矢部明洋

矢部明洋著『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999~2014』(忘羊社…

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矢部明洋著『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999~2014』(忘羊社) https://kyu.hanmoto.com/bd/isbn/9784907902308/ 書評記事へのリンクや、感想メールなどを紹介しています。      サイト作成 担当高倉美恵

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  • 『平成ロードショー』書評リンク集

    『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999~2014』(忘羊社)のウエブで読める書評等をリンクしています。

  • 新作&旧作レビュー

    全身麻痺の元新聞記者・矢部明洋のリアルタイム映画レビュー。映画館で見た映画を中心に、配信でみた旧作もたまに

  • B席4000円のつぶやき

    矢部明洋のお蔵出し。1999年ごろの格闘技&舞台リポート

  • 矢部明洋のお蔵出し

    2000年頃、タカクラが運営するウエブサイト「たかくら&みえぞう製作所日誌」に寄稿していた映画に関する文章を蔵から出してきました。個人的な文章のため、歯に衣がない部分もありますがご容赦ください。写真は矢部と幼き日のmiezouです(松江旅行にて) 記事のトップ画像は、映画のスクリーンの中の絵はタカクラの高校来の友人の娘さんnanako氏によるイラストです。スクリーンの外側の観客席の絵は我が息子miezouの作。nanako氏のイラストは、とっても素敵なので「使わせて!」とお願いしてお借りしているものです。著作権はnanako氏にあります。

  • 矢部明洋とイラスト高倉美恵の映画的日常

    矢部&高倉の家の中のできごとをマンガやイラストにしたものです。

最近の記事

『平成ロードショー』が紀伊國屋書店新宿本店さんにて面陳列との情報

2023年11月21日ごろに 矢部明洋『平成ロードショー』(忘羊社) が新宿紀伊國屋本店さんで展開中との情報を、読書室の三砂慶明さんより頂戴しました。(写真も) 出版してから1年以上過ぎてからこのように展開していただけるとは嬉しい限りです。

      • 魔性を見た 10.11東京ドーム・小川vs橋本 1999.10.20  矢部明洋   

          山口から飛行機に乗り、もちろんホテルも予約して、東京ドームへ小川と橋本の遺恨戦を見に行った。  一番安い5000円の席だったから、リング上の選手は指の爪の半分くらいの大きさにしか見えない。観客は5万8000人だという。  ドームに来る度、プロレスとは凄い競技だと思ってしまう。シューズとタイツしか身に着けない、徒手空拳の男2人の戦いが約6万人を興奮させるのだから。  歌手のコンサートは音響装置が声や演奏を膨らませる。野球は精緻なルールが試合に緩急を生む。対してプロレスはルー

        • 天龍のフランケン 5.3新日本プロレスat福岡国際センター 1999.05.09矢部明洋     

            「どんたく」で混み合う博多へ新日本のビッグマッチを見に行った。腹ごしらえも兼ね知り合いの飲み屋に顔を出したら、常連客の初老と中年のオカマさんコンビと一緒になり、ついついイモ焼酎をロックで3杯。ちょっと飲みすぎやねー、という気分でふらふらと国際センターまで歩いた。  切符売場を見ると料金の高い席が売り切れており、九州のファンが新日のビッグマッチに期待していることがうかがえる。小川ショックや蝶野人気、大仁田の参戦――などで新日マットへのファンの関心は高い。それに新日は全日ほど

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          勉強家の死 追悼・桂枝雀1999.04.21矢部明洋

           落語家は60歳を超えてから、どう枯れてゆくかが勝負だと思っている。枝雀こそ、これからの枯れっぷり次第で志ん生、文楽、円生、米朝と続く戦後の大名人の系譜に連なり得る人だった。59歳での自殺は残念極まりない。  横山ノックが議員バッジをつけてからというもの関西の高座で「タコ」といえば枝雀だった。人気が頂点にさしかかった頃の独演会での客の受けぶりは凄まじいものがあった。ツルツルのタコ入道頭で舞台にいるだけで客は笑ってしまうのである。枝雀が「いるはにほへと」と意味のない発声をするだ

