黄帝内経素問集注(五臟生成篇10-3)

翻訳

したがって、人が横になっていると、血は肝に戻る。
(このように、血は衛氣(防御気)とともに脈の外を巡ります。血は水と食物の精気であり、体内を満たし、外に広がります。特に濃厚な精気は経絡を通ります。これは経絡の栄養を担う血です。体内で満ちる血も、衝脈と任脈に流れ込む血も、胞中(子宮内)で発生し、背側を経て上昇し、経絡の海となります。それは皮膚の下で浮かび上がり、腹部を右上に向かって流れ、皮膚を滲み、毛細血管と毛髪を生み出します。目が覚めている間は、衛氣とともに皮膚表面を巡ります。寝ている間は、衛氣とともに体内に入り、肝に戻ります。衝脈と任脈が発生の中心であり、肝が受け入れる役割を果たします。これがなぜなら、傷寒病や高熱が血室に入り込むと、肝の期門(経絡の一つ)を刺激する必要があるからです。前文に引き続いて言うと、経絡の血は榮気(栄養気)とともに、三陰三陽の四肢を巡り、昼夜を通じて循環します。一方、衝脈と任脈の血は、衛氣に従って昼間に陽に向かって流れ、夜には陰に帰ります。)

肝は血を受けて視覚が可能となる。
(肝は目に開いた窓を持ちます。したがって、肝は血を受けて視覚を得ることができます。明堂(額の部分)において色を見ることは、五臓の気の色を見ることです。五臓が生み出す外部の栄養(榮血)は、血の色で目で見ることができます。だからこそ「五色の奇脈」と言われるものは、奇経(経絡の一つ)に関連する血の色です。水と食物が胃に入ると、津液(体内の液体)はそれぞれの経路を走ります。五臓は精気を主に蓄積し、五臓の精気が赤く変化して血となります。この血は衝脈と任脈に溢れ、最終的に肝に収斂(受納)します。肝は目に窓を開ける役割を果たし、五臓が生み出す色を外部に現わすのです。そのため、色の栄養は目で見え、肝は色を司ります。)

足は血を受けて歩行ができ、掌は血を受けて握ることができ、指は血を受けて摑むことができる。
(血は筋肉と骨を潤滑し、関節を利用するためのものです。ここで言われているのは、衝脈と任脈の血も同様に四肢を巡り、指と掌に浸透し、どこにでも行き渡ることを意味しています。)

横になっている状態で外部から風が吹かれ、血が皮膚に凝固すると、それが痺れとなります。
(「金匱要略」によれば、血による痺れの病気はどのように発生するかと問われると、師が答えます。「過度の疲労や汗の出ることで体力が消耗し、横になったまま動かず、微風が加わることによって生じます。汗が出ると、防御気(衛氣)が外部に虚弱になることを意味します。横になると、防御気が陰に帰る一方、外に出ると血が外へ流れます。加えて風に吹かれると、皮膚上の血が凝固し、それが痺れとなるのです。痺れは閉じて動かなくなる状態であり、進展しない状態です。これは防御気が長期間にわたって陰部に滞留し、血を外部から守ることができないためです。)

凝って脈にあれば泣(なみだ)となる。
(脈とは皮膚に見える絡脈を指す。衝脈と任脈の血は皮膚に溢れ、絡脈に浸透する。したがって、皮膚で凝ると痺れとなり、絡脈で凝ると流れが滞り、澀(しびれ)が生じて流れなくなる。)

足で凝ると厥(けつ)となる。
(厥とは逆冷のこと。陰陽の気が順接しない状態であり、下が陰であり、血も陰に属する。血が下で凝ると、上下の陰陽が順接せず、逆冷が生じる。ここで言われているのは、血が衛氣に従って行動するが、陰陽の調和が崩れることで逆冷が生じることを指している。生徒は疑問に思い、「衛気と榮気の巡り行きは矛盾しているようですが、どうしてでしょうか?」と尋ねることがあります。今、先生が明らかにしたことで、血は衛気に従って日中は陽に向かい、夜間は陰に向かうことが分かりました。これは皮膚の血に関することです。陰経(経絡の一つ)が終わると、陽経が次に続き、陽経が終わると再び陰経が続きます。この状態は十二臓腑の経絡が維持されていることです。)

これらの三つの状態は、血が流れる一方で、その流れが停滞する空間ができないため、痺れや厥(逆冷)となるのです。
(空は骨空を指し、骨空は節が交差する三百六十五の穴の結節部であり、絡脈がこれらの節を浸透する。皮膚の血が穴の結節部を通らずに逆戻りできないため、痺れや厥となる。)

