黄帝内経素問集注(六節臟象論篇9-5)

翻訳

黄帝が言う「臓腑の象(しょう)はどのようなものか?」
(象はここでは像を指し、臓腑の形態を論じ、天地の陰陽に応じることを意味します。)

岐伯が答える「心は生命の根本であり、神の変化を司るものです。その華は顔にあり、その充満は血脈に存在します。心は陽の中の太陽とされ、夏の気に通じます。」
(心は血を司り、中焦は気を受けて精を取り、それを赤い血として生成し、身体を養います。これほど重要なものは他にありません。したがって、身体を生かす根本となります。心は神を収め、あらゆる事象に応じる変化を司ります。だからこそ神の変化と言われるのです。十二経脈と三百六十五の絡(らく)の気と血はすべて顔面に上昇します。心は血脈を支配し、そのため華は顔に現れます。体内では脈となり、そのため充満は血脈に存在します。心は火の属性であり、高貴な位置にあります。陽の中の太陽とされ、夏の気に通じます。夏は火を主とします。濟公は言いました:根は榮(えい)であり、葉は衛(えい)です。榮の血は陰陽の血気によって生まれたものであり、それが基本となります。”)

肺は、気の本源であり、魄(はく)の存在する場所です。その華は毛にあり、その充満は皮に存在します。陽の中の太陰とされ、秋の気に通じます。
(肺は気を司り、魄を収めるものであり、したがって気の本源であり、魄の存在する場所でもあります。肺は皮膚と毛を司り、そのため華は毛に現れ、充満は皮に存在します。肺は真の存在を高く収め、陰に属します。そのため、陽の中の太陰とされ、秋の気に通じます。秋は肺を主とします。)

腎は、蟄(ちつ)を封じて隠す本源であり、精の存在する場所です。その華は髪にあり、その充満は骨に存在します。陰の中の少陰とされ、冬の気に通じます。
(冬の時季、陽の気が封じ込められ、蟄虫は深く隠れます。腎は冬の封じる本源を司り、蟄虫は生命の象徴です。これは生命の陽気と比較されます。春になると陽の気が生まれ、蟄虫も再び活動を始めます。腎は水の臓器であり、五臓の精液を受けて保管します。したがって、精の存在する場所とされます。髪は血の余剰であり、血は精の変化です。そのため、華は髪にあります。腎は骨を司り、そのため充満は骨に存在します。腎は陰の臓器であり、坎(かん)の中に陽があります。そのため、陰の中の少陰とされ、冬の気に通じます。冬は水を主とします。)

肝は、極限に達する本源であり、魂の居場所です。その華は爪にあり、その充満は筋に存在します。血気を生じるための臓器で、味は酸く、色は青白です。これは陽の中の少陽とされ、春の気に通じます。
(動きが過度に疲れることを「罷」と呼びます。肝は筋を司り、人の運動は筋力によって行われるため、極限に達する本源とされます。肝は魂を収めるものであり、したがって魂の居場所です。爪は筋の余剰です。そのため、華は爪にあり、充満は筋に存在します。肝は木の属性を持ち、東方に位置し、生命の成長を始める役割を果たします。したがって、血気を生じるためです。酸味は木の味覚であり、青白い色も木を表しています。木は春に盛んになり、陽の気が生まれます。そのため、陽の中の少陽とされ、春の気に通じます。張令韶は言いました:"罷同。" 書には、「熊罷之士不二心之臣」とあります。肝は将軍の官職であり、したがって極限に達する本源とされます。)

脾胃大腸小腸三焦膀胱は、倉と廩(りん、穀物を貯蔵する倉庫と食糧庫)の本源であり、榮(栄光)の居場所です。これを器と呼び、糟粕を変化させ、味を転化して出入りする機能を持ちます。その華は唇の四つの白い部分にあり、その充満は肌に存在します。味は甘く、色は黄色です。これは至陰の類に属し、土の気に通じます。
(足太陰は水と穀物の濁ったものを受け持ち、転送する役割を果たします。腸と胃は水と穀物を受け渡す役割を担い、三焦は尿を排泄する役割を担います。膀胱は尿の貯蔵庫です。これらはすべて倉廩の本源とされます。脾は榮を保持し、したがって榮の居場所とされます。器は、生命の変化を司り、上昇・降下・出入りの気を備えています。脾は糟粕を変化させ、味を転化して五臓を養い、穢れたものを陰に送り出す能力を持っています。そのため「器」と名付けられています。四白は唇の四方の白い部分であり、口は脾の孔で肌を司ります。したがって、華は唇の四つの白い部分に現れ、充満は肌に存在します。甘味は土の味であり、黄色は土の色です。脾は至陰の中の至陰であり、土の気に通じます。この節は脾に焦点を当てており、腸胃、三焦、膀胱はすべて水と穀物の精細なものと濁ったものを受け渡す役割を担っているため、総じて倉廩の本源とされます。濁ったものを受け持つ部分は陰の属性です。したがって「至陰の類」と言われています。)

