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小説 「ベビーブーム狂騒曲」

「賛成多数により、『新生児特例措置法案』を可決します。」

 国会中継を食い入るように見ていた私は、思わず拳を握りしめてほくそ笑んだ。
 とうとう、待ちに待ったこの時がやってきた。 

 これで、来年の4月から5年の間に子供を産んだ夫婦には、一人目で3000万円、二人目なら5000万円、3人目には1億円が、いかなる制限も受けずに支払われることとなった。しかも、その子供たちが22歳になるまでは、食費、医療費、教育費が全て無償になる。さらに子供を持った夫婦は、住宅を半額で購入でき、ファミリーカー限定ではあるが3年ごとに新車が支給されるのだ。

 2040年現在、少子化は深刻な社会問題となっていた。出生率が1.00を割り込んでから3年が経ち、減税や補助金などの措置がチマチマ取られてはいたものの、数字の低下に歯止めを掛けられなかった政府が、とうとう思い切った政策を講じたのだ。いわば、人為的に「ベビーブームを生み出そう」とする政策だ。

 私の名前は板垣リリコ。今年22歳になるフリーターだ。親ガチャに失敗した私は、極貧レベルの家庭で育った。食事すらまともに摂ることができない日があったほどだから、教育の程度も最低限で、中学校の先生が奔走してくれたおかげで、どうにかこうにか地域で最底辺の高校を卒業できたものの、そんな人間にマトモな就職口などがあるわけもなく、バイトを転々としながらその日暮らしを続けていくのが精一杯のところだった。

 でも、そんな人生に終止符を打てるチャンスが巡ってきた。場合によっては、一発逆転も狙えるほどの大きなチャンスだ。

 幸いにして、私には健康な体とそこそこレベルの顔がある。それに、なんといっても動画配信で培ってきた、「化粧の技術」だ。これには絶対の自信がある。元々はバイト先の同僚などに「いかにして金を掛けずに化けるか」を教え、見返りにもらった使い掛けの化粧品や試供品をおもしろおかしく使い倒す動画を配信していたのだが、いつの頃からか「化粧のカリスマ」のように言われるようになり、本気で化粧をしてみた動画を配信したら、大きな反響を呼んだのだ。 

 一時期はそれで生活が成り立つかとも思ったが、すぐに真似事をする美人で若い子たちが現れ、ブームは一瞬で去ってしまい、私はまた元のアルバイト生活に戻ったのだった。 

 だから、今度のチャンスは絶対に逃したくなかった。何としても5年の間に結婚し、子供を三人産む。できれば、双子を3回産みたい。どうせ子供には一切お金が掛からないのだし、「四人目以降は倍額支給」という、とんでもない条文もある。4人目で2億、5人目なら4億、6人目を産んだら8億円。総額で、なんと15億8千万円となる。デメリットは出産と育児の負担、ということになるだろうが、そんなものは札束にモノを言わせてなんとでもできるはずだ。

 その前の「結婚」という問題についても考えてある。どうせ子供さえ産んでしまえば旦那など邪魔になるだけだから、子供を作る能力さえあればあとはどうでもいい。不細工だろうが貧乏だろうが、一切関係ない。ただし、自分の父親のように酒やギャンブルに溺れ、妻子に暴力を振るうような男はダメだ。

実は、候補についてもすでに目星を付けてある。同じスーパーでアルバイトをしている、29歳の男だった。高橋だか高岡だか、そんなような名前だったが、いかにもトロそうな風貌の通り、品出し程度の仕事でも他人の倍は時間が掛かるし、それでも間違いばかりで終始叱られているような男だ。クビにならないのはひとえに勤怠がいいからで、シフトは必ずこなすし、遅刻や早退もない。それどころか、進んで残業もするし、シフトの交代も断ることがないらしい。

いつもニヤニヤと締まりなく笑っていて、ボサボサ頭を乗せた猫背をさらに小さくしてノソノソと動く。「気味が悪い」と言うのが職場の総意となっているような男だった。

この男なら、間違いなく女性経験などないだろう。もしかしたら、母親以外の女性とまともに話したことすらないかも知れない。私の目的達成のためには最適の男のように思えた。

 私は、すぐに計画を実行に移し、周囲の好奇の目にさらされながらも、彼との距離を詰め、12月には正式に付き合うことになった。実のところ、話をするだけでも虫酸が走ったものだ。最初に手を繋いだ時などは、思わずブルッと身震いしてしまい、咄嗟に「寒いから」と誤魔化したものの、冬のうちに計画を実行しておいて良かった、と心から安堵した。ちなみに、彼の名前は「片岡」だった。 

