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たまには立ち止まって(7)

おぎゃーと産声をあげ、この世に生を受けてうん十年…。
最初は、両親と弟の4人でずっと暮らしていくものだと思っていた。

少しばかり小うるさいがムードメーカーの母と、物静かで家族が一番の優しい父、ぼーっとしているように見えて切れ味抜群の鋭さボーイの弟、猪突猛進タイプでこれだと思ったら一直線になる私。

一人一人の性格は異なるものの、感性も似ていておもしろいコミュニティ。
私は誰よりも家族が一番心を許せる人たちだったので、この中から出ていくことはほとんど考えられなかった。

なので、ずっと実家で過ごしていければいいなぁと考えていたので、結婚とかはいまいち想像できないまま、すくすく大人になっていった。


そんな私に転機が訪れたのは25歳。
社会人になってようやく3年目といった具合で、大人のスタート地点にようやく立ち始めた頃のこと。
プロデューサー(夫。以下P)と出会ったのがきっかけであった。

小っ恥ずかしいので出逢いやお付き合いになった経由などは割愛するが、ここが人生の分岐点になり、結果として実家を離れることになったのだった。
そして、かれこれ10年以上経過していることに最近気がついた。(疎い)


実家で過ごした時間は、家を出るまでの25年間。ここから離れることなど想像もしなかった私が、ひょんなことから出逢った人と生活を共にしている。

単純にすごいことだ。  


25年という数字が過去最高だったわけだが、もう少しでPとの生活年数も13年目が目前なので、半分くらいは追いついてきた計算になる。
今では、一緒に住んでいないことなど想像できない。

生まれた年も環境も異なる場所でそれぞれ過ごしていた人間同士が、生活を共にするというのはものすごいことなのではないか…と、今になって衝撃がじわじわきているのである。

あの頃の自分が見たら大層驚くだろう。
なんせこのままいくと、実家での時間を追い越してしまう日がくるのだから。


かといって実家のことを思い出さないのかというとそうではない。
私の根底はいつでもあの25年間を共に過ごした時間であることは間違いないし、あの時間が私を作ってくれたのだ。

今でもふとした時にあの空間にいることを思い出す。
離れていても、ちょこちょこ連絡をとっては画面越しにあの雰囲気が伝わってくる。

そして、その雰囲気は今生活を共にしているPからも自然と感じられていることが密かに嬉しいのだった。


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2匹のkids(猫)のごはんをグレードアップするのが目標です…🐱