見出し画像

【番外編4】練習/演奏の量について Jazz Sax:アドリブ練習の目的別構造化

 その12でも書いたが、私は何事にしても、上達のためには、練習または本番の「量」が必要だと考える人間である。その思考の背景について、思いついたことを記録しておこうと思う。


B4.1 「20歳までに一万時間必要」説

 以前どこかで書いたが、一流の音楽家になるためには、一万時間の練習が必要だという説がある。Bingチャットさんにまとめてもらった。

エリクソンの練習時間の研究とは、ある分野で卓越した技術を身につけるためには、10年以上に渡り1万時間以上の計画的練習が必要であるという法則です。この法則は、カール・エリクソンという認知心理学者が提唱したものです。

カール・エリクソンは、ベルリン音楽院でバイオリニストを目指す学生たちの練習時間を調査し、プロとして活躍しているバイオリニストたちは、20歳になるまでに1万時間以上の練習時間を積み重ねていたことを発見しました。この結果から、卓越した技術を得るには10年以上に渡り1万時間以上の計画的練習が必要と結論づけました。

Bingチャットより(太字は筆者)

 この説には賛否両論あるようだが、私はなんとなく理解できる。クラシックの世界で生き延びている一流ソリストを調べたら、おそらく、ほとんどのケースがあてはまるだろう。イチローだとか大谷だとかのアスリートもそう。まあ、一万時間練習すれば一流になれるかというとそうでもないので、いわゆる「必要条件(充分条件が別にある)」だとは思うが。

 ちなみに、私の場合どうだったかというのを考えてみた。サックスのみ。

  • 小学校:2時間/日×200日×3年
    (小学校の吹奏楽4-6年)=1,200時間

  • 中学校:3時間/日×200日×2.5年
    (中学校1-3年半ばまで)=1,500時間

  • 高校:3時間/日×200日×3年
    (1-3年)=1,800時間

  • 大学(1-2年):3時間/日×200日×2年=1,200時間

  • 大学(3年):6時間/日×300日×1年=1,800時間

  • 合計:7,500時間

 なんか微妙だw

 ちなみに、大学4年になってほとんど練習はしなくなった。会社に入ってからも、こんな練習論など生意気なことを書いている割に、ほとんど練習はしいてない(せいぜい50時間/年くらいか)。まあ、この40年は学生時代の貯金を食いつぶして演奏活動を続けてきたといえよう。
 改めて考えると、学生時代、特に、ジャズ研でレギュラーバンドメンバーになった1年間(大学3年生の時)は、異常な量の練習をしていた。家でもずっと音楽聴いてたし、学校への行き返りの電車でもヘッドフォンで音楽を聴いているか、メトロノームを鳴らしているかw 学校に着くと音楽長屋(部室)の廊下で朝から晩までロングトーンをして、その後、なんならサークルの連中と呑みに行くのもジャズ喫茶。レギュラーになった時点ですでにサックス吹き始めてから10年経っており、基本的な吹き方がわかっている状況で集中して練習したので、それなりに上達したんだろうと思う。
 レギュラー終わって気が抜けてしまい、すっかり練習しなくなったのだが、そこでさらに2-3年異常な練習を続けていたら、もしかしたらプロになれたのもしれない。一方で、上記エリクソンの研究によれば「20歳になるまで」という条件があるし、そもそも必要条件はクリアできても充分条件のほう(効率や、頭の良さ等のいわゆる才能等々)が足りてないので、あまり変わりはなかったのかもしれない。まあ、いまさら言っても詮無い話ではあるが、思考実験としては面白いですな。

B4.2 有名人のケース

 いわゆる個人練習とは違うが、海外の著名ミュージシャンでも下積み時代に死ぬほど演奏していたというケースはよくある。
 有名なのは、デビュー前のビートルズだろうか。当時、リバプールで多少人気が出た後、1960年~1962年にかけて、ドイツの港町ハンブルグに出稼ぎに行って演奏していた。当時の状況をやはりBing チャットさんに聞いてみたらこんな感じ。

