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【エッセイ】 誰かの声がした

私は、新型ウィルス騒ぎが始まった頃、母を亡くしてしまうのかと思う経験をした。兄から、知らせがあった。

母が熱を出し、危篤のような状態になっていると。わけのわからないことを口走り、死んだ誰彼の名前を出し、聞いたこともないような、昔の話をしていると。そうでないときは、ただ、眠っている。見つけた時は、母の部屋はめちゃくちゃで、ベッドから落ち、そのままシーツの山の中で、それこそ、死んだように眠っていた。

シーツやら服やら、部屋の押し入れにあるものを、いろいろ持ち出して、整理でもしていたのかのようだと、兄が言う。自分が、最後を迎えると気づき、片付けをしようとしていたのではないか。または、とうとう認知症が本格的に、、。

国外に住む私は、電話で兄から話を聞くたびに、ただ涙が出て仕方がなかった。新型ウィルスなので、簡単には、飛んで帰れない。どうにかして、日本に帰国し、地方にある実家に帰る方法はないか、頭をめぐらせた。

その1週間か2週間前に、インターネットのニュースで読んだ外国旅行帰りの親子のことを思い出した。その人たちは、コロナウィルスが陽性反応だったので、よけいにニュースになったのだが、検査の結果を待たずに、止める検査官を振り切って、国内便に勝手に乗りこんだ、という。それを読んだ時は、とんでもない人たちだとしか思わなかった。だが、今の私には、そんなやり方もあるかと、参考になるような気がした。

結局、母は、1週間弱、その状態が続いた後、亡くなったりはしなかった。出ていた熱も、新型ウィルスではなかった。認知症になったのかもと思われた状態も、そうではなかった。熱のせいで、自分の意識下にあった色々なことを、うわごとのように、口走っていただけだった。

私は、母から直に電話をもらった。その時もすぐ、兄からの電話を受けた時と同じように、涙は出た。

母は、自分の高熱は感じていたそうだ。母によると、自分はコロナにかかったのだろうと思っていた。自分は死ぬんだろう。だったら、自分の最後の後始末をしなくては。それで、部屋の、いろいろな自分の持ち物を、整理しようとしていたらしい。ただ、それ以外の記憶は、曖昧だ。意識朦朧としていた自分が口にしていたことを聞くと、自分でも不思議がっていた。

母は、夢を見ていたと言う。その夢の中で、自分は、宇宙に行っていたのだと言う。天国に行っていたのだと言う。母が見たという夢は、まるでお話のようだった。

母をそこに運んだのは、飛行機。母は、ああ、天国に行ってるんだなあ、宇宙を通っているんだなあ、と思っていた。そして、もうすぐ着くというのが分かった。これから川を渡るという段で、母には、声が聞こえた。

「まだ来たらいけん。まだ早すぎる。戻らにゃあいけん。」

男の声だったと言う。それが誰だったのか、母にはわからない。私の父か。母の父か。母が4才になる前に死に別れた、最初の父か。湿っぽさも何もなしで、母は言う、わからん、と。そして、続けて言う。

でも、男の人の声じゃった、男の人の声が、聞こえたんじゃ。まだ来たらいけん、て。まだ来る時じゃねえ、ゆうて。

     *     *     *

新型ウィルス騒ぎが、少しはおさまりかけていた頃、7月の初めに、私は、若い俳優の自死を知った。見た目も、性格も良さそうな、主役級の仕事をもういくつもこなしている、人気俳優だった。私から見ると、若干とも言える30歳。特別ファンだったと言うわけではないが、胸がいたんだ。

いろいろなコメントの中で、多くの人も共感していた、松本人志さんの言葉が、私にも一番響いた。そういう、魔が差すような時や瞬間は、きっと誰にでもある。でも、例えば、一晩寝て起きたら、それですんでいたかもしれないと。

でもその、ギリギリの、いろいろな選択の中で、彼は、思い切ってしまった。それは、小心な私から見れば、勇気がいる決断とも思える。行動につなげたこと自体は、感に耐えない気さえする。そして、同時に、私には全く関係のない人なのだが、私は彼を、泣いて怒鳴りつけてやりたいような気もした。

そんな憤りを感じながら彼の死を悼んだ人は、彼の周りに、たくさんいると思う。特に、彼より年上の大人たち。その人たちの声は、彼には届かなかった。どこかから聞こえたと思った声が、私の母の最期を、引き止めたかもしれないが、誰かの声は、彼には届かなかった。届いたとしても、引き止める力が足りなかった。

闇のような一夜が明けて、もしかしたら、彼は、私たちには何も気づかないような顔で、次の日を、迎えていたかもしれないのに。そして、私たちは、彼の闇のことなど何も、知ることもなかったかもしれないのに。


私は、この俳優の自死の話を、十代ど真ん中の、下の子供にした。そして、そういう闇のような時は、誰にでもあるし、うちの子にも、もうあったかもしれない。その時に、私は子供に、必ず声が聞こえて欲しいと願う、と言った。その声は、絶対女のだからと。最後の最後まで、自分を切るとか縄をかけるとかしてしまっていても、戻って来られなくなる前に、声が届いてほしいと。

私は、こういう話を聞かせながら、下の子の頭の中に、孫悟空の頭の輪っかを、はめるようなつもりでいた。私に似て、激情型の、気分にムラのあるこの子が、若い時の私がそうであったような、気がふれそうな人のような考えを、持たないように。持っても、行動に移さないように。行動にうつしても、直して戻せるところで、止められるように。

ニュースで知った、あの若い俳優さんも、世の中で、ひとり自死を選んでしまう私より年下の人たちも。誰かの声が、聞こえていたらと、その人たちの誰をも私は知らないけれど、願わずにはいられない。

     *     *     *

すっかり、元気になった母は、もちろん年相応に、動かない足だとか、痛む膝だとかはあるのだが、車で連れ出してもらったりして、前とあまり変わらない生活をしている。母は、心配してくれた親戚のみなに、一人ずつ電話をかけて、自分のことを、笑い話にしている。自分の通夜の席で、みんなで笑えることができたと、自慢するように言う。

私が、なんとか日本に帰れないかと思ったことは、実際は、兄にそう思ったと言っただけなのに、兄が話し伝えるうちにおヒレがついて、私が成田空港の検疫を破って、引き止める空港の係員を振り切り、岡山行きの国内線に乗ろうと考えていた、という話になっている。なんにもしていないのに、甥には、やすこおばちゃん最強伝説、またはおバカエピソードと嘲られ、あきれられた。なんにしても、私が笑われると言う結末だけですんだのは、ただありがたい。


私自身のオチは、まだこっちに来てはいけないと言われた母と、同じことを言われたことだ。状況は全く違うが。

電話で話している兄に、なんとかして帰りたい思いを告げた時だ。母を看取ることは、国外に住んでいるので、前からあきらめてはいる。でも、できるのなら。それに、兄たちばかりに負担をかけていて、私も手助けしたい、と。

「おめえは、アホウか!」

電話の向こうの兄が、声をあげ、早口で言う。

「今、コロナじゃで。おばあちゃんもじゃけど、近所は年寄りばあなんじゃ。帰って来たりせんでくれえ。帰ってこられたりしたら、その方が、困るんじゃ!」

兄の思いやりなのか、本気で迷惑がられたのか。きっと、どっちもなのだろう。

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