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心地良い空気が流れるミステリー。小説「木曜組曲」感想文


大好きな本があります。恩田陸さんの「木曜組曲」という本です。

初めて読んだのは大学生のころだったでしょうか。それからふとした時に読み返すようになり、最低でも50回は読んでいるはず。

大好きな本はたくさんありますが、こんなにも頻繁に読み返している本はそうそうありません。私はこの本のどこがそんなに好きなのだろう…? あらためて振り返ってみることにしました。

あらすじ

「書くこと」にまつわることを生業とする5人の女性が、洋館に集まってくる。ここはかつて偉大な小説家・重松時子が暮らし、そして亡くなった場所。年に一度、彼女を偲んで3日間をここで過ごす…というのが、4年前に時子が亡くなって以来の定番となっていた。しかし今年の集まりは、「時子は殺された」というメッセージから始まり、穏やかでない出来事が次々と起こる。果たして時子の死の真相とはーー? 彼女は本当に誰かに殺されたのだろうか?

空気感

私はこの本の空気感がとても好きです。居心地が良い、というのでしょうか。この空気に浸っていたくて、きっと何度も何度も読み返しているのでしょう。

ただ、あらすじだけを読むと、「殺人事件(かもしれない)の空気感が好き…?」とやや引かれてしまうかもしれません。

たしかに、文庫本の裏には「長篇心理ミステリー」と書かれています。謎の手紙や数々のトリック、そして謎解きと、ミステリーの要素は満載。ただ、個人的には、この本のことをミステリーだとは思っていないのです。

それはきっと、5人の女性たちがつくる空気感のせいです。

彼女たちはそれぞれ秘密を抱えていて、ふとしたことを皮切りに、ここぞとばかりに告白や告発が続きます。ただ、ネチネチした暗さがありません。言うだけ言ったら「はい、この話は以上!」とばかりに切り替える。翌朝にはまた笑顔で食卓を囲む。

私は彼女たちのそういうあっけらかんとした振る舞いがとても好きです。それに、腹に一物を抱えていながらも関係を続ける(続けなくてはいけない)というのは、現実的だなぁとも感じます。

現実的といえば、彼女たちの会話のテンポもそんなふうに感じます。この本の大半は、5人の女性たちのおしゃべりで占められています。この会話のテンポがとてもリアルだなぁと。

もちろん謎解きのようなシリアスな話も出てきますが、彼女たちは世間話もたくさんします。仕事の近況、お見合いの顛末、知人のゴシップ…。

次々に話題が移り変わり、ふとした時に沈黙が落ち、ささいな言葉にドキッとさせられるーー。現実でも日々起こっていることです。延々と真面目な話をしていることって、意外にありませんよね。真面目な場面だからこそつい茶化してしまったり、自分の世界に入ってしまったり…。

そんなふうにリアルだから、目の前で、彼女たちがしゃべっている声が聞こえるような気がするのかもしれません。

こういう会話は、「木曜組曲」に限らず恩田陸さんの作品全般の魅力だと思っていて、大好きなポイントなのです。

美味しそうなごはんとお酒

よく食べ、よく飲む。恩田陸さんの作品には、こういうエネルギッシュな人がたくさん出てきます。

この本も例外ではなく、5人の女性たちの前には、響きだけでよだれが出てきそうなメニューが並んでいます。

たとえば、ほうれん草のキッシュ、海苔と切り干し大根の胡麻酢サラダ、クラム・チャウダー、鯛すき鍋。

しかも、これらはすべて料理上手なえい子さんの手づくりなのです。出来立てのごちそうが目の前に次々と並ぶよろこびといったら…。

そして、料理に合わせるのはもちろんお酒! せしめてきたドンペリで乾杯したかと思えば、それぞれがビール、ワイン、ジンと勝手に好きなお酒を飲み出します。

ああ、毎晩こんな料理が食べられたらいいのに。私もここに混ざって食べたり飲んだりできたらいいのに。読むたびにそう思います。

料理を主役にした物語はたくさんありますが、この本はそうではありません。でも、この料理やお酒があるのとないのとでは、まったく違う物語になっているはず。

恩田陸さんご自身も、食べること・飲むことがとてもお好きなのだそうです。だからこれほど魅力的なメニューを描くことができるのでしょうか。

身近なところにある怖さ

玄関にかかっている絵画、居間に置かれた花瓶、キッチンのパスタ鍋。

どれもなんてことはないものです。でも、たった一言で、ほんの一瞬で、ゾッとするものに見えてくる…。恩田陸さんは、そういう日常の中にある恐ろしさを描くのが本当に上手だな、と思います。

たとえば、どれだけ慣れ親しんだ場所だったとしても、過去に凄惨な事件が起こっていたと知ったら、これまでと同じ気持ちで通うことはできないでしょう。その場所に愛着があればあるほど、その愛情と恐怖とがくっついて、余計に恐ろしく感じることもあるのではないでしょうか。

それは場所だけでなく、人にも言えること。長い付き合いの親友の顔が、ふとしたことでまったく違う人のように見えてくることもあります。

何年も通った洋館、気の置けない友人たち。怖いことなどないはずなのに、だからこそ、何かが起こった時には心から震え上がるような感覚になる…。そんな怖さがたまりません。

私だけの秘密

この物語は、彼女たちの告発と告白でストーリーが進行します。感情がほとばしり、一触即発のヒリヒリした空気になることも。

でも、現実と同じで、彼女たちも自分の100%をさらけ出しているわけではありません。やっぱり言えないことを抱えたまま、洋館を出て行きます。

誰にも言えないことを抱えて、それでも毎日は続いていく。そういう、どこまでもリアルな物語だから、私はこんなにも好きなのかもしれません。

感想文を書いていたらまた読み返したくなってしまいました。何度読んでも飽きない物語に出会えたなんて、なんて幸福なことか…。もし手に取ることがあったら、ぜひあなたの感想も聞かせてください。


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