人は大谷を十二分、小溪を三百五十四名、さらに十二の俞穴があります。これらはすべて衛気が滞留する場所であり、邪気が滞留する場所でもあります。針や石を用いてこれを除去します。
(ここで言われているのは、衛気が溪谷(組織の交わる場所)を通ることを指しています。溪谷とは肉が交わる場所を指します。気穴論によれば、肉の大きな交わりを谷、小さな交わりを溪と言います。肉の分かれ目にあたる部分が溪谷となり、衛気と栄気(榮気)を通し、大気と交わります。溪谷には三百六十五の穴があり、これもまた一年に対応します。人間には大谷が十二分あり、肉の大きな分かれ目を指します。小溪は三百五十四の名前があり、肉の小さな分かれ目を指します。分かれ目には紋理があるため、名前や穴名も存在します。肉の分かれ目には交わりがあり、その場所には穴名が存在します。溪谷の数は一年に対応します。一年は三百六十日ですが、内朔(月初めの前六日)を引いて三百五十四日になります。十二の俞穴は、大谷を十二分に分けてあり、これにより、氣盈(満ちる気)と朔虛(虚の始まり)の五日が合計で九百四十分あります。一年は三百五十四日であり、氣盈と朔虛の五日を加えた合計で三百六十五日になり、一年を成立させます。そのため、一年は三百六十五旬六日であり、閏月が四季を調整し、一年が成立します。衛気は脈外を巡り、肉を温め、皮膚を充実させ、毛穴の理を調整し、開閉を司ります。これらの腠絡や分かれ目の部分には、すべて衛気が留まり、邪気が侵入します。針や石を用いてこれを取り除くという意味です。)

原文

故人臥血歸於肝。
(此複論血隨衛氣之行於脈外也。夫血乃水穀之精。流溢於中。布散於外。專精者。行於經隧。是行於經隧者。經脈之榮血也。流溢於中者。流溢於衝任也。衝任起於胞中。上循背裡。為經絡之海。其浮而外者。循腹右上行。布散於外。滲皮膚。生毫毛。寤則隨衛行於膚表。臥則隨衛內入而歸於肝。是衝任主發原。而肝主受納。是以傷寒熱入血室。而刺肝之期門。故者。承上文而言。經脈之血。隨榮氣行於四肢之三陰三陽。晝夜環轉。衝任之血。隨衛氣而日行於陽。夜歸於陰也。)

肝受血而能視。
(肝開竅於目。故肝受血而能視。夫見色于明堂者。五臟之氣色也。五臟所生之外榮者。血色而見於目也。故曰五色之奇脈者。奇經之血色也。夫水穀入胃。津液各走其道。五臟主藏精者也。五臟之精。化赤而為血。溢於衝任。歸受於肝。開竅於目。是於五臟所生之色。外榮於目。而肝主色也。)

足受血而能步。掌受血而能握。指受血而能攝。
(血者。所以濡筋骨。利關節者也。此言衝任之血。亦循行於四肢。滲於指掌。而無處不到也。)

臥出而風吹之。血凝於膚者為痺。
(金匱要略曰:血痺病從何得之。師曰:重困疲勞汗出。臥不時動搖。加被微風。遂得之。汗出者。言衛氣之虛於外也。臥則衛歸於陰。出則血行於外。加被風吹。則血凝於皮膚而為痺矣。痺者。痺閉而不遂也。此言衛氣之留於陰也久。不能為血之外衛故也。)

凝於脈者為泣。
(脈者。見於皮膚之絡脈也。衝任之血。溢於皮膚。滲於絡脈。故凝於皮膚則為痺。凝於絡脈。則泣澀而不能流行矣。)

凝於足者為厥。
(厥者。逆冷也。夫陰陽氣不相順接則為厥。下為陰。血為陰。如血凝於下。則上下陰陽。不相順接而為厥矣。此言血隨衛行。而陰陽之不相和者也。諸生起躍曰:榮衛之循行。經旨似乎矛盾。久為人所疑。今夫子發明之。始知血隨衛氣之日行於陽。夜行於陰者。皮膚之血也。陰經行盡。陽經繼之。陽經行盡。陰經繼之者。十二臟腑之經榮也。)

此三者。血行而不得反其空。故為痺厥也。
(空、骨空也。骨空者。節之交三百六十五穴會。絡脈之滲灌諸節者也。血行於皮膚。不得反循于穴會。故為痺厥也。)

人有大谷十二分。小溪三百五十四名。少十二俞。此皆衛氣之所留止。邪氣之所客也。針石緣而去之。
(此言衛氣之行於溪谷也。溪谷者。分肉之交會處也。氣穴論曰:肉之大會為谷。肉之小會為溪。分肉之間。溪谷之會。以行榮衛。以會大氣。溪谷三百六十五穴會。亦應一歲。人有大谷十二分者。肉之大分處也。小溪三百五十四名者。肉之小分處也。分者。肉分而有紋理也。名、穴名也。蓋肉分之間而有交會。交會之處而有穴名也。溪谷之數。以應一歲者。歲止三百六十日。內朔虛六日。止三百五十四日。以應小溪之數也。少十二俞者。言大谷十二分。而有十二俞穴也。氣盈五日九百四十分。朔虛五日九百四十分。共計十二日。以應十二俞也。以歲之三百五十四日。合氣盈朔虛之十二日。共三百六十五日有奇。以成一歲。故日期三百有六旬有六日。以閏月定四時而成歲也。衛氣者。行於脈外。溫分肉。充皮膚。肥腠理。司開合者也。此腠理分肉之間。皆衛氣之所留止。臥出而風吹之。則血凝而為痺厥矣。針石緣而去之者。言分肉之間。亦有三百六十五穴也。楊君立問曰:氣穴論云。氣穴三百六十五。以應一歲。今則三百六十六矣。曰:歲緣三百六十六日。而少有不足。故合而論之。則曰三百六十五日。今分而論之。則每歲有三百五十四日。而又有氣盈朔虛之十二日也。)

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