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会いたい人に、会いに行く~わずか15分の再会~

ヒトとモノの彩り発見ライター 矢島真沙子です。
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「おばあちゃんに会いたい」

お盆に愛知の実家に帰省することになった。そのときふと施設に入っている祖母に会おうと思いついた。

(ちなみに似た記事で、亡き祖父との思い出も執筆してます)


90歳を超えた祖母は、自宅を離れて3年ほど経つ。現在はグループホーム(以下施設)で暮らしていて、1~2週間に1度、母が様子を見に行っている。移動は車椅子で、日常行為をほぼ施設の職員さんにおまかせしている。そのため、お盆やお正月の長い休みでも、祖母は自宅に帰ることがない。
祖母に会うには、スケジュールを確保して、施設に予約を取る。そして、自ら会いに行く必要があるのだ。

長い間、祖母に会いに行くことを怠っていた。母から「おばあちゃん、元気だよ」と様子を聞いていたから、何となく、会うことの必要性を感じていなかった。人と直接会うことを制限する情勢も頭にあった。

それとは別に、「会っても私のことが分からない」「何を話したらいいか分からない」という戸惑いがあった。正直に言うと、会うことを怖がっていたのかもしれない。

それが、今年の夏は、「祖母に直接会いたい」と急に思ったのだ。母に頼んで、施設に予約を入れてもらい、5年以上ぶりに祖母と再会することになった。

祖母に会う当日、複雑な思いでいっぱいだった。久しぶりに会える楽しみ、私のことをほとんど覚えていないことへの不安、何を話したらよいのかという戸惑い…。様々な思いが交錯して、朝から緊張していた。

施設に到着し、職員さんに祖母のいる共用スペースへ案内された。

いた。おばあちゃん。

車椅子に座って、コーヒーを飲んでいたようだ。母が声をかけた。「おかあさん、来たよ。誰かわかる?」
母は、1週間前に来訪したようだが、祖母は最初母も分からなかったようで、ぼうっとした表情で私たちを見つめていた。祖母の個室に3人で移動する。

母は懸命に祖母に話しかける。

「あなたの、名前はなに?」まず自分(祖母自身)の名前から。「そうそう、で、私(母のこと)は誰?あなたの娘だよね。名前は?」

ひとつひとつ、確認する。祖母はぼうっとしながらも、一生懸命考えて思い出そうとしている。
しかし、隣にいるわたしに顔を向けないので、母が水を向けた。

「おかあさん、この子は誰か分かる?こっち(わたしの方)見て」

祖母がようやく私の存在に気がついたようだ。ドキッとした。祖母にじっと見つめられたのは、いつ以来だろうか。私は緊張で声が出ない。

「うーん…。誰だろねえ。分からないなあ。でも…かわいいねえ。」
すぐに名前を呼ばれない。忘れられている。覚悟はしていたけど、リアルに現実を突きつけられて、ややショックを受けた。
しかし、「かわいいねえ」と感じたということは、赤の他人ではなく、昔どこかでかわいがった記憶から出た表現な気がして、ちょっと嬉しかった。(前向きに考えてみる)

・・・・・
子どものころはよく祖父母の家に泊りに行った。おばあちゃんは家回りのことを何でもこなす、家事のエキスパートだ。
台所でカレーライスを作ってくれたり、朝ごはんに茶粥を炊いて、ししゃもを焼いてくれたりと、台所に立つ姿が本当に輝かしかった。もちろん、裁縫などの手仕事も難なくこなす。さらに、和楽器に長けていて、お琴や三味線もお手の物だったな。何ていうか、古き良き日本女性の鑑みたいな印象だ。
何より、1人娘の母と、夫である祖父を愛し、明るくてきぱき動く。
先に他界した祖父が一家の大黒柱なら、祖母は一家の守り神的な存在と言える。

そして、孫の中でも、1人娘の母に一番よく似ている(らしい)私のことも、「よう来たねえ。かわいいねえ。」と言って、愛情を注いで接してくれていた。
・・・・・

「真沙子だよ。マサコ。あなたの孫だよ。」

母が祖母に伝えると、祖母は悲しそうな顔をしながらも、「よう覚えてないけど、ほんとかわいいねえ。マサコか。」と言ってくれた。その後母は、天気のこと、施設のこと、親族のこと…いろんな話題をふって、祖母の記憶を掘り起こそうとしていた。私はそこに、合いの手を挟みながら、祖母に存在をアピールしていく。

