黄帝内経素問集注(六節臟象論篇9-3)

翻訳

帝曰:「六六九九の集い」についての話を既に聞いた。先生が「積氣盈閏」と言ったのは何を指すのか、教えていただきたい。どうか先生が啓蒙し、私の疑念を解消してください。
(三十五日が一つの「氣」であり、それぞれの「氣」は二十一刻が満たされる際に奇数の刻で構成されます。これらの「氣」が蓄積して朔の日に満ち、その後閏の月が生じます。それゆえ、「積氣盈閏」と言われます。この基盤の上で、五運による歲と時の支配を論じており、各々に太過と不及が存在します。そのため、これについて再度質問を設けました。)

岐伯曰:これは上帝によって秘密とされ、先師たちによって伝承されてきたものです。
(上帝は道を尊重して秘密にしており、師たちはそれを伝えるために存在しています。莫子晉は言いました:「上帝」は「天帝」のことです。天は四季の序列を言葉にしないで自然に運行しています。ただ師が明らかにし、教えることができるのです。)

帝曰:どうか続けて説明してください。
(王氏注:「遂」は「盡」の意味。)

岐伯曰:五日を「候」と呼び、三候を「氣」と呼び、六氣を「時」と呼び、四季を「歲」と呼びます。それぞれがそれぞれの主を持ち、支配します。
(月令に従えば、立春の初五日には東風が凍りを解き、次の五日には虫が動き始め、更にその次の五日には魚が氷上に現れます。このように五日を「候」と呼び、物質の気の成長と変化を観察します。三十五日が一つの「氣」を成し、六つの「氣」が九十日で一つの「時」となり、四つの時節が合わさって二十四の「氣」が一つの「歲」となります。それぞれの時節は、それぞれの主を持ち、支配します。)

五運は互いに引き継がれ、それぞれが支配されます。周期の終わりには再び始まります。時節の気勢は広がり、無限のように環状になります。候の変化も同様の法則に従います。
(これは五運が歲(年)の支配を論じています。甲己の年代は土運を主とし、乙庚の年代は金運を主とし、丙辛の年代は水運を主とし、丁壬の年代は木運を主とし、戊癸の年代は火運を主とします。五行の相生に従い、それぞれが主導する一年があります。その一年の間に、その年の気勢を支配します。終期は360日で、五年で1サイクルが回ります。時節の気勢は環状に広がり、サイクルの法則に従います。)

したがって、年の変化、気勢の盛衰、虚実の起源を知らなければ、巧みな技術者としては成り立ちません。
(毎年、六つの気勢が交替でやってきます。五運が過剰または不足することがあり、気勢は盛衰します。そのため、虚実が交じり合い、勝ち負けや増減が生じるのです。年の気勢が盛り上がったり虚弱だったりすることは、人々の病気の生死を主導します。したがって、気運を理解しない者は、優れた技術者にはなれないのです。)

帝曰:五運の始まりは無限の環のようであり、太過と不及の扱いはどうなりますか?
(五運の始まりは甲己の年から始まり、土運が主導します。乙庚の年には金運が主導し、金が木を生み、水が金を生み、木が水を生み、火が木を生み、土が火を生みます。五年ごとに遷移し、無限の環のように続きます。それぞれの年代には、太過と不足が存在します。)

岐伯曰:五つの気勢が交替し、それぞれが勝ちを収めます。盛りと虚は変化するものです。これが常です。
(五運の気勢は交替し、五年ごとに更新されます。太過の年では、それぞれの主を克服し、それに勝ちます。一方、不及の年では、それぞれの主を克服し、それに敗北します。自身の支配する気勢に注意を払わない限り、本来の位置を虚偽にし、他の気勢に乗じられます。これが盛りと虚の変化であり、理に基づく普遍の法則です。)

帝曰:平穏な気はどのようなものですか?

岐伯曰:過度がない状態です。
(過度でも不足でもない年が平穏な気を持つと言えます。つまり、常に適切な気が保たれている状態です。)

帝曰:過度や不足はどうすればよいですか?

岐伯曰:経典に指針があります。
(この篇では年運に関する要点を述べています。後の文章や論文で、天地の詳細や淫勝郁複の変化、生物や疾病の影響が述べられています。従って、経典にその内容が記載されています。)

帝曰:「所勝」とは何を意味するのですか?

岐伯曰:春は長夏に勝ち、長夏は冬に勝ち、冬は夏に勝ち、夏は秋に勝ち、秋は春に勝ちます。つまり、五行の気の主導が勝っている時に、それぞれの臓腑に対応する気が主導します。
(これは五運の「所勝」を説明しています。春は木に関連し、木は土に勝ちます。長夏は土に関連し、土は水に勝ちます。冬は水に関連し、水は火に勝ちます。夏は火に関連し、火は金に勝ちます。秋は金に関連し、金は木に勝ちます。五行が支配する時に、それぞれの臓腑に対応する気が勝利を収めるということです。春は木に関連し、肝を主とします。夏は火に関連し、心を主とします。長夏は土に関連し、脾を主とします。秋は金に関連し、肺を主とします。冬は水に関連し、腎を主とします。それぞれの季節と五行の気に基づいて、臓腑を結びつけています。)

帝曰:どのようにして「所勝」を判断しますか?

