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名前の呪いと祈り

(※名称はフェイクを含んでます)

 私の旧姓は月島という。
 名前は太陽の陽に美と書いて「はるみ」。

 小学生の頃に自分の名前の由来を調べる授業があって、名前の由来を尋ねたことがある。
 その時に父親が、その頃で10年くらい前になるだろう、チラシの裏に名前の候補を書き連ねたものをタンスの引き出しから出してきた。

 それを覗くと、たくさんの名前が書いてあるなか、その真ん中に「陽美」の名前が大きく書かれていて丸がつけてあった。

「こんなにたくさん考えて陽美の名前にしたんだよ。太陽のように明るい好かれるひとになるように」

 そう言われて、そのチラシの束を見せられた時は、なんだか誇らしい気持ちになったのを覚えている。
 この名前は愛されていることを形にしたものだったんだ。

 まぁその数年後に、はるみという名前のタレントだったかが好きだったという話を聞くことになるのだけれど。


 ◆


 月日は流れ、私は23歳になっていた。

 地元の大学を紆余曲折ありながらも卒業し、就職したところはなかなかのブラック企業だ。

 小さな会社で定時なんてあってないようなもの。
 地方の中小企業の悪いところを煮詰めたような、残業代も支払われず、男尊女卑がひどい。それでいて勤めているひと達は男でも女でも、そんなことに全く気付かないで強要してくる。

 毎日21時~24時くらいに帰宅する日々のなか、半年程経った頃、職場の7歳年上の同期入社の男性に目を付けられ、帰宅するとその男性から毎日のように電話がかかってくるようになった。

 そしてその電話で「今日のあの時の態度は良くなかった」「月島さんが外出した時、T山さんが月島さんのことを良く言ってなかったからもっと気を付けた方がいい」
 という、ありがたーーーーいアドバイスをしてくるのだ。

 もう端的に言って地獄。

 若かった私は、何かおかしいと思いながらも、彼は私を心配して言ってくれているんだと思ってその電話に応じていた。
 でもそんな裏話を聞かされた次の日は、会話に登場してきた上司と接するのが心底恐ろしかった。
 そして彼に一挙手一投足が見咎められるという日々は、私の精神を順調に追い詰めていった。

 なんだか毎日消えてしまいたい、明日になったら会社燃えてないかなあ、そんなことを思っていたある日

 3歳上の兄の結婚が決まった。


 ◆


 3歳上というと、中学校でも高校でも、私が入りたてぺーぺーの周りもなにもわかりませんという1年生の時に、最高学年の先輩として君臨している歳だ。

 そんな兄は生徒会で会長をしたり、バスケ部の部長をしていたり。
 オシャレに気をかけるのも早かったし、スポーツが得意だった兄は、当時の私にとっても憧れの存在だった。

「陽美のお兄ちゃんいーなー」

 時折かけられるそんな言葉を、私は誇らしく聞いていた。
 そうなの、うちのお兄ちゃん、なかなかいいの。

 昔はそんな風に思っていたはずの、そんな兄の結婚。

 都会の私大に進んでいた兄は、付き合っていた彼女と大学の頃から同棲をしていた。
 7年くらい付き合い、最悪なことに兄がスロットで借金を作り別れる別れないという悶着をしていたその時に、子どもを授かっていることがわかったという。

「まぁ男のけじめっていうやつだな」

 電話でそんな報せを聞いたその時、私の中の兄に対する憧れはもう殆ど残っていなかった。
 口でおめでとうと言いながらも、あぁ面倒だな、そんなことを思っていた。


 ◆


 兄の大学進学・卒業と、私の大学進学。
 その数年の間に我が家の経済事情はかなりひっ迫していた。
 急に何かが悪くなるでも、苦しくなるでもない。
 でも徐々に前は出来ていたこと、許されたことが出来なくなる、そんな感覚。

 子どもからすれば、目をそらそうと思えばそらせるような、そんな風に徐々に家計が苦しくなっていくのを感じていた。


 その原因は、もともと自営業で小さな会社を営んでいた我が家の、時流により売り上げが激減していたこと。
 そして当時祖父が亡くなり、いきなり現れた初対面の父の異母兄弟。
 祖父の財産分与に揉めて、裁判により多額の慰謝料を請求されたことに端を発するものだった。

 私が地元の大学に進学するときには、親に多額の奨学金の借り入れを勧められた。
 それは、地元の大学に進学する私にとっては必要のない程の金額だったのに、当時の兄の学費の足しにもするからと説得をされた。

