンやヒュンダイばかりで、これからのポテンシャルマーケット、ビジネスの開拓最前線にもはや日本企業は来ていませんでした。韓国の重点投資政策は、意図的に未開拓地域に企業戦士を送り込んでいました。
 
アフリカの資源産出主要国には例外なく中国のインフラ投資が食い込んでいました。彼らの一帯一路の思想はもう20年以上前から準備されています。
国際的政変の中で日本はいつも西側諸国視点のイデオロギーに包まれますが、これらのアフリカ諸国ではトーンが全く違うはずです。
 
アメリカでは富裕層から貧困層までのピラミッドがとてもハッキリした弱肉強食の世界があります。ただ、その中で良いアイデアと大志を持つものをうまく取り上げ、世界を取り仕切るイノベーションを作っていくのが上手い。
 
それぞれの国家戦略に基づくワクワク感のドライブ方法を何十年単位で準備してきています。
日本で聞かれる論調は、というと
高齢層は「若者は努力が足りない、こんなことでは勝てない。」
若年層は「既得権益が強くて頑張っても報われない。」
このような議論は、「ワクワクを仕掛ける」前段階に留まっているように感じます。
 
国内の仮想敵を論ずるのではなくて、自分のビジネス分野のエコシステムにいかに「ワクワクドライブシステム」を組み込んでいくかを考えていきたいと思っています。

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