岐伯曰:その到来を求めます。全ては春に帰結します。到来が予定より早い場合、それは「太過」と呼ばれ、その臓腑が克服されることになります。それにより、克服される臓腑の気を薄め、克服する気を強化します。これを「氣淫不分」と言います。邪が内部で発生し、技術者が制御できなくなります。
(これは運の気が到来することで、過度や不足が生じる場合について述べています。これらは全て春に帰結するものです。つまり、春は気の始まりであり、運の気が過度になる場合、その影響は春に関連するものとなります。六元正紀大論によれば、運の気が過度であれば、その到来は先行します。運の気が不足であれば、その到来は遅れます。これは天の道であり、気の常です。運の気には余剰も不足もなく、それが正しい時に到来することが正しい年であるとされています。そのため、春が到来する前に天候が温暖になることがあります。これを「至先」と呼びます。運の気が過度であれば、その年の気が過剰であり、自身が克服できない気を薄め、自身が克服した気を利用してしまいます。至真要大論によれば、「氣至」は到来のことを意味し、「氣分」は気の差異を意味します。到来すれば気は同じであり、差異すれば気は異なります。これが天地の正常な流れです。各年の運の気には、過度でありながら差異がなく、民衆の邪が内部で発生し、良い技術者でも制御できない状態となることがあります。下経には「過度者は暴れ、不足者は鈍くなる。暴れる者は病がひどく、鈍くなる者は持続的な病気となる」とあります。したがって、過度の年では、木が乱れて正常な制御が効かなくなり、陽気が消失することで死と治療不能となります。火の過剰な年では、極端な陰気が消失し、死と治療不能となります。不足の気は、特定の気質が生じ、治療が難しくなりますが、技術者は制御可能です。)

到来しない状態が到来することを指す。これを『至而不至』と呼ぶ。これは到来不足と言う。すると、勝るべき気が乱れて誤った動きを見せ、その結果、病気が発生する。逆に、勝るべきでない気が薄くなり、それが病気を引き起こす。これを『氣迫』と命名する。
(春が既に到来しているが、天候がまだ暖かくない。これは到来しない状態が到来することを指し、これを『至而不至』と言う。これを『氣之不及』と呼ぶ。年の運気が不足している場合、勝るべき気が乱れて誤った動きを見せ、その結果、病気が発生する。逆に、所勝の気が薄くなると、自分が勝つべき気の元である土の気が乱れて誤った方向に進み、それが私の身体内の水の気に影響を与えて病気を引き起こす可能性がある。木火の気が虚弱な場合、自分が勝てないべき金の気が薄まり、その気を軽んじることがあります。これを『氣迫』と名付ける。これは、主なる気が不足しているため、勝るべき気とそうでない気が互いに逼迫し合う状態を指します。)

『求其至』とは、氣がその到来する時を求めることです。その時を慎重に待ちます。氣が到来する時に合わせて行動します。時を失い、逆に待つことは、五行の治めが分からず、邪僻な気が内に生じてしまい、医者の努力でも制御できなくなることを意味します。
(この部分は、氣の淫らなることとその分かたないことを再び明らかに述べています。『求其至』とは、四季の気を求めることであり、その時が来るに従って行動することです。春夏秋冬の季節を慎重に待ち、春の時には温かさを期待し、夏の時には暑さを期待し、秋の時には涼しさを期待し、冬の時には寒さを期待します。時を失って逆に待つことで、五行が支配する時の気が混沌として分からなくなり、邪悪な気が内に生じてしまい、医者の努力でも制御できなくなる結果になります。朱濟公は言いました:『この節は一字を追加することで意味があります。』)

原文

帝曰:余已聞六六九九之會也。夫子言積氣盈閏。願聞何謂氣。請夫子發蒙解惑焉。
(三五十五日為一氣。每一氣盈二十一刻有奇。合氣盈朔虛而生閏。故曰:積氣盈閏也。此以下論五運之主歲主時。各有太過不及。故複設此問。)

岐伯曰:此上帝所秘。先師傳之也。
(上帝貴道而秘密。師所以傳教者也。莫子晉曰:上帝、天帝也。天不言而四時代序。惟師能闡明而傳道之。)

帝曰:請遂言之。
(王氏曰:遂、盡也。)

