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『 南麻布に引っ越して 』

父がカタギになったのをきっかけに

千葉の富津から、港区の南麻布に引っ越しをした。

父と母は、赤坂で、

エル・グレコ

と、いう名前の高級喫茶店を始めた。

僕は初めての転校で、右往左往していた。

まったく見知らぬ土地、初めての学校

よくわからないまま、小学校三年生を迎えた。

妹は近くの幼稚園に行って、

帰りは、麻布十番に住んでいる伯母さん(父の兄に奥さん)が

迎えに行ってくれた。

両親の帰りは遅かったので、夕飯は毎日

近くの蕎麦屋(長寿庵)か、中華屋(新香飯店)から出前をとった。

僕が妹に食べたいものを聞いて、電話をかける。

出前が来ると、引き出しからお金を払い、

ふたりで食べた。

ときどきお兄ちゃん(従兄弟)が来て

一緒に出前を食べたり、宿題をみてくれたりもした。

前々回あたりで、転校した"軍隊"のような小学校の話しを書いたので

今回は、そこは省くことにする。

四年生からは、高学年というのもあり

麻布での生活に慣れてきたのもあって、学校以外では

伸び伸びと暮らしていたと思う。

友達と、麻布十番の網代公園や、

広尾の有栖川記念公園でも、よく遊んだ。

友達と遊ぶのも好きだけど、ひとりで行動するのも好きだったので

渋谷の「東急文化会館」にをよく映画を観に行った。

もともと、引っ込み思案で、母がいないと

何も出来なかった僕なのだが、その頃と比べて

南麻布に行ってからは、子どもだけで

やらないといけないことが、とても増えた。

それによって、大抵のことはできるようになった。

小5の男の子が、南麻布からバスに乗って渋谷に行く。

行くときは『渋谷行き』というバスに乗ればいいから簡単だが

帰りはとても難しい。

渋谷のバスターミナルには、たくさんのバスが停まっていて

僕が降りる「二の橋」という停留所に停まるかを

いろんな運転手さんに聞いてまわる。

言い忘れたが、映画を観た後、お腹が減ってるので

(映画と言っても、ガンダムとか、明日のジョーとか、たまに007とか、ほとんどはアニメだ)

センター街に行き、ラーメン屋さんで、ラーメンを食べてからバスに乗った。

今思うと、ませた小学生だ。

幸い、お金に関しては、あれこれ言われなかったので

それだけは良かったと思う。

毎晩、親がいないのは寂しかったが、

それが"我が家"なのだから仕方がない。

そう言い聞かせて、我慢した。

それでも、母にはかなり迷惑をかけた。

僕は南麻布に越してから、持病の喘息が悪化して

発作を起こすことが多かった。

できるだけ我慢をするのだが、どうしても辛いときは

エル・グレコに電話をして

そうすると、母がクルマで迎えに来てくれて

病院に連れて行ってくれた。

東京タワーの近く…

えっと、確か「済生会中央病院」だったと思う。

ときどき、日曜日とかに発作で、急患で行くと
(エル・グレコは日曜定休だった)

「太陽に吠えろ」のロケを、病院内でやっていたのを覚えている。

僕はその、済生会中央病院に、毎年2〜3回は入院をした。

気管支炎や、肺炎などで。

とても厳しい病院で、付き添いはなし、

面会は1日10分。小3のときは毎晩泣いていた。

窓から見える東京タワーと、

電飾が変わっていく、バヤリースの看板を

毎晩、ずっと眺めていた。

そんな感じの、港区立東町小学校時代の話でした。

追伸 エル・グレコは、とてもお洒落で、赤い絨毯の店内だった記憶がある。

そして、立派なソファー席がたくさんあった。

岡山の倉敷あたりに、エル・グレコという有名な喫茶店があるらしいが、両親がやっていたお店とはまったく関係ありません。

富津の「海猫珈琲屋」のコーヒー
海猫珈琲の店内

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