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映画『BLUE GIANT』鑑賞前・中・後の記録

映画『BLUE GIANT』を観てから約1カ月。あえて時間をおいたからこそ言えることがあります。こんなに自分が変わった映画、初めてです。どのくらい変化があったかというと、ダイエットサプリの広告に出てくるビフォー・アフター画像くらい変わった。でも残念ながら体型は一切変わってないので、その変化を伝えるべく、ビフォー・アフター画像ならぬビフォー・アフター文章を書きたいと思います。

『BLUE GIANT』鑑賞前

私はパートナーさんに激推しされて原作の漫画を読むところから『BLUE GIANT』にのめりこみました。

漫画もすごく面白いです、ぜひ。

この物語は、めっちゃ簡単に言えば「ジャズに魅了された一人の男がサックス片手に世界一のジャズプレイヤーをめざす冒険」です。

この物語を読む前のわたしのジャズに対する知識・経験は、“ちょびっと”くらいでした。親友がジャズシンガーなので何度かライブを聴きに行ったことがあるのと、なんだか唐突にジャズ聴きたいなと思ってSpotifyのジャズリストを流すくらい。名前と音が一致してる唯一のアーティストはロバート・グラスパー。理由わからんけど超好き。……ですが、その程度です。

なので、私はこの『BLUE GIANT』をジャズ漫画としてというより、人の生きざまを描く壮大なドラマとして、めっちゃくちゃ好きになりました。猪突猛進な「熱」は人々の人生をかくも鮮やかにするものなのか、と。この作品には「熱」を持つ人と持たない人の両方が出てきて、読めば読むほど「自分はちゃんと熱く生きれているのか?」と立ち返ることができるのです。あと、その「熱」にもいろんな形があって、「自分はどういう形の”熱”をもって生きたいのか?」とも考えました。

そうそう、漫画『BLUE GIANT』は一般的な漫画よりもセリフが少ないです。絵だけでその場の空気を運んでいくシーンが多くて、特にライブのシーンではもう、完全に読者の想像力とのコラボレーションで感動させてきます。手元の書籍という媒体のサイズ感や紙という素材を忘れるくらい、エネルギーが感じられる作品です。

だから、漫画『BLUE GIANT』を読んでいたとき、私は自己内省を深める時間としてこの作品を楽しんでいたし、想像力でこの物語に鳴り響く音や温度を補う体験を愛していました。その読書時間は私にとって本当に豊かな時間ではあったのですが、本を閉じればまた日常に戻る。本を開いていたときに考えた自分自身であるとか、刺激された五感であるとかは、もちろんどこかでは小さな変化につながっていたかもしれないけど、言語化できるほどのものではありませんでした。

さて、『BLUE GIANT』を教えてくれたパートナーさんは、映画化決定の情報がリリースされてからというもの、本当に楽しみにしていたようです。予告動画が上がれば、まっさきに送ってくれました。声優さんや音楽を担当する豪華アーティストの皆さんのリリースが重なるたびに、映画への期待は高まっていきました。ちょっと期待値を高めすぎなんじゃないか、と不安になるほどに。

話はそれますが、映画を観に行くときの期待値コントロールって、けっこう難しくありませんか。チケットを買って観に行くのだから、それなりの感動を得たいと思ってしまうのかもしれません。私のエモーショナル感度は激烈に高いのでなんでも安易に感動しがちなのですが、一緒に観に行くパートナーさんは私と真逆で感度低めの人なので、「楽しみにしてたのになぁ……」みたいなテンションの落ち方されたら嫌だなあ、と鑑賞前はちょっと不安でした。

『BLUE GIANT』鑑賞中

映画『BLUE GIANT』は、雪の降る夜のシーンから始まります。そこにサックスの音が鳴り響いた瞬間。全身に鳥肌が立ちました。

たったの一瞬、開始数分のシーンで、悟りました。ああ、これは「漫画の映画化」って認識で観るもんじゃないな、と。漫画を読んでいたとき、内省したり音を想像していたりした”私”という存在は、大画面に映し出される風景と全身を震わせる音で、吹き飛ばされました。もうここからは、完全に私は映画『BLUE GIANT』の鑑賞者。ただただ感動するためだけにここに座ってて、何のコンテクストもこの作品に結びつけない人になっちゃった、と痛感したのです。