ビートルズがハンブルグで演奏していたクラブは、主に以下の4つです。

インドラ・クラブ (Indra Club): ビートルズがハンブルグで最初に演奏したクラブで、1960年8月17日から10月3日までの48日間、毎晩4時間半から6時間の演奏を行いました。
カイザーケラー (Kaiserkeller): ビートルズがインドラ・クラブから移ったクラブで、1960年10月4日から11月30日までの58日間、毎晩6時間の演奏を行いました。
トップ・テン・クラブ (Top Ten Club): ビートルズが1961年4月1日から7月1日までの92日間、毎晩6時間の演奏を行ったクラブで、ここで彼らはレコード会社の関係者や後にマネージャーとなるブライアン・エプスタインと出会いました。
スター・クラブ (Star-Club): ビートルズが1962年4月13日から5月31日までの49日間と、11月1日から14日までの14日間、毎晩3時間30分の演奏を行ったクラブで、ここで彼らはリトル・リチャードと共演しました。

Bing チャットより(太字は筆者)

 いわゆる「ハコバン」な訳だが、92日間毎晩6時間ってのは何なんだw まあ、適当に流す演奏をすることもできるし、そういう日もあったんだろうが、多少なりとも音楽的な向上心があれば、レパートリーやアンサンブル、コーラスやそれぞれの楽器演奏など、色々な気付きがあり、いやでも上達していったのではないかと思う。よって、デビューした頃には演奏技術的には「出来上がっていた」だろうし、その後に開花していく音楽的なアイディアについても、ある程度その「芽」みたいなものが、各自の頭に出来ていたのかもしれない。

 天才ベーシスト、ジャコパストリアスも例外ではない。彼の評伝によれば、ジャコは1972年、ジョージア出身のヴォーカリスト、ウェイン・コクランの14人編成のホーン入りバンドCCライダーズに加入。そのバンドでバスに乗りツアーを続け、一週間に6晩違う街で1晩5セットで夜中まで演奏、みたいな生活を送っていたとのこと。ジャコは移動中のバスの中でも、色々な音源を聴きつつ、ずっとベースを弾いていたという。評伝にも「CCライダーズと過ごした10か月間は、ジャコのキャリアの中でも最もベースに専念していた時期に違いない」との記述がある。

B4.3 ビータ(演奏旅行)でのバンド鍛錬

 さて、ジャコは、ショーバンドでのロードトリップ、要はビータ(演奏旅行)で鍛えたというケースだった。
 若いころ、まだ洋楽ロックを聴いていた時、いわゆる外タレと日本のバンドの演奏技量やステージングの差はどこから来るのかを考えていて、雑誌や映画など、当時の限られた情報の中で出した結論の一つが、この「ビータ」だった。アメリカのバンドは地元でそこそこ売れると、まずはバスに乗って全米ツアーに出掛けるというイメージがあった。それこそ機材・スタッフもろともバスで米国の各都市を移動し、完璧なショーをやり、グルーピーの皆様と大酒(と○○〇)をキメ、ひと暴れして翌日はまた次の都市へ移って演奏、というのを一カ月とか。これを続けていると、ビートルズやジャコじゃないけど、演奏技量もステージングもめちゃくちゃ鍛えられ、かつ安定するはずだ。これに耐えられたバンドだけが次の段階、要は日本やほかの国へのツアーに出掛ける資格を得るわけで、日本のバンドとはまさに「修羅場の数と体力」が違うのではないかと思っていた。子供の妄想ではあったが、おそらく外れてはいないだろう。
 ジャズの世界も例外ではなく、例えば、50-60年代のマイルス、コルトレーンの時代は、いわゆるビータもあれば、ある都市にとどまって3ステージ×6日間とかも普通にあったはずだ。近年においても、例えばPat Metheny Groupは世界中で年間最大240ステージをこなしていたという。あの3時間近い完璧なステージをほぼ毎日続けるのはさすがに尋常ではない。PMGほどではないにせよ、一流どころは春や秋の全米ツアー、夏の欧州フェスティバルサーキット、その合間にアジア、と、とにかくビータを続けているはずだ(いまだにそうですね)。
 そう考えると、日本のジャズバンドというのは、同じメンバーでインテンシブなショーを1カ月やり続ける、などは、なかなか機会を得られず(昔はあったかと思うがどんどん減っているように思う)どうしても差がついてしまうのではないかなあ、などと思っている。
 日本のジャズコンボで有名なのは、70年代の山下洋輔トリオですかね。ヨーロッパツアーの様子をエッセイにした山下さんの著作「ピアノ弾きよじれ旅」などは、大学生のころワクワクして読んで、タフだけど楽しそうだなあ、などと思ったものだ。
 もう一つ、最新の事例としては、我らがおとぼけビ~バ~ですかね。
 下の画像は、今年前半のアメリカツアーの日程。全米の主要な都市でほぼ毎日ショーがあった。どこも中程度のホールではあるが、多くの場所でチケットが売り切れてるのがすごい。まだ私は生でチェックはしていないが、このツアーおよびその後の欧州ツアーのあと、明らかにバンド全体の技量がひとレベル上がって、圧倒的にタイトになったという評判である。