合計で十一の臓器があり、これは膽によって決定されます。
(五臓六腑を合わせて十一の臓器と呼びます。膽は甲子を司り、五運六氣の最初のものです。膽の気が上昇すると、十一の臓器の気も全て上昇します。したがって、これは膽によって決定されます。これを「求其至(きゅうきそ)」と呼びます。すべてのものが最初の春に戻ることを指します。)

したがって、人体は迎える力が1つ盛んでいる場合、病気は少陽に現れます。迎える力が2つ盛んなら、病気は太陽に現れます。迎える力が3つ盛んなら、病気は陽明に現れます。迎える力が4つ以上盛んなら、格陽(陽過)となります。
(これは臓腑の六気に関する論点であり、天地の六つの相に応じています。左側が人迎(人迎穴)を指し、右側が気口を指します。陽の気は左から右に向かって流れ、陰の気は右から左に向かって流れます。そのため、人迎を用いて三陽の気を監視するのです。これは前文に続くもので、人体の臓腑は三陰と三陽の六気に応じており、迎える力が1つ盛んならば、それは少陽の春の上昇する気に対応します。太陽は夏を司り、陽明は秋を司ります。迎える力が4つ以上の場合、人体の陰陽のバランスが崩れており、陽の過剰が起きていることを指します。)

寸口の力が1つ盛んなら、病気は厥陰(太陰の上の陰の部分)に現れます。寸口の力が2つ盛んなら、病気は少陰に現れます。寸口の力が3つ盛んなら、病気は太陰に現れます。寸口の力が4つ以上盛んなら、關陰(陰の過剰)となります。
(寸口とは、手の太陰経の合谷(ぐうこく)と大陵(たいりょう)の脈を指します。これによって三陰の気を監視します。厥陰は乙木の春の生気を司ります。したがって、寸口の力が1つ盛んならば、それは厥陰に対応し、病気が厥陰に発生します。2つ盛んならば、少陰に、3つ盛んならば、太陰に対応し、寸口の力が4つ以上盛んならば、人体の陰陽のバランスが崩れており、陰の過剰が起こっていることを指します。)

人迎と寸口がともに4倍以上盛んでいる場合、關格(関格)となります。關格の脈は、天地の精気に達することができない場合、死に至ります。これらの脈がともに4倍以上盛んでいる場合、陰と陽の双方が極度に過剰になっています。ここで「贏」は「盈」の意味です。「極」は「至」の意味です。天には陰と陽があり、地にも陰と陽があります。陽の過剰な下には、陰の精が受け継ぎます。陰の過剰な下には、陽の気が受け継ぎます。陰と陽はお互いに製造し、生み変える役割を持っており、交互に生命を生み出すプロセスです。人は天地の気の交わる中で生まれ、陰と陽が調和しているときに健康です。もし陰と陽が共に過剰になり、調和がとれていない場合、天地の陰陽の精気を受け継ぐことができず、死に至ります。これが「亢則害」(過剰は害)と言われるものです。製造は生み変え、生み変えは生命を生み出すプロセスを指します。外的な増減、害は敗れ乱れ、生命の生み変えが大きく崩れる大病の原因となります。

原文

帝曰:藏象何如?
(象者像也。論臟腑之形像。以應天地之陰陽也。)

岐伯曰:心者。生之本。神之變也。其華在面。其充在血脈。為陽中之太陽。通於夏氣。
(心主血。中焦受氣取汁。化赤而為血。以奉生身。莫貴於此。故為生身之本。心藏神而應變萬事。故曰神之變也。十二經脈。三百六十五絡。其氣血皆上於面。心主血脈。故其華在面也。在體為脈。故其充在血脈。其類火而位居尊高。故為陽中之太陽。而通於夏氣。夏主火也。濟公曰:榮為根。衛為葉。榮血為陰陽血氣所生之本。)

肺者。氣之本。魄之處也。其華在毛。其充在皮。為陽中之太陰。通於秋氣。
(肺主氣而藏魄。故為氣之本。魄之處也。肺主皮毛。故華在毛。充在皮也。藏真居高而屬陰。故為陽中之太陰。而通於秋氣。秋主肺也。)