そこからはもう……もうね。声優さんの演技のすばらしさや物語のテンポの良さ、青とポイントで入るオレンジの絶妙な色の表現など、ありとあらゆる映画としての魅力は書くことはできるんだけど、それはプロの映画評論家の方とかすばらしいレビュワーの方とかがいっぱい書いてくれてるから。

私は鑑賞中の「体験」についてだけ話しますね。

私の隣に座ってた、感度低めのパートナーさん。常時鼻ぐずつかせてるんですよ。え、泣いてる?え、かなり序盤から泣いてるよね?と、鑑賞中ずっと気になってしょうがない。『BLUE GIANT』にもちろん集中してたんだけど、そんな泣いてるとこ見たことなかったから、映画館で最高の作品を観るとこの人こんな泣くのか……という発見があって、本当にそれが愛おしくてですね。まずそれが印象に残ってます。

そして、感度低めのパートナーさんがそんなになるんだから、高めの私はどうなったかっていうと、もうね、嗚咽をおさえるのに必死ですよ。マスクの頬にあたってる部分グッショグショ。水たまりできてんじゃないかレベルで泣きました。

特にライブシーンになるとね、もう心臓が持っていかれるような感覚。音がはじけて、光って、演奏する彼らの想いが全身に浸透して、揺らしてくるもんだから、もう耳どころじゃない、臓器まで全部もってかれるんですよ。(※上記に貼ったYouTubeはあくまでサンプルです、映画館じゃないと臓器は持ってかれない)

ライブシーンでは、ちょこちょこ聴衆が口に手をあてて感動したり、泣いたりしてる表情がパッパッパッて抜かれるんですけど、この抜かれるシーンに自分いても全然不思議じゃない。というか、映画の鑑賞者は全員、ライブに来た客にいつの間にかなってたんですよ。メタバースってこれかと誤認するくらい、物語への没入感が尋常じゃなかった。

そして最後の……。いやこれは、具体的には書けないんですけれど、漫画と映画で異なる展開があってですね。もうそこで、私は崩壊しました。感動で人って壊れるんですね。ラストのライブシーンは、もう、物語の登場人物の熱量だけじゃなくて、映画を作ったスタッフの皆様の熱量、そしてこの世界に生きとし生ける者すべての熱量まで全部ぶちこんでかましてきます。

エンドロールが始まったとき、誰一人として立たなかった。というか立てなかったんじゃないか、と思う。鼻すする音がほうぼうから聞こえてくる。終わったときの空気が、これまたすごかった。

『BLUE GIANT』鑑賞後

過去最多のグッズを購入してしまった

そして日常に戻るわけですが、これが不思議なことにですね……『BLUE GIANT』に揺り動かされた心が、熱くたぎっているわけですよ。久しく運動してなかった体で一日中真剣にスポーツしたあとみたいな状態が、心に起こっている。

運動不足のときに運動すると、もちろん筋肉痛がやばいですよね。でもこの筋肉痛が過ぎたらまた前の状態に戻っちゃうのか、ちょっともったいないって思うことありませんか。アレです。アレが心で起こったんです。つまり、こんなに揺り動かされた心が、また日々の中で凝り固まっちゃうのがもったいないって思ったんです。


で、何し始めたかっていうと、まずですね。ピアノのフタを開きました。私、6~23歳までピアノやってたんですけど、久しく触れてすらいなくて。あんなに練習してうまくなったのに、ブランクが長すぎて今は下手っていうのがすごく嫌だったんです。人生の中では一番長く続けられたことで、弾いてる瞬間は本当に楽しい。でも、今は仕事が優先だからとか、どうせ練習時間取れなくてやめちゃうよとか、いろいろ理由をつけて自分からピアノを遠ざけてたんです。

最近は練習動画を撮って確認してます。便利な時代になったものです。

でも、やればいいんですよね。んなこと考えず。玉田を見ろよ、って(※『BLUE GIANT』に出てくる、生粋の努力家です)。彼はドラムに触れて約3ヵ月なのに人前で演奏して、自分の技量のなさに打ちひしがれるんですよ。なんて酷なことだろうって思うけど、そこから「自分がやりたいからやる」と、ひたすらに練習し続けるんです。