おとぼけビ~バ~全米ツアー日程:とにかくタフだ

 なんか脱線しまくったが、言いたいのは、個人の技量、バンドの技量を上げるのは、いわゆる練習だけではなく、精神的にも体力的にもタフな「本番」の量をいかに積み重ねるかがカギで、いわゆるビータというのはその絶好の機会になっている(はず)ということだ。最近の日本の若いミュージシャンは残念ながらこういう機会がなかなか持てないと思うが、技量的には素晴らしい人が多いだけに、周りのバックアップでどうにかなるといいのになあ、となんとなく思っている。

B4.4 (おまけ)私の場合

 かくいう私も、大学三年生のジャズ研レギュラーバンドの時に、いわゆるビータを経験している。詳細はもう記憶の彼方だが、10日ぐらいかけて九州を一周して、8か所ぐらいでライブをやった
 都内でハイエース的な車を借りて、メンバー4人とジャーマネ、バックアッププレイヤー兼運転手ひとりの6人で九州まで行って各地を転戦したわけだが、各地のジャズ喫茶の方々にやさしくしていただいて、非常に楽しかったし、その分演奏も頑張らないといけない、というか、先輩から受け継がれてきた名を汚してはならない、ということで、毎回気合を入れて演奏した。
 今のように最後はセッション、みたいなこともなく、毎晩それなりの数の厳しいお客さんの前で2セットフルで演奏していたこともあり、バンド、個人共々、相当成長したのだろうと思う。毎晩のようなに催される現地の皆さんとの呑み会も楽しかったしね。
 一方で、男六人でずっと車移動していると、ご想像の通り、だんだん気不味く、っというか、刺々しくなってくるww。お互い、いちいち言うことが気に入らなくなり、会話も減ったりして。
 演奏がすべて終わった最後の晩に全く下らないことで大喧嘩になり、お互い顔も見たくない、みたいな状況でビータを終えることになってしまったww(その後遅い夏休みもあり、実際、ひと月ぐらい顔を合せなかったわけだが)。バンドは崩壊状態からそれなりに立ち直り、文化祭の数々の事件を経てw、12月のリサイタルで(いい意味でも悪い意味でも)爆発して終了したわけだが、あのビータの経験がバンド全体、あるいは各々のその後の音楽人生にとってそれなりに影響を与えたのは間違いないと思っている。というと、ネガティブに聴こえるかもしれないが、やってよかったし、なんならもう一度パーマネントバンドで10日ぐらいの演奏旅行はやってみたい。あの時の経験から、おそらく、この歳になってもそれなりに「化ける」ことは可能だと信じるのだ。誰か企画してくれw

 というわけで、最後はよく分からなくなってしまいましたが、インテンシヴな練習と本番の「量」が上達の決め手である、という持論について書いてみました。次回は、アンサンブル練習かな。いったんこれで重要項目は全部カバーされるはずです。

次回はこちら↓

本連載の一覧(マガジン)はこちらから。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?