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矢部明洋のお蔵出し 日記編最終回2000年9月

●9月某日 あわれ、みえぞう

 このクソ暑い中、ビールは一滴も飲まず、焼酎一本でアル中道を邁進するオニ妻である。この夜はついにみえぞうが、酔っ払って自分より先に寝てしまってるオニに「ちゃんとしてー」「ちゃんとしてよー」と取りすがるありさまである。


●9月某日 プライド

 1週間ほど前、西武ドームで開催された格闘技「プライド10」のビデオを、会社の宿直を利用し、やっと見る(家のビデオデッキが故障の為)。
 いやぁー、おもしろかった。どういうふうにおもしろかったかと言えば、かつて少年マガジンか何かで読んだことがあるような、一昔前なら、漫画の世界でしか起こらなかったことが、現実に起こっているのである。
 空手の佐竹と柔道の小川がリングで一触即発のムードでにらみ合うなんて、両者とも旬は過ぎてるとはいえ、わくわくするような構図じゃないですか。メーンは桜庭が残り数秒のところで、日本格闘技界の天敵グレイシー一族を関節技で切って捨てるし、もう出来過ぎの興行だった。
 プロレスはもう完全にプライドにしてやられたね。この興行に比べたら長州対大仁田なんて茶番以外の何者でもないと思った。
 小川が本気でプライドに絡み出し、ヒクソン対桜庭が実現するようなら、プライドは、プロレスが遂に果たせなかったメジャースポーツ化を実現するんじゃないか思わせる勢いがある。そうなりゃ、オリンピックが終わって食い詰めるだろう、柔道やレスリングのトップアスリートがプライドのリングでプロに転向するんじゃなかろうか、と夢想は際限無く広がるのである。


●9月某日 沖縄その一

 夏休みの残りを沖縄で過ごすべく、福岡空港に向った。途中、買物なぞということでキャナルシティへ行った。オニ妻の古巣、福家書店が新たにキャナルに出店しており、あいさつに寄ったのに同行する。棚を見回すと、ある、ある。山口の本屋にない本、雑誌がいっぱいあった。私は、山口の本屋に注文して2週間経っても入荷しない文庫本を1冊買った。
 映画書のコーナーには「映画芸術」が平積みしてあった。この雑誌がこんなにまとまって置いてあるのを私は初めて見た(この雑誌の扱い方一つで、この店がどれほど映画に力を注いでいるかは一目瞭然である)。面識もないのに荒井晴彦に教えてあげたくなった。しかし、これから旅行に行くのに荷物になるので断腸の思いで購入はあきらめる。
 那覇空港に着くと雨だった。市内で夕食を食う。泡盛が異様にうまかったが、私はレンタカーを運転しなければならず、欲求不満で機嫌が悪くなった。アル中のオニ妻は当然の如く、この世の楽園に来たような風であった。


●9月某日 沖縄その二

 朝食後、すぐ海に行って泳ぐ。やっぱり海はきれいだった。
 酒は美味いし、ネーチャンはきれいで好い所である。
 昼前に部屋に引き上げみえぞうを昼寝さそうとするが、環境が変わって興奮したみえぞうは眠らない。結局、親だけが寝てしまう。みえぞうが独りであそんでる声や物音を、夢うつつで聞きながら。
 夜はフリーマーケットに行く。別に安くはないが、露天でビールなど飲みながら、地元や他県からの若い観光客をながめているだけで退屈はしない。