初めは表情がほとんどなかった祖母は、徐々に記憶が戻ってきたようだ。視線が安定して、言葉もなめらかになってきた。

ふと祖母の手に目がとまった。おばあちゃんの手。90歳を超えた祖母の手の甲には、深いしわが刻まれている。血管も浮き出ていて、年相応な様子だ。手のひらはどうなっているのかな…。

すると、母が「おかあさん、よくその服着ているよねえ。」と、祖母の着ているブルーのシャツを触って言った。「そうだねえ。涼し気な素材だね。」と言って私も祖母の服に触れる。その流れで、祖母の手に触れて、軽くマッサージをしながら手のひらも観察してみた。

祖母の手のひらは白く、ふわふわしていてとてもきれいだった。赤ちゃんの手が、そのまま大きくなったような感触だ。まあ、施設に入って水仕事もしないし、手荒れもないから当然かもしれないが…。

それでも私はこう伝えた。

「おばあちゃんの手、すごくきれいだね。ふわふわして、やわらかい。触っていて気持ちいいよ。」母も気がついて同じように触れて言う。「ほんとだ。おかあさんの手、きれい。」

祖母は「きれい?こんなシワシワの手が?」と訝しがり、自信なさげだ。確かに、祖母が見ている手の甲にはしわがくっきり刻まれている。でも、私たちの言う手のひらは、心地よい感触と、ちょうど良い温度帯に包まれている。本当にずっと触っていたいくらいだ。

特に祖母が嫌がる様子もないので、世間話をしながら、手のひらマッサージを施した。

「あれ、何かおばあちゃん、血色良くなってきたね。」母が言う。見ると、確かに祖母の顔色は会った直後より赤みがさして、表情が出ている。最初は単語を並べるだけだったが、徐々に脈絡ある「文章」で会話ができるようになってきた。

一定時間以上、誰かと言葉を交わすこと、言葉を交わしながらのスキンシップは、脳の活性化につながるという話を聞いたことがある。さっきの手のひらタッチングが、祖母とのコミュニケーションに一役買っているのかもしれない。


面会時間は約15分はあっという間に過ぎ、早くもお別れの時間だ。

「また来るね、おばあちゃん」別れ際に声をかけた。祖母はやはりぼうっとしている。それでも、優しく笑みを浮かべて「うん」と答えてくれた。約15分の間に、遠い記憶の中にいる、孫の私を認識してくれたのだろうか。

そして、車椅子に乗って私たち親子を見送る祖母はこう言った。「お小遣いやらんとね。私の財布はどこ?」

お小遣い、やらんとね。

はっ、とした。祖母が元気だったとき、帰り際にお小遣いを必ずもらったことを思い出した。母も気がついたのか、「おばあちゃん、昔帰るときにお小遣いをあげたこと、思い出したんだね。」と苦笑いして私を見た。

母は「おばあちゃん、マサコには替わりにお小遣い渡しておくから大丈夫だよ。」と言って、施設を後にした。


わずか15分のおばあちゃんとの再会。何を話したわけでもない。というより、そもそも私を認識してもらうところからのスタートなのだ。施設を離れて数分、今この時点で、すでにおばあちゃんは私のことを忘れてしまっているのだろう。
「年を重ねるって、そういうことなんだよな。」と私は自分に言い聞かせる。予想していたとはいえ、心にぽっかり穴が空いた気持ちだ。それでも、この貴重な15分は温かく、私の心に深く刻み込まれていた。

直接顔を見て、言葉を交わし、触れ合う。

文字にすると何てことない行為だが、先延ばしにしている人も多いかもしれない。命に限りのある私たち、いつどこで何が起こるかは誰にも分からない。

会いたい人に、自ら会いに行く

思いたったら、ぜひ行動してほしいと思う。「あのとき会っておけば良かった」と後悔しないためにも。


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