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楢山、大阪帰るってよ

突然ですが来月中頃、大阪に帰ることにしました。

理由は簡単に言うと、家族の生活を支えるためです。


僕が東京に来た理由

大阪にいた頃のこと

そもそも二年前に僕が大阪を出たのは、より柔術に熱中できる環境を求めてのことでした。

ちょうど三年前の10月15日、ニュージーランドから帰国した直後の僕は一年以上まともにやっていなかった柔術を再開することを決めトライフォース大阪に入会しました。25歳の誕生日を機に、今度は本気で取り組もうと決めたからです。

当時は難治性の皮膚の病気を患っていたので練習ができない日もあり、それが半年くらいは続きましたが、余程でなければ毎日道場に通い、テクニックを習い、できることだけでもと閉館までドリルをしました。

一日一個は新しいテクニックを覚え、スパーは休憩をいれずにやるようにし、コンペ練でフリーで回すときも同じく休憩を作らずよりしんどい練習をするように心がけました。

なぜそのようにしてきたかと言えば、一日一日に後悔を残したくなかったからです。

そして何より、「犠牲にしているものがある」という実感があったからこそ、手を抜くことはできませんでした。

だからこそ本気で取り組んでいたし、それでも足りないと思っていました。

ですが当時、周りにそんな自分ほど練習している人はいませんでした。

そして練習できる時間もクラス以外でわずか。

熱量的にも時間的にも当時の自分にはどこかもの足りませんでした。


「このままではいけない。」


そう心のどこかで思い続ける日々が続きました。


上京を決意して


「もし環境を変えるにしても、トライフォースは好きだから離れたくはないな。」

「だとしてもこのままでいいのだろうか。」


そんなことを悶々と考え続ける日々の中、以前上京したときに見た「東京の人の柔術に対する熱量」を思い出すことがありました。(当時所属していたトライフォース池袋本部では、クラス後岩本健汰さんを中心に多数の人が残り技研などに励んでいました。)

と言っても本当は柔術を再開した頃から、東京の熱量や練習できる時間、機会の多さを知っていた僕の頭の片隅にはいつも東京の記憶がありましたし、東京に戻る意思も少なからずありました。

そのため「また東京に戻ろうかな」という気も日毎に起きるようになりましたが、大阪にまず帰ってきたのは生活の苦しい母が心配だったためというのもあり、東京に行くとなった場合はそれが懸念点でもありました。

ただやはり、


自分の人生に後悔を残したくない。」


その気持ちが強くなり、再び上京を決めました。

母の生活のこともありましたが、20代のうちは自分のわがままを貫くことにしたのです。

僕が帰国してから一年、少し落ち着いてきてはいましたが、それでも充分とは言えない生活を送る母を置いて自分の願望を優先させてしまうとは、我ながら親不孝な息子だと思います。


その後


そうしてひもじい生活をする母を尻目に東京に出てはきましたが、その後は気持ちの変化や仕事のことがあり、なかなか練習に集中できない時期がありました。

そして試合に出ても思うような結果が出せず、自分の実力を疑うようにもなりました。

それなりに知られるようになっていた自分も、幸運が続きいくらか勝てていただけ。意気揚々と地方から出てきたは良いが、実際自分はどこにでもいるような紫帯と変わらないのではないか。

元々とてもネガティブな人間なので、そんな思いが大きくなりました。

その後、幸運なことにKIT6のお話しをいただき、結果は惨敗。

その負けをきっかけに自分の実力を疑う気持ちもさらに強まり、「地方からのやり直し」ではないですが、まずは各地の大会に赴くことにしました。

とにかく、自分の実力を確かめたかったのです。

その後、旅をするように中部、九州、関西、四国、中国、東北地方と転々としながら、各地の大会に出て試合をしてきました。

そして、地方の大会ではわりかし勝ち続けることができました。

それが自信にもつながり、確かな成長の実感もありました。

ですがそれでもやはり、大きな大会で結果を残すことはできませんでした。


(いつまでこんなことを繰り返す?)


