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おすすめばかり見て萎んでいく世界

何年か前から、Amazonに限らず、インターネットを使っているとほとんどどこでも「おすすめ」が表示されるようになった。それはぼくの行動がアルゴリズム的に傾向を見出されているということで、要するにぼくの行動と似た行動をたくさんの人がとっているということだろう。

消費する立場からだけで物事を考えると、おすすめ機能は便利である。忙しく時間が流れすぎていく日々で、探している時間はもったいない。だったらおすすめに従ったほうが手っ取り早く時間も節約できるではないかと。

人は何のために映画を見たり本を読んだりするんだろう。ぼくの見立てでは、多くの人は「他人との会話を盛り上げるため」に映画を見たり本を読んだりしている。だから、マイナーなものはいつまでもマイナーであり、メジャーはいつまでもメジャーであり続ける(他にも理由はあるが)。メジャーなものの最大の利点は、それを見ていれば、それを巡って大勢の人と会話ができることにある。もし誰も見ていなければ、それがどれほど楽しい映画でも、マイナーであり続けるだろう。

もちろん、マイナーな映画を見ている人はマイナーな映画を見ている人同士で集まるから、マイナーな映画を見る人もそれはそれで傾向の中にいる。傾向に従って映画を見ていけば、マイナーな世界の人との会話はバッチリである。

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誰かと会話するためにコンテンツは消費されていく。ほとんどのコンテンツは会話のためにあるのであって、その人自身を高みに連れていくためには存在していない。もし高みに連れていってくれる作品があるとすれば、それは誰と共有しなくても良いはずのものである。

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会話をするためだと割り切れば、メジャーな映画も漫画もどんどん見て読んでいくべきだろう。会話のためなのだから、何でも知っているほうが良いということになる。

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ぼくはお笑いをたまに見るが、そこでどんなネタが扱われているかが気になっている。どうボケてどう突っ込むかはわりと些末なことで、結局は何を題材にするかが面白さの起源だと思うからだ。
お笑いの残酷な側面でもあるが、このとき、お客さんがどの程度の知識を持っているかが重要になる。お客さんが知らないことでボケても何の面白みも生まれない。お客さんが知っていることを題材にして、そこでボケるから面白いと感じる。

子供はモノを知らないから、小さな子供向けなら、隠れているところから顔を出すとか、急に大声を出すみたいなネタになっていく。幼稚園児なら幼稚園のネタ、小学生なら学校ネタ、みたいに最大公約数的?な話題は年齢と比例して少しずつ広がっていく。

いまは、テレビをつけるとみんな人気の漫画や映画やテレビ番組を題材にしている。「みんなが見ている」という前提で、安心してボケて笑っているし、ボケないにしても、当然のようにその話をし、コスプレしている。何でもかんでもその漫画・映画を絡めれば「伝わる」「面白がってもらえる」と思っている節があり、ぼくはかなりうんざりしている。
その漫画・映画を絡めれば、みんなが「話が合う」状態になっているので、それが「見なきゃ」という圧を生み出す。見ないと話が通じない。話が通じないのは見ていない自分が悪いのだという気になってくる。人は孤独を恐れる(孤独はとにかくあらゆる局面で不利だから)。

人気作品に限らず、人は「みんな」と話題を共有しているという前提に立ちたいものだ。「いま何の話をしているの?」と感じたくないので、必死になって話題に追いつこうとする。そうやってコンテンツは、会話のために消費されていく。

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しかし、別に「みんなが知っているコンテンツ」のことを取り上げなくても、人と会話をすることはできる。むしろコンテンツは、「みんな」と話すためにあるのではなく、「仲良くなりたい人」と話すためにある。自分が好きでもないものを好きになって、「みんな」と同じに「傾向」の波に乗るようになれば、みんなと同じ感想しか出てこなくなって、みんなと会話する意味もなくなってしまう(?)。

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コンテンツを題材にすれば、コンテンツを共有する人としか会話できないが、社会を題材にすれば社会に生きている人とは会話ができる。世界を題材にすれば世界中の人と会話ができる。現実のほうがよほど会話の種になるのだが、ネットばかり見ていると、現実よりもコンテンツのほうに重きを置くようになってしまうのかもしれない。

お笑い芸人で、コンテンツを題材にしはじめたらその芸人は終わりの始まりに足を突っ込んでいるとも言える。コンテンツは人気が収束していく運命にあるからだ。消費者がコンテンツを消費するように、芸人も次々と人気コンテンツを消費していく。飽きられるまで。
一方、現実は別に収束せずに続いていくから、飽きることはあり得ない(?)。
でも観客がなにも現実を知らないなら、芸人はコンテンツを題材にせざるを得ない。「コンテンツ群」が豊かになるために大事なのは、観客がある程度の現実を知ることにある。現実を見ずにコンテンツばかり見ている観客が増えると、コンテンツ群全体は萎んでいく。

おわり


※文末に(?)がついているところは、書いているぼく自身が疑問に思う主張です。理由みたいにして書いているところも、理由になってないという感じがします。でもいまはそう思っているということで、メモ的に記載しました。

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