岐伯曰:五日謂之候。三候謂之氣。六氣謂之時。四時謂之歲。而各從其主治焉。
(月令曰:立春節初五日。東風解凍。次五日。蟄蟲始振。後五日。魚上冰。故五日謂之候。候物氣之生長變化也。三五十五日而成一氣。六氣九十日而為一時。四時合二十四氣而成一歲。以四時之氣。而各從其主治焉。)

五運相襲。而皆治之。終期之日。周而複始。時立氣布。如環無端。候亦同法。
(此論五運之主歲也。甲己之歲。土運主之。乙庚之歲。金運主之。丙辛之歲。水運主之。丁壬之歲。木運主之。戊癸之歲。火運主之。以五行之相生。沿襲而各主一歲。一歲之中。所主之氣而皆治之。終期年之三百六十日。五歲一周而複始也。時立氣布者。一歲之中。又分立五運所主之時。而分布五行之氣。五氣相傳而如環無端。其候環轉之氣。亦如五歲沿襲之法同也。)

故曰:不知年之所加。氣之盛衰。虛實之所起。不可以為工矣。
(每歲有六氣之加臨。五運之太過不及。氣有盛衰。則虛實之乘侮勝複所由起也。歲氣之盛虛。主民病之生死。故不知氣運者。不可為良工也。)

帝曰:五運之始。如環無端。其太過不及何如?
(五運之始。始於甲己化土。土生金。金生水。水生木。木生火。火複生土。五歲而右遷。如環無端。五行所主之歲。而各有太過不及。)

岐伯曰:五氣更立。各有所勝。盛虛之變。此其常也。
(五運之氣。五歲更立。太過之年。則勝己所勝。而侮所不勝。不及之年。則為己所不勝而勝之。己所勝而侮之。故各有所勝也。所勝之氣。不務其德。則反虛其本位。而複受其乘侮。此盛虛之變。理之常也。)

帝曰:平氣何如?

岐伯曰:無過者也。
(無太過不及之歲。是為平氣。故曰無過者。謂不愆常候也。)

帝曰:太過不及奈何?

岐伯曰:在經有也。
(此篇乃歲運之提綱。後天元紀、五營運、六微旨、氣交變、五常政、至真要諸篇。詳論天地。有淫勝郁複之變。生物有草木昆蟲之眚。民病有胸脅腹背之災。故曰在經有也。)

帝曰:何謂所勝。

岐伯曰:春勝長夏。長夏勝冬。冬勝夏。夏勝秋。秋勝春。所謂得五行時之勝。各以氣命其臟。
(此言五運之所勝也。春應木。木勝土。長夏應土。土勝水。冬應水。水勝火。夏應火。火勝金。秋應金。金勝木。所謂得五行之主時而為勝也。春木合肝。夏火合心。長夏土合脾。秋金合肺。冬水合腎。各以四時五行之氣。以名其藏焉。)

帝曰:何以知其勝。

岐伯曰:求其至也。皆歸始春。未至而至。此謂太過。則薄所不勝。而乘所勝也。命曰氣淫不分。邪僻內生。工不能禁。
(此論歲運之氣至。有太過不及。而皆歸始於春。蓋春為氣之始也。六元正紀大論曰:運太過則其至先。運不及則其至後。此天之道。氣之常也。運非有餘。非不足。是謂正歲。其至當其時也。是以春未至而天氣溫和。此為至先。運之太過也。主歲之氣太過。則薄己所不勝之氣。而乘侮己所勝之氣也。至真要大論曰:氣至謂之至。氣分謂之分。至則氣同。分則氣異。所謂天地之正紀也。如所主歲運之氣。惟太過淫勝而不分。則民之邪僻內生。雖有良工。不能禁也。下經曰:太過者暴。不及者徐。暴者為病甚。徐者為病持。是以太過之歲。如木淫不政。沖陽絕者。死不治。歲火太過。太淵絕者。死不治。故不及之氣。止雲所生受病。而不致于工不能禁也。)

至而不至。此謂不及。則所勝妄行。而所生受病。所不勝薄之也。命曰氣迫。
(春已至而天未溫和。是至而不至。此謂氣之不及也。主歲之運氣不及。則所勝之氣妄行。而所生受病。所不勝薄之也。如歲木不及。則己所勝之土氣妄行。而所生我之水氣受病矣。木火之氣虛。則己所不勝之金氣。薄而侮之也。名曰氣迫。謂主氣不及。而所勝所不勝之氣。交相逼迫也。)

所謂求其至者。氣至之時也。謹候其時。氣可與期。失時反候。五治不分。邪僻內生。工不能禁也。
(此複申明氣淫不分之義。所謂求其至者。求其四時之氣。應至而至之時也。謹候其春夏秋冬之時。則春時之氣。可期而溫。夏時之氣。可期而熱。秋時之氣。可期而涼。冬時之氣。可期而寒。失時反候。而五行所主之時氣不分。以致邪僻內生。而工不能禁也。朱濟公曰:此節添一也字有意。)


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