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45歳で早期選択定年して、49歳で4つ目の法人を立ち上げた

2021年10月1日に株式会社100DIVEを立ち上げた。45歳で独立して以来、設立した自身4つ目の法人となる。

「人」を起点にした地方創生。意志ある人と地域課題をつなぎ、100の地域ビジネスを立ち上げる新法人「100DIVE」を設立。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000018.000050855.html

新卒以来23年間「やってみなはれ」と充実した仕事をさせてくれたサントリーを辞めたのが45歳。以前からあった自分で選択できる定年制度(つまり、リストラへの応募ではない)の、最年少45歳での権利行使ではあったが、ずっと辞めたくて待ち構えていたわけでなく、また辞めて欲しいと言われたわけでもなく笑、どうしてもやりたいことがあり、それを自分の手で実現したくなったためだ。

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人事マネジャーの仕事の一環で、異業種混合型社会課題解決プロジェクトを責任者として実施したのが44歳の時。特に'社会課題'に強い個人的な意識があったわけでなく、'答えのないテーマ'として社会課題にたどり着いただけだ。サントリーの次世代リーダーに異業種混合で答えのない社会の課題に真剣に取り組むことで、多様性の中でのリーダーシップの実践経験を人材育成メニューとして提供しようとしたのだ。

正直言うと、'社会課題'はむしろ市場原理から非効率なものだとの個人的認識があったぐらいだったが、この3ヶ月でサントリーから20人と他社からかき集めた40人の計60人で3つの社会課題・12のチームに分かれて取り組む様を見ているうちに、夢中になっていく60人以上に人事の仲間それに自分自身が夢中になっていた。

この時に「社会の課題とビジネスをつなぎ、世の中にインパクトを巻き起こす」が自分のライフワークだと感じてしまった。

ライフワークと感じてしまった以上この枠組みを続けなければと考え、複業の仲間と立ち上げたのが一般社団法人ALIVE。45歳になる直前のことだ。3ヶ月の枠組みを年間3回転実施することを目的とした。当初はサントリーを辞めるつもりなく、無報酬でもこの枠組みが続いていくだけで満足できた。

ただ、1年経つまでもなく、どうしてもこのライフワークにもっと専念したい気持ちが強くなる。ALIVEをやる中でも、社会の課題とビジネスのつなぎかたが色々見えてきて、そこから派生するプロジェクトを自らの手で実現をしたくなってきたのだ。

そこから4年。東大バリアフリー教育開発研究センターと設立した組織変革のためのダイバーシティOTD普及協会、50歳以上の成熟層が一歩踏みだし新たな役割に気づくREVIVEなどの新プロジェクトを主宰する 合同会社CONNECTIVE、そして今回の100の地域に事業とチームを生み出す新たな枠組みとして株式会社100DIVE と展開してきた。

それぞれ超・零細・スモール法人ではあるが、我々がいなかったらなし得なかったインパクトを巻き起こせた面もあるのではないかと思っている。

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なぜ大企業の人は社会の課題に出会った時、夢中になるのだろうか。私の結論は、大企業自体がものが足りないという一つの大きな社会の課題を解決してきた組織体だから、だ。ただ、この重要な社会の課題を、規模を大きくし、効率をよくすることである程度解決してしまった今、組織にしみ込んだ効率性という手段が目的化してしまい、心ある組織人としてそのジレンマを無意識のうちに飲み込んでしまって、社会の課題に仕事を通じて直接タッチできていないフラストレーションを感じている。もともと企業人はビジネスを通し社会の課題を解決したいという欲望を多かれ少なかれ持っているが、それを図体が大きくなった企業の中で自分の手で実現する構図が見えにくくなっているのではないか。

大企業には人も金もある。また大企業で長く働いてきた人は、優秀な人が多様に積み上げてきた効率的な仕事のやり方も知っているし、大企業の信頼や人脈の恩恵も受けいているはずだ。また、それなりの個人としてのファイナンス的な安心できる環境も持っているのではないか。

決して私自身のやり方が全員に当てはまるというつもりはない。が、この分散化して一つひとつは深刻だが規模の比較的小さい社会の課題に対して、大企業にできない小さい出島のような存在の必要性を感じている。あまりに小さく大企業の中では成り立たない、大企業の中では非効率だが社会的に必要な機能が現在は見過ごされがちだ。

しかも、その大企業でできない、もっとスモールな出島のような環境で実施するには、過去と違いこんなにやりやすい時代ははない。資本金も1円から会社は立ち上がるし、キャッシュアウトをほとんどしないオフィスや業務委託の仕組みも生まれてきている。過去はいろんな知見も企業の中で閉じられていたが、今は多くの情報にインターネット空間でアクセスできる。何より、複業やプロボノでの意志ある仲間はこんなに見つけやすい時代は今までなかったはずだ。

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もちろん、私自身や立ち上げた法人も今後どうなるかわからないし、仲間や環境に恵まれたかなりのラッキーがあったことは認める必要はあるが、私のような一つの企業で長く働いて培ってきたからこそできた45歳からの挑戦を、一つの可能性として話してきた。

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