●9月某日 沖縄その三

 ガイドブックに載っていた店へ昼飯に出かける。牛と伊勢エビのステーキ2700円というやつを頼む。出てきたものをみてオニ妻は興奮してしまう。
 もういちいち何を言ってたか思い出したくもないが、要は「こんな豪勢な昼食はしたことがない」だの何だのとうるさいことこの上なし。加えて恥ずかしいことも。
 夕方からプールでみえぞうと遊ぶ。3日目だというのに、こいつもまだ興奮が続いてるようで、背も立たないプールで抱いてやってるのに、独りで遊ぶから離せ、と要求する。プールサイドで立っているオニ妻に「どーする」とおうかがいをたてると、さすがはオニだけのことはある、「いっぺん溺れさせたれ」とおっしゃる。
 私は少々どきどきしながら、みえぞうを離した。みえぞうは目を開け、上を向いたたまま何やらぶくぶくいいつつ沈んでいった。頭がすっぽり水面下に隠れた頃を見計らってすくいあげてやったら、必死に手足をばたつかせながらしがみついてきた。水を飲んでゲホゲホいってる我が子を見ながら、オニがプールサイドで笑っていた。


●9月某日 読書その一

 福田和也の『作家の値打ち』というブックガイドを重宝している。小説を100点満点で採点していて、それに沿って本を読んでみたところ何人かの面白い本に当たった。
 本日は休みだったので北村薫『夜の蝉』、江國香織『きらきらひかる』を読んだ。どちらもはまってしまった。
 北村薫は『スキップ』は読んでいたが何とも思わなかった。今回は良かった。推理小説という体裁はとっているが、物語に謎解きだけでおしまいではない膨らみがある。
 『きらきらひかる』は良質の少女漫画だった。
 私には二つ歳下の妹がおり、小学生の頃から少女漫画にはまっていた。「りぼん」から始まり、妹が長ずるにしたがって同級生ネットワークで借りてくる漫画雑誌をマーガレットだ別マだフレンドだコミックだと軒並み読破し、「花とゆめ」や「ララ」「ぶーけ」などは創刊時から読んでた。つまり、あの「ガラスの仮面」などリアルタイムで読んでいた。
 今は時々まんが喫茶などで少女漫画を手に取ることもあるが、「もう読めないなー」というのが本音だ。読んでて酔えなくなったせいだ。
 ところが、どういうわけか同質の世界を活字で描いた江國香織は読めるのである。読めるどころではない、今は『流しのしたの骨』という小説を、読むのが惜しいような気分で、愛しむように読んでいる。今の気分は「彼女の小説があれば少女漫画のある一定のジャンルはもういらない。江國の本を読み返していればいい」というまでにのめり込んでいる。
 目下のところ、北村薫の“円紫と「私」”シリーズと江國香織の全作読破という快楽に溺れている。


●9月某日 読書その二
 連休で前日に引き続き休み。近所の古本屋へ文庫本漁りに出かける。  近所には古本屋が3軒ばかり集っている。おかげで最近の私は専ら古本しか買わない。それも文庫本ばかり。安いことに加え、ハードカバーは場所を取るうえ、線を引いたり、ページを折り曲げたりするのに気がひけるからである。要するにケチで小心なだけだが。でも、あーた、高橋和己の『邪宗門』なんか、もしハコ入りハードカバーで読んでて赤線引いたり、折ったりできますか。畏れ多くてできないでしょう。
 『作家の値打ち』ご推薦の北方謙三『棒の哀しみ』や連城三起彦が面白かっので、両人気作家の文庫本などを買う。少々『作家の値打ち』を持ち上げ過ぎかもしれないが、この本で高得点だった綾辻行人や有栖川有栖は面白くなかった。あと直木賞をうけたばかりの船戸与一の全作が「20点以下。測定不能」と評されており、あの長い小説群を「読まなくてもいい」とほっとした気分になった。
 文庫本ばかりをたくさん買い込んだが、この日は図書館で借りてきた『ぼっけい きょうてい』(ホラー小説大賞)が一番おもしろかった。短くて読みやすいにもかかわらず、すごい重量感だった。坂東マサコ(漢字失念)『山妣』に似た圧倒される感じ。女性は是非ご一読を。立ち読みでもすぐ読めますから。大きな本屋の店頭ででも。


