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お酒に対して誇れる飲み方ができる女になりてえ

お酒が好きです。大好きです。大学生、会社員、フリーランス、ちいさな会社の代表へと立場が変わり、住まう場所も東京から北海道へと変わり、その間かぞえきれないほどの趣味の変化がありましたが、お酒は一度も手放したことがありません。

お酒を呑んでいる時間はほんとうに楽しい。それが赤提灯の居酒屋であれ、お洒落なバーであれ、自宅のテレビの前であれ。一人か二人か多数かも問いません。お酒がそこにあれば基本的に上機嫌です。

しかし、いい思い出ばかりでもありません。中には思い出すたびに顔を覆いたくなるような恥ずかしい酔い方をしたこともあるし、周りに迷惑をかけたことも、ときに人間関係を壊してしまったこともあって、お酒がなければ…もうお酒なんて呑まない…とうずくまった日もあります。たぶん片手じゃ足りないくらい。

でも先日、とても楽しいお酒を楽しむ時間を味わえて、ふと気づいたことがあります。

ああ、失敗の要因はお酒じゃないわ、自分だわ、と。

私はお酒に何を求めてるんだろう、と改めて考えたわけです。なぜ好きなんだろう、なぜ欲しがるんだろう、と。そうして振り返ると、もともと私はお酒の味わい深さと、得られる快感が好きなんです。

お酒ってほんとうにいろんな味と香りを楽しめますよね。蒸留、発酵、熟成…あまり専門的なことはわかってないけれど、あらゆる手段をつかっておいしさの限界突破を求めた先にある結晶ですよね。私はハーブの香りが絡まり合うお酒や、がつんと苦味や重みが来るお酒が大好きなんですけど、もうこれはただ味覚だけで楽しむものじゃなくて、なんだろう、全身で感じる冒険?みたいな喜びがあるんですよね。新しいものに出会いたいという欲求を、こんなに満たしてくれるんです。たった一杯のお酒が。

そういう冒険を求めて呑むお酒では、一度も悪酔いしたことないんですよ。どんなに度数が高いお酒を呑んでも、量が多くても。

一方、悪酔いするときは決まって、自分を壊したいという衝動が前提にあるんですよね。

私はもともと自分自身の価値みたいなものがほんとうに感じられない心を持っていて、燃えるゴミの日に自分のことを捨てる想像をしても全然違和感がないタイプで。そういう人間が、たとえば自分のエゴと折り合いがつかなくて誰かを傷つけてしまったとか、仕事でミスをして誰かに迷惑をかけたとか、そういうシチュエーションに立たされると、もう自分のことを壊したくてたまらなくなるんですよね。

そういうときに、一番簡単に自分を痛めつけられるのがお酒なんです。あと煙草か。どっちも合法で短期的に死に至る可能性が低い手段なので、一時的な罰としてはちょうどよいんです。

脳がどろどろに溶けていくのを感じながら安酒をストレートでがんがん入れていくプロセスで、自分をいい加減に扱って、こんな自分は大嫌いだと笑いとばすことで、なんとか自分を許すきっかけを見出そうとしてるんだと思います。

全然違う用途で、おなじお酒というものに頼っているんだな、私は。と、昨日ほんとうに美味しいお酒を心から楽しみながら、気付きました。できれば悪酔いするための手段としてお酒をつかうのは、もうやめたいなあ、とも。

これを単に「自分を大切にする」という方向で解決するのはなかなか難しいんです。それがすぐできてりゃこんなに生きるの大変じゃないさ。

一方、どのお酒も未知への冒険として楽しみ尽くしたい、お酒と私の関係性を大切にしたい、という方向なら、わんちゃんいけるかもな、と思えました。私を破壊する、罰する手段としてつかうなんてお酒に対して失礼だわ、というスタンスですね。

ということで、私は「お酒に対して誇れる飲み方ができる女になろう」と思いました。お酒をつくってくれてる方々に感謝しつつ、未知への冒険をくれるお酒を尊みながら、飲む。これをわざわざ目標に立てたことなんて忘れる頃、私は私を大切にできてるかもしれませんから、それも楽しみにしつつ。

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