腎者。主蟄封藏之本。精之處也。其華在發。其充在骨。為陰中之少陰。通於冬氣。
(冬令之時。陽氣封閉。蟄蟲深藏。腎主冬藏。故為蟄封藏之本。蓋蟄乃生動之物。以比生陽之氣。至春一陽初生。而蟄蟲複振矣。腎為水臟。受五臟之精液而藏之。故為精之處也。發乃血之餘。血乃精之化。故其華在發。腎主骨。故其充在骨也。腎為陰臟。而有坎中之陽。故為陰中之少陰。而通於冬氣。冬主水也。)

肝者。罷極之本。魂之居也。其華在爪。其充在筋。以生血氣。其味酸。其色蒼。此為陽中之少陽。通於春氣。
(動作勞甚謂之罷。肝主筋。人之運動。皆由乎筋力。故為罷極之本。肝藏魂。故為魂之居。爪者筋之餘。故其華在爪。其充在筋。肝屬木。位居東方。為發生之始。故以生血氣。酸者木之味。蒼者木之色。木旺於春。陽氣始生。故為陽中之少陽。以通於春氣。張令韶曰:罷同 。書曰:有熊罷之士不二心之臣。肝乃將軍之官。故為罷極之本。)

脾胃大腸小腸三焦膀胱者。倉廩之本。榮之居也。名曰器。能化糟粕。轉味而入出者也。其華在唇四白。其充在肌。其味甘。其色黃。此至陰之類。通於土氣。
(足太陰獨受水穀之濁。為轉輸之官。腸胃主受傳水穀。三焦主決瀆水道。膀胱為水精之府。故皆為倉廩之本。脾藏榮。故為榮之居。器者。生化之宇。具升降出入之氣。脾能運化糟粕。轉味而入養五臟。輸出腐穢于二陰。故名之曰器也。四白。唇之四際白肉也。口為脾竅而主肌。故華在唇四白。其充在肌。甘者土之味。黃者土之色也。脾為陰中之至陰。通於土氣。此節指脾而言。以腸胃三焦膀胱。並受傳水穀之精粗。故總為倉廩之本。受濁者為陰。故曰至陰之類。)

凡十一臟。取決於膽也。
(五臟六腑。共為十一臟。膽主甲子。為五運六氣之首。膽氣升。則十一臟腑之氣皆升。故取決於膽也。所謂求其至也。皆歸始春。)

故人迎一盛。病在少陽。二盛病在太陽。三盛病在陽明。四盛以上為格陽。
(此論臟腑之六氣。以應天地之六六也。左為人迎。右為氣口。蓋陽氣從左而行於右。陰氣從右而行於左。故以人迎以候三陽之氣。故者。承上文而言。人之臟腑。以應三陰三陽之六氣也。一盛病在少陽。少陽主春升之氣也。太陽主夏。陽明主秋。四盛以上者。言人之陰陽。惟陽太盛。名曰格陽。蓋陽主在外。陽格於外。不得三陰中見之化以和之。此三陽之太過也。)

寸口一盛。病在厥陰。二盛病在少陰。三盛病在太陰。四盛以上為關陰。
(寸口、手太陰之兩脈口。以候三陰之氣也。厥陰主乙木春生之氣。故寸口一盛。病在厥陰。二之氣少陰。四之氣太陰。四盛以上者。人之陰陽。惟陰太盛。名曰關陰。蓋陰氣主內。關陰于內。不得三陽中見之化以和之。此三陰之太過也。此論寸口人迎之病脈。以應四時之三陰三陽。即四時之六氣不平。而亦為三陰三陽之民病也。故六微旨大論曰:至而不至。來氣不及。未至而至。來氣有餘。物生其應也。氣脈其應也。靈樞經曰:持其脈口人迎。以知陰陽有餘不足。平與不平。天道畢矣。所謂平人者不病。不病者。脈口人迎。應四時也。上下相應。而俱往來也。上下相應者。脈口與人迎平等。所謂陰中有陽。陽中有陰也。此言天地之陰陽。以應人之臟腑。臟腑之六氣。以應天地之陰陽也。)

人迎與寸口。俱盛四倍以上為關格。關格之脈贏。不能極於天地之精氣。則死矣。俱四倍以上者。陰陽俱亢極也。贏、盈同。極、至也。蓋天有陰陽。地有陰陽。陽盛之下。陰精承之。陰盛之下。陽氣承之。陰陽承製。而交相生化者也。人生於天地氣交之中。陰陽和平。是為無病。如陰陽俱盛而不和。是不能及於天地陰陽精氣之承製。則死矣。此即六微旨之所謂亢則害。承乃製。製則生化。外列盛衰。害則敗亂。生化大病。

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