 私の予感は見事に当たっていて、彼は今まで彼女がいたこともなければ、学生時代も女生徒とはほとんど口を利かない生活をしていたようだった。そのせいか、連絡やデートは不慣れな部分もあったが、常に丁寧で優しさに溢れていた。とは言え、気持ち悪いことに変わりはなかったが。

 クリスマスイブに初めて「男女の関係」になった。中学時代に体験を済ませた私とは違い、彼はとても感動したようで、行為が終わった後、私を言葉の限りに褒めちぎりながら泣いていた。私はそんなことより、これで妊娠した場合の逆算に余念がなかったが、残念ながら妊娠はしなかった。

 それからも、週に2、3回のペースで避妊もせずに行為に励んだが、私は一向に妊娠しなかった。妊娠しやすくなる、という方法をあらかた試してみたが、効果はなかった。

 春が来て、桜が咲き、いよいよ「新生児特例措置法案」が施行された。テレビでは4月1日の0時3分に出産した母子が「第一号」としてニュースになっており、父親の男性が満面の笑みで田岸総理から「3000万の目録」を手渡されている様子が流されていた。

 元々第一号は狙っていなかったが、なんとなく「先を越された」という思いが焦りを生んだようだった。このままではいけない。前に進まなくては。 

 私は彼に同棲をせまると、彼は一も二もなく応じてくれ、すぐに2LDKの新築のマンションで新しい生活を始めることになった。入居費用や家財道具なども全て彼持ちだ。ラジオを聞くのが趣味だという彼は、給料のほとんどを貯金に回していたということで、なかなかに裕福だった。生意気な。

 それからは、毎日毎日、それこそ獣のように行為に励んだが、やはり私は妊娠しなかった。夏が過ぎ、秋に掛かる頃、期間内に3人産むのは難しいかも、と思い始めて、私はまた焦った。もしかしたら彼は不妊症なのかも知れない。 

 今度は彼に結婚をせまり、その前に二人で「婚前診断」を受けようと誘った。診断の結果は、「どちらも異常なし」だった。つまり、不妊症ではない。では、どうして妊娠しないのか。

 十月の終わり、日課になっていた妊娠検査で、はじめて陽性の反応が出た。私は飛び上がるほど喜んだし、彼も、彼の両親も大喜びだった。死んだことになっている両親を思ってか、彼の母が涙を流して「墓前に報告を」などと言っていたが、生きている人間に墓などあるわけがない。

だが、残念なことに、この子は流産してしまった。3000万が消えてしまったということだ。この時はほんとに神様とやらを恨んだが、まあ、いい。次に双子を妊娠させてくれれば。

付き合い始めて一年目のクリスマスイブ、彼にプロポーズをされた。もし、十一月に流産の経験がなかったら、私は断っていたかも知れないが、流産したとはいえ一度は妊娠したのだから、今更他に乗り換える時間がもったいないと思った私は、受けることにした。

結婚が決まると、彼の両親が退職金を全部はたいて新居を用意してくれた。どちらも教員だけあって、退職金は相当なものだったようだ。金があったならもっと早くに出せばいいのに。

 そうして結婚生活が始まり、二人の関係はますます濃密になっていったが、次の春が来ても私は妊娠しなかった。丸一年を棒に振ってしまった。残り4年で3回の出産は難しいと思い始めた。8000万を失ったような気分だった。 

 次の1年、梅雨前に2回目の妊娠をしたが、本格的な夏を迎える前にまた流産してしまった。医者の話では、一度流産すると、流産が癖になることがあるらしい。私がそうだと言うのか、ヤブ医者め。

 次の1年は、妊娠すらしなかった。彼の母は、「あんまり励み過ぎてもいけないのよ?」などとワケシリ顔で講釈を垂れてくるが、余計なお世話だ、クソババア。しかし、現実問題として残された時間はあと2年。2回の出産も時間的に厳しくなってきた。これで、1億5千万が消えたようなものだ。 

 その頃、政府の「人為的ベビーブーム政策」は功を奏し、出生率は2.89まで高まったとニュースで聞いた。また、経済も大いに循環し、世間は好景気に沸いていた。結婚の低年齢化も進み、来年は出生率が3.00を超えるのでは?と憶測を呼んでいた。まったく、人の気も知らないで浮かれやがって。無性に腹が立つ。

