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Claude映画分析:障害者は親失格?I am Samに学ぶ脇役の使い方

Claudeで映画分析シリーズ

この映画の学び:観客の代理人を散りばめる

  • 抽象的なテーマは原始的なテーマと結びつける(身体障害者への偏見という抽象的なテーマを親子愛というピュアで原始的なテーマと結びつける)

  • 観客の代理人を何人も配置する(自分も偏見を持つ一人だと実感させる)

  • 破滅の中を、主人公は自分の力で立ち上がる

I am Samについて

『I am Sam』は2001年に公開されたアメリカ映画で、知的障害を持つシングルファーザーのサム・ドーソン(ショーン・ペン)と彼の娘ルーシー(ダコタ・ファニング)の感動的な親子関係を描いています。

サムは知的障害を持っているため、ルーシーが7歳になると彼女の知能が父親を追い越してしまいます。

その結果、児童福祉局がルーシーの親権を問題視し、サムから彼女を引き離そうとします。

サムは親権を失うことになりますが、プロボノで引き受けてくれた弁護士リタ・ハリソン(ミシェル・ファイファー)の助けを借りて、裁判で戦います。

この映画は、障害を持つ人々が直面する偏見や困難、そして無条件の愛と家族の絆の力を描いており、多くの観客に感動を与えました。

ショーン・ペンの熱演が高く評価され、彼のキャリアの中でも特に記憶に残る役どころとなっています。

細かいことは抜きにして、個人的な泣ける映画のトップです。ほっこりなのに号泣できます。

シナリオ13フェーズ分析:

ではここでClaudeにシナリオ分析をしてもらいます。


背景

  • サムは知的障害を持つシングルファーザーで、娘のルーシーと一緒に暮らしている。

  • サムは娘を深く愛しているが、知的能力に限界がある。

  1. 日常 サムとルーシーの日常生活が描かれる。サムは娘の世話を精一杯しているが、時々ミスをしてしまう。

  2. 事件
    ルーシーが7歳になり、サムの知的能力を超えた成長を見せ始める。児童保護局がサムの子育て能力を疑問視し、ルーシーを保護する。

  3. 決意
    サムは娘と一緒に暮らし続けるために、裁判で自分の親権を守ろうと決意する。リタ(弁護士)に依頼し、法廷闘争に臨む。

  4. 苦境
    裁判でサムの親権を主張するのは容易ではない。サムは自分の能力不足と向き合わなければならない。

  5. 助け
    リタがサムの味方となり、彼を法的にサポートする。サムの友人や近所の人々も彼を応援する。

  6. 成長・工夫
    サムは娘との時間を大切にし、親としての成長を見せる。リタもサムとの交流を通じて、人間性や価値観の変化を経験する。

  7. 転換
    裁判所はサムの親権を認めない判決を下す。サムはルーシーと引き離されてしまう。

  8. 試練
    サムはルーシーなしの生活に苦しむ。リタは上訴を決意し、サムの親権回復を目指す。

  9. 破滅
    上訴審でもサムの親権は認められない。サムは絶望し、娘を失ったと感じる。

  10. 契機
    リタはサムの人間性と愛情を証明するために尽力する。周囲の人々もサムを支援し、彼の良き父親としての側面を訴える。

  11. 対決
    最高裁判所で、サムの親権をめぐる最終審理が行われる。リタは感動的な弁論を展開し、サムの父親としての資質を主張する。

  12. 排除
    最高裁はサムの親権を認める判決を下し、サムとルーシーは再び一緒に暮らせるようになる。障害を持つ親の権利と子どもの幸せについての社会的偏見が取り除かれる。

  13. 満足
    サムとルーシーは幸せに暮らし、周囲の人々に支えられている。リタはサムとの経験を通じて、人間性と多様性の大切さを学ぶ。映画は、障害を持つ親の愛情と権利についての理解を促すメッセージを伝える。


もう読んでるだけで涙が出てきました…。サムが本当にピュアで、真っ直ぐで、その分人よりも傷ついて、それなのに立ち上がって娘との時間を勝ち取る。

元々ミスだらけなのに子連れで勤務。トラブルの予感しかしない

個人的にベストな映画の一つです。登場人物もみんないいんですよ。偏見持ってる人もいるんですが、みんなサムの心に感化される。

長い感想文書いてしまいそうなので、心を鎮めて分析します。

この娘がまた天才かつお父さん思いという神がかった設定

でも、子供との知能の差という時限爆弾が2.事件でセットされて物語に方向性が見えます。

6.成長・工夫が絶好調であるのがセオリーですが、ちょうどこのまま勝てるかも?って感じですね。

9.の破滅では、あれだけすべてにポジティブだったサムが打ちひしがれて、それを弁護士のリタが叱咤します。最初はプロボノとして名を売りたいだけだったのが、サムの親としての愛情に一番影響を受けていた彼女がこの窮地を救う役割になりました。

Claudeの脚本分析:

アイ・アム・サムの脚本について、以下の3点が特に秀逸だと考えられます。

  1. 主人公の内面的成長と周囲の人々の変化を丁寧に描いている
    サムは知的障害を抱えながらも、娘への愛情と親としての責任感を持って奮闘します。裁判を通じて自身の能力と向き合い、親としての成長を遂げていく姿が丁寧に描かれています。
    また、弁護士のリタやサムの周囲の人々も、サムとの交流を通じて人間性や価値観の変化を経験します。登場人物たちの内面的な成長が、物語に深みと感動を与えています。

