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ボールに反応してゴールを見失う

ニュースを見ているとうっかり反応しそうになる。大抵のニュースは、新しさが重要なので調べきれていない段階で報じられ、調べきれていない素材をみて人はそれを良いとか悪いとか言う。いちいち反応してしまう様は、サッカーのPKでゴールを守るキーパーのようである。その反応が的外れのものだろうが的を射たものだろうが、反応しているという点では変わらない。

テレビは子供と大人が一緒になって観ると良いと言われる。子供の理解力ではとうてい理解できないことでも、大人が解説することによって子供の理解力はあがっていく。テレビでニュースを見たとき、「この情報だけでは判断ができない」とか「この事件の背景にはこういう歴史的事情がある」と大人が反応することで、子どもは多角的な視点を持て、ものごとを深く知ることができる。同じようにSNSでも、人々がニュースにさまざまな反応を見せることによって、それを見た人は多角的な視点を持てる可能性はある。

ただしその反応が偏見や無知にまみれているとしたら、多角的な視点も与えられず、深堀りもできず、ただ偏見と無知だけを継承させることになる。

PKのときのキーパーはボールに機敏に反応する。現代人も日々のニュースに機敏に反応する。

しかしキーパーが冷静になってうしろを振り返ったとき、そこにゴールがなかったらどうか。ボールは前から飛んでくるが、うしろにゴールがなかったとしたら?現代のメディアは、どんどんボールを蹴ってくる存在である。しかしぼくたちのうしろにゴールがあるとは限らない。
キーパーはゴールを守るということのほうに主眼を置くべきで、いちいちのボールに反応するほうに主眼を置くべきではない。

ぼくたちにとってゴールとはなにか?なにを守るべきなのか?そもそも我々のうしろにゴールはあるのか?ボールに反応することばかりに集中せず、守るべきゴールを探したほうが良いとぼくは思っている。

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