【詩】ふあんなくらげ
何十年も前、ぼくは東京の片隅で誰知らずうごめくだけの濁ったくらげみたいなものだった。踏まれても踏んだことに誰も気づかぬ程度の存在に、憤りにらみつけたとしてもやはり誰も気づかぬまま勝負は始まる前に決まっている。わだかまる腹抱えたまま下宿三畳間の布団にもぐりこみ湿っぽい夜を耐える、そんな澱んだくらげだった。
胸満たしきれず、総武中央お茶の水駅裏路地にうろつきまわり、誰かを探し誰にも会えず、神田神保町交差点を突きあたり、書店ビルに行きあたり、エスカレーターかまわず階をへめぐり書棚に行き詰り息つまる君に会う。
君はぼくを見た、か。
わかりあうというほどわかりやすくはなく、さぐりあいわかちあうふたりの会話のあしどり不確かにぎこちなく、中の見えない喫茶店通り越し、顔の見えない人群れに見えた風のすきまの道を継ぎ、改札過ぎて揺さぶる電車ふたり繋がる手。
君を映すガラス暗がる窓。
知らない都会のしきたり知らぬまま、知らぬ者のざわめき何も聞こえず、身を寄せる君だけ聞こえ君の声だけ君の心だけ聞こえ、日の暮れた新宿東口駅前ひしめく横断歩道目を交わし、押されるようにくちびる合わせ、背中に声受けわずかな夜のぬくもり浴びながら流れる人波に、人波に、のまれていくのか君、見えなくなっていくぼくら。
(『詩と思想』2020年8月号)
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