          勉強家の死 追悼・桂枝雀1999.04.21矢部明洋

          ドラゴン後援者・N取氏のこと 4.6無我・アクロス福岡1999.04.10 矢部明洋

           私のプロレス友だちのN取氏はドラゴン藤波の後援者である。カネはないが、すでにファンの域を超える応援ぶりであることは、今回アクロス福岡で開かれた「無我」興行を手弁当でスタッフとして手伝っていたことからも分かっていただけるだろう。  彼は埼玉県在住なのである。会社は東京だ。40代で妻と3人の子がいる。そんな身の上で、勤めを休み、交通費は自腹を切って福岡まで足を運び、報酬も出ないのにリングサイドでスタッフとして働く人をファンとは言えなかろう。悪意を持って表現すればドラゴンの道楽み

          ドラゴン後援者・N取氏のこと 4.6無我・アクロス福岡1999.04.10 矢部明洋

          スターレーンの高いイス 4.5全日本・博多スターレーン大会1999.04.10矢部明洋

           どうしたんだ全日本、と言いたくなるような今年のチャンピオンカーニバルだった。  明かに体調の悪そうな小橋に、ベイダーに三冠戦で敗れたばかりの田上がぶつかるメーンに期待はもてないし、実際、消化試合のような展開だった。三沢組VSベイダー組の6人タッグも垣原のプロレスの下手さばかりが際立ち、観客の興ざめを誘う。最もヒートしそうだった秋山VS高山は疑惑のスリーカウントで、秋山の「作戦勝ち?」みたいな不完全燃焼ぶり。人生と第1試合の金丸、丸藤の頑張りだけが目を引く、全日本にはあるまじ

          スターレーンの高いイス 4.5全日本・博多スターレーン大会1999.04.10矢部明洋

          馬場は生きろ、猪木は死ね 追悼ジャイアント馬場1999.02.01    矢部明洋

            私は今、ジャイアント馬場の死に接し、モーレツに後悔している。昨年、サンデー毎日のK谷デスクから「今度、馬場にインタビューするんだけど来ない」と声をかけてもらったのに、畏れ多くも断ってしまったのである。今にして痛感するのは、猪木さんには引退ではなくリングで死んでほしかったが、馬場さんにはいつまでも生きていてほしかった。プロレスファンの多くがそんな感情を抱いてるのではないかと思う。  もう一つの悔恨は、生後5カ月の我が子を馬場さんに抱っこしてもらいたかったということ。「次、全

          馬場は生きろ、猪木は死ね 追悼ジャイアント馬場1999.02.01    矢部明洋

          東京の劇場 1999.01.14 矢部明洋

            12月も半ばを過ぎてから仕事で東京に出張した。98年は家族が増えたりと雑事が多く、プロレス見物に上京することもなかったので、これ幸いと暇を見つくろっては気に入った劇場へ足を運んだ。 我が心の亀有名画座は澤田幸弘監督特集だった。しかし、映画より何より衝撃だったのは、同館の名物・落書きコーナーで見つけた、大井武蔵野館が間もなく閉館するという早耳の来館者の一文だった。クセの強い日本映画をそろえたプログラムで、強烈な個性の小屋だった。文芸座が消え、並木座が消え、ついに東京でさえ

          東京の劇場 1999.01.14 矢部明洋

          小三治の学級委員長芸 10月26日 イムズホール 1998.11.13

            招待券をもらったので出向く。入り口に「当日券はありません」と張り紙がしてあるのに、人気があるんだナ、と少々驚く。ま、九州には寄席はないし、たまに名のある噺家が来ても、寄席とは似ても似つかぬ高級ホテルの企画だったりして、高級な食事付きでバカだかい木戸銭を払わねばならない。そう考えれば、この独演会は良心的なのかもしれない。  小三治を聞いたのは、もう10年前に一度っきりだ。東京の紀伊国屋ホールで延々と続いている紀伊国屋寄席でのこと。東京の客は何でもかんでも、ほんとによく笑うの