 こうなったら、なんとしても確実に3千万は手に入れたい。人生を激変させるほどの金額ではないが、0よりはいい。よし、若い男のイキのいい精子を迎え入れてみよう。血液型さえ気を付けていれば、なんとか誤魔化せるだろう。都合のいいことに、彼は収入の問題から副店長まで昇格したスーパーを辞め、小さなソフト開発会社で働き始めていた。立ち上げたばかりの会社で社員の負担も大きく、毎日夜遅くまで帰ってこない。 

 私は、久しぶりに鍛え上げた化粧の技を発揮し、マッチングアプリで多い時には1日にトリプルヘッダーで浮気に励んだが、それでも子供は授からず、代わりに性病を授かって浮気までできなくなってしまった。こうして、4年目も何の成果も出せずに終わっていった。

 最終年。遅くても8月までには妊娠しないと、いよいよ終わりだ。私は仕事で疲れ果てている彼を責め立て、時には休みまで取らせて行為に励んだ。もちろん、彼のメンテナンスも忘れてはいない。栄養バランスのいい食事を摂らせ、適度な運動をさせ、刺激の強い下着や体位で彼の気を引き、あらん限りの愛の囁きで彼を夢中にさせた。1年ほとんどほったらかしにしていたのを倦怠期と勘違いしていた彼は大いに喜び、私の要望によく応えてくれたが、結局妊娠はしないまま、夏が過ぎた。

 終わった。何もかも。私の計画は、見事に失敗した。これではなんのためにマジメだけが取り柄の、趣味はラジオなどというつまらない不細工な男と結婚までしたのか。秋が深まる頃、私は落胆からか、精神を病んでしまった。 

 次の夏が過ぎ、病気もほぼ治り、断薬にも成功したある冬の日、珍しく彼がまだ明るい時間に帰ってきた。なんだかやたらと鼻息が荒く、手には上半身が隠れるくらいの大きなバラの花束を抱えていた。「何かあったのか?」と尋ねると、彼の会社で開発した交通系のソフトがアメリカ全土で正式に採用されることになったという。また、日本やヨーロッパでもその国に適した形に改良したソフトが採用される見込みで、そのニュースが流れるや、株価はほぼ垂直に跳ね上がり、中東やアジア諸国からも問い合わせが殺到して、会社は「てんやわんや」の大騒ぎだと言う。

 「そんな忙しい時に、早く帰って来て大丈夫なの?」

 私は彼の腕に抱え上げられ、リビングをクルクルと舞いながら尋ねた。

 「うん、そんなことより大事なことがあるだろ?」

 不思議そうに彼を見つめる私に、彼が語を継いだ。

 「今日は、リリと付き合うことになってちょうど5年目の記念日だよ!二人の全てがここから始まったんだ!これ以上に祝うことなんて、他にないだろ?」 

なぜだかはわからない。だけど、私は幼子のように声を上げて泣いた。こんなこと、人生で初めてだった。親を恨み、世の中を呪い、自分を諦め、そんな自分をひた隠しにしながら生きてきた女の、悔悟の涙だとでも言うのか。

正直に言うと、それから先のことは覚えていない。気が付くと、彼の下でひたすらに切ない声を上げていた。断じて演技ではなかった。私が教え導いたはずの男に、身も心もどこか遠くにいってしまったような快楽の渦へ、その中心へと、どんどん引き込まれていく。

まるで、大嵐の海に小舟で立ち向かうようなものだった。次から次へ訪れる波頭にもみくちゃにされ、かき回され、突き上げられて引き落とされ、それが延々と続くのだ。

今までにない、とても大きな波が、すぐそこに来ているのを感じた。感じたところでどうすることできないから、身を任せるしかなかった。

とうとうその波に捕まり、頭から真っ逆さまに突き落とされたとき、私は気を失った・・・。


 


 次の夏、うだるような暑さの中で、私は子供を産んだ。

 あれほど熱望しても授からなかった命を。

 それも、一度に二人。


 これがもう半年も早ければ、私は8千万円を手にしていたはずだった。

 神様というのは、そこらの人間よりも性格が悪いらしい。

 

だが、代わりに神様は、誰でもいいと思って選んだ男を、世界で一番大切な男に変え、おまけにクソかわいい子供まで付けてくれた。まあ、さすがに人から祈られる立場のことだけはある。 

 

 その年の旦那の年収は、1億8千万だった。

ベビーブーム狂騒曲
了。



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