  2. 社会的テーマを個人の物語に落とし込んでいる
    この作品は、障害を持つ親の権利や子どもの幸せについての社会的偏見を扱っています。しかし、そのテーマを抽象的に語るのではなく、サムとルーシーの親子の物語に落とし込むことで、観客により身近に感じられるようにしています。
    個人の物語を通して社会的メッセージを伝えることで、観客の共感を呼び、テーマへの理解を促しています。

  3. 試練と回復のストーリー展開が感動を生んでいる
    サムは裁判で敗訴し、娘と引き離されるという絶望的な状況に陥ります。しかし、リタや周囲の人々の助けを借りて再び立ち上がり、最高裁で親権を勝ち取ります。
    この試練と回復のストーリー展開が、サムの愛情の深さと周囲の支援の強さを印象づけ、観客に大きな感動を与えています。

以上のように、『アイ・アム・サム』の脚本は、主人公やその他の登場人物の変化を丁寧に描き、社会的テーマを個人の物語に落とし込み、感動的なストーリー展開を用いることで、秀逸な作品となっています。


学ぶポイント

抽象的なテーマは原始的なテーマに結びつける

身体障害者に対する偏見というのは、様々な形であります。無意識なものも、意識して憎しみを持って表現してくる人もいます。
重要なテーマだとは思いますが、なかなか多くの人には遠い世界であり、イメージや実感のしづらいものでもあります。

このアイ・アム・サムが心うつのは明らかにサムとルーシー(娘)のまっすぐな家族愛です。

愛してるのに、知能が低いから親権剥奪とかあんまりですよ…

原始人にも分かるテーマで、しかも知能障害の親と天才の子供、子供のほうが頭がいいということは親失格、という緊張感のあるセッティング。

親に求められるのは知能か愛か、というある意味分かりきったテーマですが、裁判というシリアスな場でキリキリ戦うことで、サムがどれだけ愛に満ちているかが伝わってきます。

観客の代理人を散りばめる

アイ・アム・サムには名前のない一般人でも印象に残る人物が多く登場します。

たとえば靴屋の店員。ルーシーの靴を買おうとするサムだがお金が足りない。周りの友人がお金を持ち寄って助けるがまだ足りない。

困った顔をしてるんですが、明らかに足りないのに「ちょうど、お預かりします」っていって売ってあげるんですよね。

これは一般的な人であればやっちゃうんじゃないでしょうか。もう、しょうがないなって。あんなほっこりするシーンを見せられたら、いいよいいよ持ってってって言いたくなります。

靴買ったあとのご機嫌な一行

身体障害者の主人公に直接感情移入するのは少しハードル高いですが、序盤でこういう一般人を出して、彼らに観客の代理人をやってもらい、主人公と近くなることでスムーズに主人公にも感情移入させていく、という手法に感じます。

主人公は破滅の中、自分で立ち上がる

脚本家ブレイク・スナイダーは、主人公は自分で運命を切り拓かなくてはならないと言っていました。

サムは絶望の中に沈んでいますが、その彼を救うのはリタです。しかし、リタの役割は自分がいかにサムに変えられたのかを伝えること。過去のサムのメッセンジャーでもあります。

彼にはその気はなかったかもしれませんが、もがきにもがいてきた彼に感化された人たちが次々に味方になっていく様は見ていて気持ちいいものがあります。

まさに11.対立, 12.排除といったクライマックスを綺麗に描いています。ルーシーを養子として預かろうとしていた夫人でさえ、サムとルーシーの絆の深さに心打たれて味方になってくれます。

主人公らしい主人公ですね。

類似した手法の作品:

似たような脚本の工夫が用いられている作品としては、以下のようなものが挙げられます。

レインマン

自閉症を抱える兄と弟の物語。主人公の内面的成長と、周囲の人々の変化が丁寧に描かれています。障害への理解や家族の絆というテーマを個人の物語に落とし込み、感動的なストーリー展開を見せています。

ミリオンダラー・ベイビー

女性ボクサーの成長と挑戦の物語。スランプからの復活や、トレーナーとの師弟関係など、主人公の内面的成長が丁寧に描かれています。女性のエンパワーメントや年齢差別などの社会的テーマも、個人の物語に反映されています。

グッド・ウィル・ハンティング

天才青年の自己発見と成長の物語。心の傷を抱える主人公が、心理学者やガールフレンドとの出会いを通じて内面的に成長していく姿が描かれます。社会的な階級格差のテーマも、個人の葛藤として描写されています。

これらの作品は、主人公の成長や変化を丁寧に描き、社会的テーマを個人の物語に反映させ、試練と回復のストーリー展開によって感動を生んでいるという点で、「アイ・アム・サム」と共通した脚本の工夫が見られます。


どれも兄弟愛、師弟の絆みたいなものと一緒に誤解されやすい障害や天才の孤独を扱っていますね。
どれも試練からの立ち上がりが見事です。

特にグッドウィルハンティングは、恩師にしか理解しえないウィルの内面をじっくりじっくり掘り起こして回復させる、他とはまた違った克己の仕方をします。

これもいつか映画分析で扱いたいですね。

まとめ

アイ・アム・サムは、もう分析とかどうでもよくなってしまうくらい良い映画です。

が、こうやって分析してみるとそれぞれの登場人物の重要性が見えてきますね。

障害者の日常を書き切る、社会が自分を親失格だと言う(そして観客にも「ま、でも確かに一理あるか…」と感じさせる)、裁判の内外で障害と親の資格は関係あるのか?あるかも?なくない?といった葛藤を描ききるために必要なキャラが配置されていたと思います。

漫画を描く際には、読者にもテンポよく葛藤させるためにもこういった脇役の配置に気を使いたいですね。

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