あの姿に感動したから、私も「ピアノ、自分がやりたくてやるんだよね」と再確認できました。心のどこかで「誰かに上手いと言われたい」とか「忙しいのにピアノに時間遣って何の意味あるの?」とか思ってたんですよ。でもほんとは、自分のやりたいことに注げる時間があること、誰の目も気にせず弾けることのほうが大切で。だから弾こうって思いました。1カ月経った今も、仕事や家事のかたわら、練習を続けてます。好きな曲を、時間のあるときに。


それから、仕事に向き合う自信がつきました。私は業務時間の大半が文章を書く時間で、その文章を書くために取材している時間が次に長いのですが、人生の大半を占めているこれらの時間が、自分にとって「プロの時間」なんだと認識したんです。

『BLUE GIANT』の主人公・大は、登場する誰よりも圧倒的に練習時間が長いんです。ひたすら練習してる。それが大のアイデンティティであって、自信の根源であって、プロたる者として当たり前という感覚がおそらくあるんですよね。で、ここに関しては私もすこし自信を持てるかも、と気付きました。

というのも、割と仕事の量が多いんです(もっと書いてる方はいらっしゃると理解しています!念のため!)。同業者の方とオンライン交流会をしたときに、月何本書いているのか訊かれたので正直に言ったら、驚かれました。で、「あ~なるほど、だからその月収なんですね~(なんだ、いっぱい働いて稼いでるだけか)」みたいな反応をされたときに、なんだかすごく恥ずかしい気持ちになりました。がむしゃらにいっぱい書いてるの、別にお金が欲しくてやってるわけじゃないんだけど、と。

インプットとアウトプットの総量が多ければ多いほど文章の質も高まる、と私は思っていて。その「質」というのは単純な文章力という意味だけでなく、私自身の価値観や視野がアップデートされて、本質的な切り口で記事をまとめられたり、インタビューできたりするんでないかな、と。だから、正直いまの半分くらいの仕事量でも生活は十分回るんだけど、今くらい仕事していたいし、提供できる価値を高めたいし、そんな自分に自信を持っていたいなって。

『BLUE GIANT』鑑賞後、そんな自分の背中を押されたような気がしました。行け、間違ってないぞ、と。

あと、私が書いているもののほとんどは企業の発信支援に関わるコンテンツで、エンタメ系やグルメ系といった華々しく引きのある内容ではなく、記名記事も少ないです。PV数が指標ではないケースが多いので、SNSなどでの発信もほとんどしません。これらは、別に文句ではありません。だって企業にとってメリットがないなら、私が表に出る必要がないから。

ただただ、お取引先の企業が記事を通じて採用やブランディングにおいて良い成果が出るよう願って、日々書いています。そこには私自身の主張は一切ないけれど、私が企業や社会に対して抱いている想いが詰まっているんです。文章を通じて社会をより良くするビジョンを描く企業の支援ができるなら、私なりの全力を尽くしたいと思っています。

誰に認知されることもないこの領域でひたすら努力することは、ニッチで日の目を浴びる機会の少ないジャズというジャンルの中で熱く生きることと、ほんのすこーしだけ重なるかもしれない、なんて感じます。

大丈夫、私は私の道で、熱く生きるぞ。

そう心に決めました。そしたら、ここ数年ずっと自分の中でくすぶっていた不安が解消されました。人の目に触れる機会や自己主張できる実績が少ないから自分のプロ意識に自信が持てていなかったなんて、今思えばバカみたい。これからは、もっと価値を高めていくための手段として、今まであまり外に出してこなかった法人格を活用していこうと思います。


ありがとう、『BLUE GIANT』よ。ふだんは楽譜通り正確に弾くような文章を書いているから、今日はこのnoteで、すこしばかりジャズっぽいフリースタイルで書きなぐってみているよ。『BLUE GIANT』の感想に見せかけて、自分のことばかり書いてるじゃんね。でも、そのほうが想いは届くかなあって。こんなにひとりの人間が、映画を観たあとに変化を感じているんだよって。

改めて、映画館で鑑賞する体験のすばらしさを実感しました。私からのメッセージは、ただひとつ。全人類に『BLUE GIANT』を映画館で観てほしいです!

以上、『BLUE GIANT』の鑑賞記録でした!!

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