「そんな額なんて返せないから嫌だ」
「大丈夫、お父さんが返すから。お前に返させたりはしないから」

 そう言われて、若いというよりも幼い思考だった私は、不承不承借り入れの書類にサインをした。父親のその言葉を信じて。

 けれど、結局のところ返すも何も、それ以前に実際にその殆どは私に使われることはなかった。
 実家に住んでいた私が稼いでくるバイト代、そして月々20万近くになったその奨学金は、事業の資金繰り、実家の家計、そして兄の仕送りへと消えていったらしい。

 そんな風に奨学金を私の学費を工面することなく使い果たしていたので、大学を卒業するときにも当然ひと悶着があった。

 家を出ていた兄は、そのどんな時も、心配して手を差し伸べてくれるようなことはなかった。
 それどころか「今月厳しい」そんなことを電話してくる兄だ。

 父親は離れて暮らす一番手を掛けていた長男からのそんな電話に、いくら家計が厳しくてもお金を振り込む。
 そんな父親と兄の関係をどうしようもなく疎ましく思っていた。


 結婚そして両家の顔合わせ。どんな面倒ごとが起こるのか、としか思えなかった。


 ◆


 兄の妻になる女性の実家は、事業を営んでいた。
 兄にとって義父となるひとは、以前話を聞いた時の印象では如何にもガハガハ系の社長! といった感じだ。

 だけれど我が家とは違って羽振りはいいらしく、結婚式はしないものの親族の顔合わせを彼女の実家に近い一流ホテルの一室で行うという。
 有難いことに、我が家の宿泊費もすべて負担してくれるということだった。

 かくして冬のある日、月島家の両親、私、弟、そして妹の5人は電車を乗り継ぎ会場に向かうことになった。
 メーカーに勤めていた弟と、まだ学生の妹と。そんな家族そろっての移動は、成人してからは初めての旅行だったと思う。
 学生の妹は楽しそうにしていたし、呑気な母と、いつも自分勝手な事ばかり言う父も、兄の結婚に、この旅行に浮かれている。
 旅行中、そんな家族を眺めながら、私はお金にまつわるいろんなことがあったけれど、この家族のことを憎いとは思っていないなと思っていた。


 両家顔合わせの食事会は、広い30畳ほどの洋室で行われた。
 大きくとられた窓からは雪を纏った庭園が見え、こんな豪勢なホテルの食事に、今日来ていたカジュアルなワンピースじゃちょっと場違いだったかなと気恥ずかしくなった。

 兄と彼女は気恥ずかしそうに微笑んで座っているばかりで、初対面のガハガハ父達の会話をとりなすでもなく、場は淡々と進んでいく。

 そしてその場の雰囲気に、やらなければいいのに、私の少ないブラック企業での社会人生活で培ったスキルを駆使し、私は兄の義父と義母に酌をしにいった。

「うちの母は口下手なので、義母さんとお話ししたいと思うんですがなかなか声をかけられないようなんです。是非お話してみてください」

 そんなことを言いながら。

 それでも私がそんなに働かなくても、杯が進むにつれ会話は盛り上がっていった。
 ガハガハ父 VS 口八丁の父

 気が付けば、うちの父親の家族紹介が始まった。


 ◆


「長男の孝雄は小さい頃から本当に手をかけたんですよ。野球、水泳、柔道、陸上と興味を持ったスポーツは何でもさせて、塾もそろばんも行かせた。彼は本当に優しいいい男ですよ」

 父親は兄をそんな風に称した。
 そんな風に褒められてはいるけれど、兄は過干渉ともいえる父親の支配によって、自分では何も決められないところがある。
 兄の進学も就職も、最終的には父親が決めた。
 今となって兄を見れば、優しいといえばそれまでだけれど、己で主張したりできず、ひたすらに長い者に巻かれることに長けているひとだと思う。
 兄と彼女の結婚前の悶着を知っているだけに、その言葉は私にとって鼻白むものだった。

 そして父親は私の紹介を始めた。

「長女の陽美です。地元の大学に通って、今は金融系の会社で勤めています。この子は頭はいいけれど器量がそこそこで。まぁ親からすると女の子だから可愛くってねぇ」

 それ全然褒めてないじゃん。
 苦笑しながらも、向こうの家族に向かって頭を軽く会釈をした。

「うちの苗字は月島。そしてこの子は太陽の陽という漢字を使った陽美。月と太陽のように、結婚したとしても家から離れず、ずっと傍にいて、ゆくゆくは面倒をみてほしいと思って付けた名前なんです」

 ――それ、初めて聞いたけど。

 聞きようにとってはいい話なのか?
 それ聞いて、まぁそれはいい名前ですねってなる話なのか?