結果が出ないまま、こんな生活をずっと続けてはいられない。

そう思いました。


もちろん、自分一人であればこんな生活はいくらでも続けられます。

そして、自分一人の人生なれば、いくらでも賭けることはできます。

ですが、家族の人生を考えたらそういうわけにもいかない。

僕が自分のわがままを通して好きなことばかりしている間にも、母はひもじい生活をしているのですから。

たまに大阪に帰ってそんな生活をする母を見る度に、苦しくなる自分がいつもいました。

様々な理由で地元や家族の元から離れられない人がいますが、僕も本当はその類の人なのかもしれません。本当は近くにいてやるべきなんですよね。

まぁ、大会の結果とかがついてきていれば、

「おかん!ごめんやけどもう少しだけがんばってくれ!もう少し頑張ればもっと大きい結果出せそうやねん!」

なんて言えるのですが、そうでもないのにこれ以上は。

なので、自分のわがままを通すのはここまでにしようかと思います。

お人好しすぎるがあまり今までずっと苦労してきた母だから、最後の数十年くらいそれなりに充実した生活を送らせてやりたい。

そう思っています。


転々とする生活を終えるとき


以上の経緯と理由から、この度大阪に帰ることに決めました。

まぁいろいろ書きましたが、実際は上京を決めたときから早くて2、3年、遅くとも30歳には大阪に帰るつもりでいたので、その時期が少し早まっただけのことです。

それにちょうど先日10月15日に28歳の誕生日を迎え、それと同時に柔術に復帰して3年が経ったことにもなり、そして社会人になった歳からちょうど10年が経つことにもなりました。

どの観点から見ても、節目としては良い時期です。

この10年、各地を気の赴くままに転々としてきて、そして今ついにこの生活を終えることになりますが、反対にやっと落ち着けるんだなという安堵の気持ちもあります。

読んでいる人には伝わらないでしょうが、終着点が見えることに個人的には感慨深さすら感じます。

少なくともこの10年、好きに生きました。
今後悔やむことはおそらくないでしょう。


これからのこと


これからは大会出場もそこまでできないだろうと思います。

(と言っても数ヶ月に一回くらいは出ると思います。今年は出すぎましたね。)

今年ほど各地に赴くこともないでしょう。

ですが練習はもちろん、続けていく所存です。

そして今後はどちらかというと裏方的な役割をやることの方が増えるかもしれませんね。

それこそブログ「柔術旅」を通してだったり、あとは関西のトライフォース支部が急増して人がほしいようなので、インストラクターとしてだったり。

そもそも競争意識が低く、自己主張も苦手で、自己顕示欲や承認欲求などの欲のない自分の性格は競技者向きではなくサポーター向きで、そういった役割の方がやりがいを感じる性分でもあります。

だから適材適所的に収まるところに収まって、所属する関西のトライフォースだったり、柔術界に何か貢献できるようなこと、できる範囲で今後していきたいなと思っています。

もちろんブログ「柔術旅」は続けていきますし、そっちはやりたいことがまだ全然できていないので、やりきるまではやるつもりです。

また後日改めて書こうとは思いますが、「柔術旅」の活動は、これからはより「人」にフォーカスしていけたらなと思っています。

それについてはnote.でまたそのうち書きますね。


さいごに


ではこれで最後です。

東京生活のちょっとした振り返りにはなりますが、思えば2回目の東京生活は、1回目の東京生活と違ってやりたいことをそれなりにやれてよかったなと思います。

と言っても東京に出る前と出た後ではやりたいことはけっこう変わってしまっていたので、結局やらなかったことの方が多い気がするんですけどね。

でも今になって思えば大体はやらなくてもよかったようなことだったので、むしろ選択肢が減ってくれてわりとスッキリした気分でいます。

なので心置きなく、新しい生活を始められそうです。

あとは、所属しているトライフォースには成績的なところで貢献できることはあまりなかったかと思いますが、SNSでの僕の発信などを通してトライフォース(ガナビー)の求人に興味を持ち、入社した方が二人もいてくれたので、(一般会員の分際でおこがましいですが)そういった意味で所属ジムに貢献できたのは嬉しく思います。

それについては、東京に出てきてよかったなと本当に思いますね。

彼らの東京での活躍を祈ります。

夢を叶えてほしい。


ということで、僕の東京生活は終わりです。

帰阪を決断して、先日トライフォース総代表の早川先生にもその意思を伝えました。

その際先生からは、


「がんばれ、お前の柔術旅を続けて来い。」


というお言葉をいただきました。

先生は何気なく放った一言であったかとは思いますが、僕にとっては感極まるものがありました。


そう、各地を転々としてきた10年間の生活には一旦終止符を打つ形にはなりますが、例え大阪に根をはっても、この先もずっと続く長い長い旅の途中にいることは変わりません。

僕は僕の柔術旅をこれからも変わらず、
自分のペースで続けていこうと思います。

なので、こんな僕ですが、今後とも寛容な目で見守っていただけましたら幸いです。

今後とも何卒、よろしくお願いいたします。


では、長くはなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

まなそのうち。

それでは。


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