無題0

世界を良くする試みも、自由や平等についての解釈の、現象観レベルの更新を欠けば、成果は表層的です。その更新をもって個人の尊厳等の近代以来の枠組みを修正しましょう。

2019-5-003

自由や平等についての解釈を、現象観レベルから更新しましょう。

それ無しに世界をより良いものにしようと試みても、
良くて表層的な成果を得るに留まる上、
誤解された理念による弊害が生じてしまいます。

しかし、その更新が果たされれば、
近代以降の混乱(実情主義の進行や反動)も解消可能なはずです。


例えば、個人の自由の保障を、場を越境しない配慮の一種として捉え直し、

下で言う責任を付随させる方向をもって、

保障しつつも、
個々事情への、井の中の蛙状態の克服努力差を見ない的扱い等の、
何でも有りの相対主義的事態を防ぎ、

また、個人の尊厳等の、近代以来の枠組みも修正しましょう。


内面世界も自国社会も国際社会も、無数にある局面も、

場に関する同じ原理
(場の本質に即した形式や帰結の組み上げについての責任)をもって扱うべきです。

つまり、社会契約論含め、個人と国の対立構図は、

(個人の外在場と国の内在場が重なる場というだけ、
選手と大会運営の関係と変わらないのに、)

場に置かれるものと置かれる場の関係への無理解によって、
誤解した産物であり、

場の管理責任に、管理側も被管理側も権利行使の根拠を見る権利観への、
阻害要因です。

にもかかわらず、
誤解の構図を前提に世の改善も図られてきたわけで、
こうした実態(世界標準である欧米の知性や倫理による、いらぬ限界の存在)を、

人類に認めてもらいましょう。


為にもまず、

権力主体の不当な不利益回避や利得の、被害者となるのを防ぐ口実で、
被権力主体の不当な不利益回避や利得まで保障する理屈を持ち出す、

この構造(アンフェアの所在が代わるだけで満足する倫理)の根拠にされてる状態から、

自由や平等の概念を救い出しましょう
(それが叶えば、同状況にある愛や平和の概念も救えるはずです)。

そのような構造に追いやってる通念やパラダイムから、
自由や平等を救い出すには、

いらぬ特化(いらぬ飛躍)を避ける処理が必要と考えますが、
その処理自体がむしろ、

本来の自由や平等なのだと思われます。
(その場合、論理飛躍の除去のような知性の問題も、
自由や平等の問題に帰着する道理です。)


自由は、
脱制限(形式)に対し、
制限の大小によらず内外構造への飛躍除去が機能した帰結の引き受けを、

平等は、
差異性捨象(形式)に対し、
その場その場の本質に即した着目無視や損得への支持(フェア)を、

その内実としていなければ、誤用悪用を防げない、

そう考えれば、先の処理を、

抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究として見た場合、
自由の実質、

その場その場の代替不可能な固有性と次元設定(着目無視)との合致配慮として見た場合、
平等の実質、

そのように言う事も可能と思われるからです。


また、どちらの見方も、

場に置かれるものと置かれる場の関係(外部有りを導く有限性)を、

ひいては、現象を内在の性質と外在の性質の合わさった結果と見る、
かつ、内在の性質や外在の性質の代替不可能度に現象の確からしさを見る現象観を、

前提とした、
場の性質が具体化条件、
場の代替不可能な性質は確からしい(通用が行き渡ってる)具体化条件、

との観点は同じ(いらぬ飛躍、いらぬ通用領域限定を見る対象の違い)なので、

先の処理と同一視した自由や平等は、
内と外に上下関係を見るパラダイムから救い出されてる形です。

この同一視を内容とする解釈更新を果たし、
各々が関わり得るいらぬ特化(いらぬ飛躍)の除去を、
可能なだけ追求していく内容の世界変革、時代変革を是としましょう。

ご支援の程よろしくお願い致します。