          小三治の学級委員長芸 10月26日 イムズホール 1998.11.13

          nWoよりJr.が旬 10月24日 新日本・福岡国際センター1998.11.07 矢部明洋

           常々、新日本の地方興行はファンをなめている、と考えていた。昨年10月、同じ国際センターで興行を打った全日本が三冠戦を九州のファンにプレゼントしてくれたのに比べれば、例えIWGPのJr.2大タイトル戦を持ってきたとはいえ(それもライガーVSサムライでは)明らかに全日本の方にファンへの誠意を感じる。  この夜の新日のマッチメークも、全くといっていいほどワクワクさせる要素がない。それでも滅多に観戦の機会がない九州のファンは足を運ぶのだが、さすがに2、3階には空席が目立った。試合が

          nWoよりJr.が旬 10月24日 新日本・福岡国際センター1998.11.07 矢部明洋

          悪口特集 2000年1月~3月   2000.04.09     矢部明洋

           「映画愛」(タカクラ注「映画愛」のコーナーは新聞に掲載していたものなので、『平成ロードショー』に収録されています)なる偽善に満ちたタイトルで別コーナーを設けたため、「映画鞭」はとんとごぶさたしていたが、まとめて悪口を吐き出します。  「映画愛」で取り上げる映画は、私がまとまった文章を書けるだけの水準に達しているものばかりです。しかし、封切られる映画がすべて、その水準に達しているわけではないのです。したがってほぼ毎週、「映画愛」を書くにあたっては、かなりの本数を見る破目になる

          悪口特集 2000年1月~3月   2000.04.09     矢部明洋

          矢部明洋のお蔵出し 日記編最終回2000年9月

          ●9月某日 あわれ、みえぞう  このクソ暑い中、ビールは一滴も飲まず、焼酎一本でアル中道を邁進するオニ妻である。この夜はついにみえぞうが、酔っ払って自分より先に寝てしまってるオニに「ちゃんとしてー」「ちゃんとしてよー」と取りすがるありさまである。 ●9月某日 プライド  1週間ほど前、西武ドームで開催された格闘技「プライド10」のビデオを、会社の宿直を利用し、やっと見る(家のビデオデッキが故障の為)。  いやぁー、おもしろかった。どういうふうにおもしろかったかと言えば、

          矢部明洋のお蔵出し 日記編最終回2000年9月

          矢部明洋のお蔵出し 日記編2000年8月

          ●8月某日 地べたの蟻を見る  朝、みえぞうを保育園を送るべく、2人で駐車場まで歩く。  歩かせるとみえぞうは道草ばかりくう。 「あっ、ぶしぶし(虫虫)くん しんでるよ!」 と言って地べたにひっくり返ってるカナブンなどを見つけては指差し、大仰に驚いてへたり込む。  虫の死骸には当然のように蟻が群がるもので、続いて 「あっ、ありさん! ありさん、うごいてるよ」 と蟻を指差す。  こうして、しばらく虫の観察が続く。  しかし、こうして地べたに座り込んで蟻を見るなんて何十年ぶりのこ

          矢部明洋のお蔵出し 日記編2000年8月

          矢部明洋のお蔵出し 日記編 2000年7月

          7月某日・再開します  小渕首相が倒れ、業界が一挙に選挙モードに突入したおかげで4、5、6月と休んでました。お待たせしました。 (休んでた3カ月の間にも、我が家の凶妻は、朝食に前夜の残りの刺身とトーストという嫌がらせ以外の何物でもないメニューをテーブルに並べたり、弟が送ってきた泡盛の古酒1升瓶を、私が知らない間に飲み干してしまうなど狼藉の限りを尽くしていましたが、それを詳述できないのが無念であります)  本日は久々に映画見物に行った。  『マン・オン・ザ・ムーン』。  ジム

          矢部明洋のお蔵出し 日記編 2000年7月

          矢部明洋のお蔵出し日記編 2000年2月

          2月某日・人生最悪の風邪  インフルエンザに罹った。  生まれてこのかた、こんな強烈な風邪(インフルエンザは風邪ではないと厚生省は注意を喚起しているが、症状は風邪だ)は初めてだ。食欲までがまるでない。こりゃー年寄りや乳幼児が罹れば死ぬわなー。  頭痛がひどくて気力が失せるし、関節も節々が痛い。熱はせいぜい39度程度だったが、まいった。   2月某日・人生最悪の風邪その2  寝込む数日前、テレビでインフルエンザ脳症で幼児が死ぬケースがあるとのニュースを見た。みえぞうにうつる事

          矢部明洋のお蔵出し日記編 2000年2月