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「現場感のある研修」のつくりかた

人材育成担当者が「良い研修」を作っていくためのヒントを書き連ねています。

今回は、研修と現場のつながりについて考えてみます。

忙しいなか、現場を「離れて」研修に行く意味とはなんでしょうか?

研修が現場とは「別の場所」で行われるがゆえに必要なこととはなんでしょう?

望ましい研修の姿としてよく使われる、「現場感のある研修」という言葉。これを中身のないスローガンとせずに、効果をともなった研修に落とし込むための方法について書いてみます。

受講者は現場で「もう一度」学ぶ

「研修」という形態を抜きにして、「そもそも人が成長するとはどういうことか?」という問いを考えてみると、そこにはいつも、「本人が必死になって取り組む」というフェーズが必要だと言えます。

こちらはキャリアについての文脈ですが、スキルやマインドについても同じだと思います。 

私もキャリア相談を受けたときには、悩みを解決しようとは考えていません。悩み方という武器を渡す。それによって、悩みの中を進むための勇気を持ち帰ってもらうところまでが、他人である私がやれること/やるべきことだと思っています。

無駄な努力なんてない』より

他者(人材育成担当者や講師)は本人に対して、武を渡して勇を抱いてもらうことまではできます。一方で、そこまでしかできない、とも言えます。

武器と勇気を手にした本人はそのあと、「悩みの中を進む」必要があります。現場での実践です。研修で教わったからといって、現場での難題がスラスラ解けるようになっているわけではありません。現場の中で「あらためて」悩みながら、試行錯誤する必要があります。その試行錯誤のなかで、研修の内容が「あらためて」理解できる。

受講者が現場において、本気で取り組むことによってはじめて、研修と現場がつながり、成長のスパイラルが回り始めます。

ビジネス・パーソンの「練習と試合」

研修と現場の関係は、ビジネス・パーソンにとっての練習と試合になぞらえることができます。

よく言われることですが、人が成長するためには、「試合のように練習する」「練習のように試合する」のサイクルが必要です。

研修が練習、現場が試合と考えてみてください。その研修(練習)は、現場(試合)のようになっていますか? ロールプレイングやアクションラーニングなどは、現場(試合)で起きる様々な状況に対してどう行動するのか、ということを受講者に考えさせます。試合のように練習するための方法と言えます。

1つは、状況(こういうときには)と行為(こうする)のセット。

受講者の主戦場である現場というのは、多種多様な場です。いろんなことが起きる。いろんな人がいる。そういう多様性や不確実性の高い場である現場にくらべて、研修というのはどうしても、統制のとれた実験室にとどまってしまいます。

そのギャップを踏まえたうえで、研修では、できるだけたくさんの「こういうときにはこうする」という状況と行為のセットを伝える必要があります。研修でロールプレイをすることがあると思いますが、あれは、実験室にいながらにして、いろんな状況を引き起こして、そこで必要とされる様々な行為を教えるためなのです。

勇気の出る研修』より

現場を補う研修

現場で起きることを再現した研修」というのはたしかに、「現場感のある研修」のためには必要です。でも、この意味における「現場感のある研修」というのは、どこまで行っても、こんな厳しい言葉にさらされます。

現場は、研修とは違うよ。

「現場感のある研修」という言葉に私が抱く違和感というのは、この言葉(反発、諦念、ぼやき)に集約されます。そう、現場と研修は違うのです。「現場の再現」を突き詰める形での「現場感のある研修」というのは、どこまで行っても「現場には及ばない研修」どまりです。

現場と補いあう研修

研修が「良い練習」たりえる、すなわち、現場とは違う機能を果たすためには、実は、もう一つ大切な要素があります。それが、「現場(試合)では手に入りにくいもの」がちゃんと埋め込まれているか、ということです。練習(研修)が、試合(現場)とは切り離された別の時間/場所で行われる必然性がここにあります。

そして2つ目は、受講者の「わかっているのにできない理由」に対する共感です。

統制された実験室である研修において、「あるべき姿」を語るのは、簡単なことなのです。混沌とした現場で「うまくできない」受講者に対して、実験室から「それではダメだ」と断罪することは、簡単なことなのです。

でも、「あるべき姿」や断罪を浴びせられた受講者の心に浮かぶ声は、「これならできそう」という希望ではなく、「できてなくてごめんなさい」という謝罪や「じゃあもうできなくていいよ」という諦念です。忙しいなか研修に来てもらって、受講者から引き出したのが謝罪や諦念だとしたら、本当に残念なことです。

勇気の出る研修』より

いわゆる心理的安全性と呼ばれるものです。

上の引用では、「できないことに対する共感」だけに触れていますが、それ以外にも、「失敗されても罰せられない」「失敗しても何度でも試行錯誤できる」「試行錯誤の結果に対してフィードバックが受けられる」などの要素があります。

練習のあるべき姿の一つとして、「試合のように練習する」がありました。研修(練習)は、現場(試合)とつながっている必要があります。そして、研修(練習)のあるべき姿のもう一つは、研修(練習)と現場(試合)は離れているからこそ、「試合では手に入りにくいもの」が埋め込まれていることです。それが、研修を練習たりえさせます。

その研修(練習)には、「失敗」「試行錯誤」「共感」「フィードバック」などの要素が含まれているでしょうか?

チャレンジ&サポート

現場感のある研修にしたい(by 人材育成担当者)、してくれ(by 経営/現場)といった言葉はよく聞きますが、いったい現場感のある研修とはなんでしょうか? 現場「感」などと回りくどい修飾語が必要なら、いっそぜんぶ現場にしてしまえば(研修なんてやめてしまえば)よいのではないでしょうか?

もし研修という、現場を離れた場が必要だとするならば、その答えは「試合(現場)のように練習する」というチャレンジと、「試合(現場)では手に入りにくいもの」としての「心理的安全性」や「フィードバック」などのサポートの両方が、バランスよく配されていることだと思います。

研修が、チャレンジ&サポートのバランスという観点から、綿密にデザインされた場であれば、チャレンジングな場である現場と並び立つ理由が残るはずです。


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