 でも、その時の私からすると、ひどいことをされて、それでも憎めずにいた想い、その鎖を具現化したものがこの名前なんです、そう紹介された思いだった。
 浮かべた笑みは絶対に引きつっていたけれど、それに気が付くひとは誰もいない。

 酔った父が調子に乗ってうまいこと言ったつもりなのかもしれない。

 そう思いこもう、意味はない。そう言い聞かせながらも、腹部に見えない鉛の弾を押し込められた気分になった。

その後一応は和やかに酒宴は進んだけれど、詳細は覚えていない。


 ◆


 釈然としない思いを抱えながらも無事顔合わせを終え、そのホテルに一泊した。
 次の日は妊娠中の彼女は実家に残り、兄と共に一通りの観光をすることになり、父親は終始ご機嫌だった。
 そして夕方になるころ、兄の見送りのもと、駅で別れようとした時だった。

「俺、今日これから飲み会なんだよね」

 兄が父にそう言った。
 当時、父親は自己破産の準備を進めている時で、手持ちの現金は全て母が管理していた。
 特に兄のその言葉に他意はなかったのかもしれない。
 それでも兄の言葉を聞いた父は、弟に何かを話しかけた。
 今のうちの家族で一番収入を得ていて、実家に何かと援助をしているのは弟だ。

 そして私たちが見ている前で、弟が出した5千円札を、父は兄に手渡した。

「じゃあな、元気でな。彼女の身体を大事にしてな」

 少しばかり涙ぐんで父はそう言って、兄の背中を叩いた。

 私のこれまでと、そして今と。
 家族のこれまでと、そして今と。
 父親には兄だけが大事にするべき子どもで、それ以外の私達は、私は、なんなのだろう。

 結婚しようと、傍にいろ。傍で面倒を見ろ、そんな思いを込められた私は。

 親からの援助もなく一人暮らしをして、そして働いたお金を仕送りしている弟は。

 父親によって整えられた道を歩む兄と、そしてそれを整える為に使われる私たち。

 それがくっきりと見えてしまった。本当は前から知っていたのだけれど、改めて突きつけられた。どうしようもなく込み上げる思いは、怒りではなかった。ただひたすらに、悲しかった。
 入ったトイレの個室で、涙をこらえることができなかった。


 ◆

 それから数年後、私は結婚して、男の子を産んだ。
 そうして名前をつけようとすると、どうやってもあの日のことを思い出してしまう。

 あの日のことは誰にも言えなかった。
 誰に言ったとしてもうまく伝えられる自信がなかったし、家庭の経済状況を話すのもはばかられたから。

 夫にもうまく伝えることができなかった。もちろん家の事情は伝えて知っていたけれど、こんな話をして、父親に対して怒って欲しくなかったから。

 私はこんなこんなことをされてもまだ尚、親のことを憎いとは思えていなかった。夫も私の親のことを嫌いになってほしくない、まだそう思ってしまう。
 でも、陽美という名前は、その由来はその日から私のなかで、深いところに沈む澱みになってしまった。

「太陽のように」

 このフレーズはもう誰に名前を伝える時にも、使えない。
 太陽だと、自分が月島家にとっての太陽だと認めたくないからだ。


 長男が産まれたその日、病室から見上げた空は、建物に挟まれ小さくしか見えなかったけれど、晴れ渡りどこまでも青かった。
 私は、この産まれたばかりのほにゃほにゃな赤ちゃんを、私の事情で縛ることは絶対にしたくないと思った。

 彼は私を通過して出てきた、私ではない他人だ。

 18歳を過ぎたら、それよりも早いかもしれないけれど、家を出たら、もう一緒に住むことはないだろう。

   私の人生を彼に背負わせるような、彼の行くてを阻むことだけは決してしてはならない、そう強く思った。
 私は私で幸せになるから、いや貴方がきてくれただけでもう大分幸せだから。こっちのことは気にせず行ってください。いつか貴方が行くそこが、もう私と会えなくなる場所だったとしても。どうかそこで自分が幸せになるということを決して諦めないで。

 安心して彼がどこまでも望むままに進んでほしい。そう願って「翔」の字がついた名前を付けた。

 未だ親との関係にはしこりの残る私にとって、私の名前の響きは重い枷を思わせるものになってしまったけれど。
 この子の名前は、この子には、そんなものを背負わせたくない。

  そんな決意にも似た思いをこめて、今日も彼の名前を呼ぶ。


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