●9月某日 ヤワラちゃん金

 宿直で会社でテレビを見ていたら、田村亮子が金メダルを獲った。決勝はあっけないほどの一本だった。獲れる時はこんなもんなのだろう。あのヤワラスマイルを見ていると他人事ながら「良かったねー」と思ってしまうのは彼女の人徳なんだろう。
 初めて彼女を見たのは、世間と同様に90年の福岡国際のテレビ映像だった。中学生が世界チャンピオン、ブリッグス(英国)に勝つなんて思ってなかったのでまずびっくり。続いて映像が伝える試合内容に、それ以上に驚いたものだ。
 相手の正面で、振り子のように小刻みにステップを踏んで、誘いをかけ、組手に来るところで懐に入り込み、技をかけてしまう。それも素晴らしい切れ味で。これまで主に男子柔道で、のったりのったりした試合ばかり見ていた目には、まるで柔道漫画を見るような気がした。「こりゃー天才が現れた」と思った。
 当時の格闘技界の、もう一人の天才はボクシングの辰吉丈一郎で、この2人の試合だけは一度見に出かけなければと思っていたが、辰吉は遂に果たせなかった。田村は96年、福岡で開催されたユニバーシアード決勝戦を見ることができた。
 大会の性質からいって田村は格が違い過ぎ、一本で勝つのが当たり前の試合で、当然のように勝った。しかし、さすがに並みの選手ではないと思わせるのは試合前に漂わせるムードである。彼女が入場して来るだけで会場がピーンと張り詰める。畳に上がる前からピリピリした雰囲気を発散し、場内を圧倒してしまう。空間を同じくして見る試合前の田村は本当に見る者をしびれさせる。こういう選手がいるから試合場に足を運ぶことをやめられない。
 そして勝った瞬間、彼女の全身から発散されていた気迫は一瞬にして霧散し、あの笑顔が現れる。この落差が格闘技ファンでなくとも彼女を応援させてしまう最大の魅力の源になっている。彼女の「金」には掛け値なしに日本中が喜んだことだろう。
 田村はまだアテネを目指すという。機会があれば是非一度、会場で試合前の彼女の醸し出すムードを味わわれるとよい。スポーツ好きでなくとも、例えるならオーケストラを聴きに行って指揮者がタクトを振り上げる直前のワクワク、ドキドキに似た快感が味わえるから。


●9月某日 井上康生の金

(オリンピックが続く)
 柔道男子で井上康生が金メダルを獲った。
 これも当然といえば当然の結果。彼も天才だ。
 五輪というノルマを果たした彼に次に望みたいのは体重無差別で戦う全日本柔道での優勝である。前回は篠原に決勝で敗れた。今の体重がベストなら、そのままで全日本に臨み、「柔よく剛を制す」を見せてほしい。ファンに、そんな夢想を抱かせるほどの逸材ではある。そして次のアテネ五輪では2階級制覇。こんなロマンをかきたててくれる柔道家は、ここのところいなかった。もっと、もっと強くなってほしい。


●9月某日 篠原の敗戦が問うもの

(オリンピックが続く)
 金メダルの期待が大きかった篠原が、疑惑のジャッジで負けた。問題の場面、テレビで見ていて正直、篠原の一本とすぐには見極められなかった。経験者でもないのだから当然だが。テレビの解説者は篠原の一本と見てエキサイトし、その興奮が日本全国の茶の間に伝わったのではないか。NHKの有働アナは涙をにじませてニュースを伝えるし、一つの感情で国中が染まったのだとしたら、まったくテレビというメディアは恐るべき怪物だ。
 それはさておき、スローで見れば篠原の技は相手を見事に引っくり返しており、玄人目にはまごうとことなき一本なのだろう。
 しかし山下も斉藤も、さらに日本柔道界のお偉方は何の為に試合場にいるのだ。篠原の練達の技が決まったと見たのなら、試合を中断させる抗議すべきだろう。試合が終わってから文句言っても、夜中の屁である。選手を守ってやれないコーチや競技団体の長など、百害あって一利なし。偉そぶりたい為だけに存在するようなもんだ。フランスより日本の柔道界に腹が立った。
 それにつけてもワールドスポーツと化した柔道は見ていて歯がゆいことおびただしい。有効技がないときの判定など、実に玉虫色である。もっと観客の目に明瞭な、観戦に耐えるシステムに洗練されるべきだろう。
 プロレス会場であんな事があれば暴動である。
 あの一戦、問われたのは審判の力量であると同時に、日本柔道界の体質と、ワールドスポーツ面しながらも伝統に安住し進化と洗練を怠っている柔道界そのものであろう。


●9月某日 あっぱれ、高橋

(オリンピックが続く)
 マラソン女子、高橋尚子の「金」の意義は途轍もなく大きい。
 まず第1の価値。
 悪く言うつもりはないが、有森がメダルを獲ったバルセロナ、アトランタのマラソンは、世界最強のランナーを決めるレースとしては明かに格落ちだった。だいたいあんな暑い、ひどい条件のレースに一流ランナーがプライドを賭けて臨むわけがない。出てくるのは己よりも国や競技団体のプライドを優先する日本人選手か、出たとこ勝負の無名ランナーだろうと思う。
 有森にしたところで、優勝経験は北海道マラソンの1回だけ。高橋の輝かしい優勝歴とは明かに見劣りする。
 だが、今回は南半球での開催で気候が前2回とは違い暑さが緩む。出場メンバーも競り合いに関しては世界最強と言っていいシモン、世界最高記録を持つロルーペと役者はそろった。このメンバーでシドニーで勝った者こそ、掛け値なしに世界最強のマラソンランナーと言っていい。高橋は、そんな舞台で、五輪記録まで叩き出して勝ったのである。
 第2の価値は、彼女が戦後のランナーで始めて世界の頂点に立ったことである。陸上界は黒人の台頭で、もうアジア人の太刀打ちできないレベルに達しつつある。例外は巨大人口を誇る中国くらいだ。マラソンもアフリカ勢が台頭してくれば彼らが席巻する日も近い。高橋はひょっとすると、日本人として最初で最後の世界最強ランナーとなるかもしれない。
 もう一つ、高橋の「金」に付随して言いたいのは陸連の愚かさである。高橋たちより早く五輪枠を手にした市橋の惨敗をどう総括するのか。あの順位で「次のアテネが本命だから」と言うような選手を出すべきではなかったのではないか。彼女のコーチが陸連の強化責任者であることに端を発するとおぼしい、陸連の過保護ぶりには目に余るものがある。
 今回の五輪選考でいち早く市橋を当確にし、トラックでもマラソンでも申し分のない実績を出した弘山や、再起を期した浅利を除外し、誰の目からも世界最強レベルにいることは明かな高橋にすら名古屋の最終レースでの結果を求めた陸連は、その眼力のなさの責任をとるべきだろう。
 というような思いを抱きながら、新幹線に乗って福岡に行った。図書館で上映がある浦山桐生の『私が棄てた女』を見るためである。遠藤周作の原作より数段、心に痛いような秀作だった。午後からは『嗚呼 花の応援団』を見る。こっちは、まー、こんな映画もあったなーという具合の出来でした。


●9月某日 不漁は続く

 珍しく平日が休みになった。映画を見に行く。
 まず『U-571』。各種新聞、雑誌の映画評で好評なのに加え、前作が快作『ブレークダウン』の監督だったので期待したのだが、これがあまり上手くなかった。前作でみせた細かい演出のキレが失せていた。大作になると知恵を使わなくなるのかな。
 もう一本は『マルコビッチの穴』。これも評判はすこぶるよく。絶賛といっていい程だったのに。全然おもしろくなかった。
 弱った弱った。

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