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呼び出し電話って知ってますか?

とある申込用紙を見ていて急に思い出しました。その昔には、住所を書く用紙には必ず電話番号が「自宅」か「呼び出し」かの区別を書く欄があったということを。

物心ついたときから既に携帯電話があって、そもそも固定電話なんかほとんど使ったことのない世代には何のことかよく分からないでしょうね。

呼び出しというのは自宅に電話(当然固定電話)がなくて、近所のよその家の電話番号を登録しておくことです。

僕の家では、幸いにして僕がまだ幼いうちに家に電話を引きましたが、それでも電話のなかった時代のおぼろげな記憶はあります。我が家の場合は近所の山下食料品店の電話番号を書いていました──番号の後ろに(呼)と添えて。もちろん事前に山下さんの了解は得ています。

で、我が家宛てに電話がかかってくると、親切にも山下商店のおっちゃんかおばちゃんが走って我が家に伝えに来てくれます。近所と言っても隣とか斜め向かいとかいう隣接した位置関係ではなく、走っても1分ぐらいはかかる距離です。それから、我が家の誰かが山下さんと一緒に走って山下商店まで行き、そこで電話に出たのです。

はい、逆に言うと、電話をかけたほうはその間ずっと、ひたすら辛抱強く待っていたのです(笑)

そういう話を聞くと若い人たちはきっと、「信じらんない。よくそんな生活してたな」と思うのでしょうね。それは今では極めてもっともなことですが、一方で何故そんなことがフツーに行われていたのかということをちゃんと見透かしてほしいなとも思います。

この話は大体3つのことを物語っています:

  1. 昔は電話が普及していなかったということ

  2. 昔は地縁的な繋がりが強固であったということ

  3. 電話というものは昔はそんなにしょっちゅうかけるものでもかかってくるものでもなかったということ

何かが何世帯かに1つしかないのであれば、それが重宝であればあるほど、共有できるものであれば共有しようという発想が出てきます。電話を持っている人の純粋な親切なのか、あるいはこれ見よがしな見栄なのかは別にして、他の人にも使わせてあげようと思う家があって当然だし、使わせてくれないかと頼みに来る家があっても不思議はありません。

そして、昔は「ご近所づきあい」というものが今とは比べようがないほど生活に根づいていました。だから、近所の人といろんなものを貸し借りしたり共有したりすることには何の抵抗もなかったのです。何しろ少し前にはテレビを買った家に押しかけてご近所みんなでテレビを見ていた時代ですからね。

今は携帯電話が普及してほとんど1人1台というレベルになってきました。それは自分専用の電話を持ちたいという欲求に突き動かされて実現したとも言えますが、逆に、電話が普及した結果として電話での会話のプライバシー度がどんどん上がって来たとは言えないでしょうか? 裏返せば、電話があまりなかった時代には、電話が個人のものだなんて発想が出てくるはずがないのです。

つまりは電話は個人財ではなく 100%世帯財であったということ。自動車やテレビがその後似たようなルートを辿っていますよね。

そして、そもそも電話があまり普及していない時代には、電話というのはそうそうかかってくるものではありませんでした。例えば親兄弟が事故に遭ったとか危篤だとか、逆に何かすごいものに合格したとか、要するに緊急事態用のツールだったんですね。「久しぶり。元気?」なんてどうでも良い話を電話でできる時代が来るなんて誰も思っていなかったのではないでしょうか?

当時で言えば、電話というのは電報よりもさらに速い伝達手段であり、しかも双方向だという(個人で双方向のメディアを使う機会は極めてまれでした)超ハイテク先端機器だったわけです。安易にかけるものではなく、なんか大事なときにかけるものだという意識ができて当然です。

そういうわけですから、(呼)で登録しておいても実際の稼働率はかなり低いわけで、従って貸すほうにも借りるほうにもそれほどの負担はなかったのです。

こんな風にひとつの現象の裏にはその時代や環境の下で互いに絡み合ったいろいろな事情があります。そこまで考えずに、「よくそんなこと平気でやってたな。その感覚が理解できない。年寄とは話が通じないはずだ」なんて言うのはちょっと短絡的ですよね。

いえ、これは若い人たちに対してだけの話ではありません。若者も年寄りも同じです。何かを考えるときには背景をちゃんと考慮に入れなきゃね、というのが今回僕が言いたいことです。

僕は年寄りですが、言うまでもなく、今さら(呼)の電話なんてまっぴらゴメンです。でも、あの時代にはそれがフツーで、みんなフツーにそうやってきました。ただ、それはあくまであの時代、あの環境の特性であり、その後の長い年月を生き抜いてきた僕に固有の特性ではありません。

僕の感じ方も電話の普及とともに次第に変わって行ったということです。

もしも僕の高校時代にすでに携帯電話があったなら、彼女の家に電話をかける際に「お父さんが出てくるかもしれない」というプレッシャーに身震いする(笑)こともなかったはずです(ああ、彼女の家ではなく彼女に直接つながる電話があれば!と思ったもんですよ)。

会社の固定電話にかかってくる電話を、「誰がかけてきたか分からない電話を取るのはいやだ」と若い社員が尻込みするのも、相手の電話番号がディスプレイに表示される(自分が「連絡先」に登録していればその人の名前が表示される)のが当たり前になったからこそ出てきた傾向ですよね。

そう言えば、携帯電話が普及し始めた当初は、自分の番号を頑固に非通知に設定している人も決して少なくなかったのに、それもいつの間にか変わってきました。

時代は変わります。環境も変わります。そして、人の感じ方や考え方も次第に変わって行きます。それぞれが独立して変わるのではなく、人の考え方が変わるにつれて時代や環境が変化して行く一方で、環境が変わったために感じ方が一変することもあります。そういうものですよね、きっと。

いやはや、今回は1枚の用紙から思念がいろんなところに飛んで行っちゃいました(笑)

何十年後かには、「え? 持ち運びできない電話があったなんて信じられない!」という時代が来るのかもしれません。そんなときに(僕は多分もう死んでしまっていて答えられないだろうけれど)、「いや、あの時代にはこういう環境だったから、それはごくフツーのことだったんだよ」と解説できるような人でありたいな(もしまだ生きていれば)と思う今日この頃です(笑)

※ ☆ ※ ☆ ※

【追記】

上では電話がかかってくるほうばかりについて書いていましたが、じゃあ、こっちからかける場合はどうしたか? ま、当時は相手も電話を持っていない可能性が高かったわけですから、こっちからかけるにもかけられないことが多かったのですが(笑)

それでもどうしても電話をかけなきゃならんとなったら、やっぱり山下商店まで走って行ったんです。あの頃は公衆電話なんてまだほとんどなかったですからね。

などと書いても、今は公衆電話が激減しちゃってるんで、若い人は実感がないでしょうね。でも、今から何十年か前には街中いたるところに公衆電話があったんですよ(山下商店の店頭にも赤電話が設置されていました)。で、さらにその何十年か前について僕は今書いているのですが、その頃にはまだ公衆電話がほとんどなかったんです。

で、山下商店のおっちゃんかおばちゃんに「電話貸して」って言うわけです。そして、電話が終わったら電話代を置いて帰ります。あの頃の電話代は3分10円とかだったから、長く話さない限りは(そもそも電話では長く話すもんではなかったですが)大体10円玉1枚置いて帰りましたね。

皆が家に固定電話を持つようになってからも、今みたいな携帯電話じゃないので一旦家を出てしまうと電話をかけることができません。それで出先の家とか会社で電話を借りるわけですが、その時も 10円玉置いてましたね。

お客さんがウチに来て、電話を借りて、10円玉を置いて行く姿ははっきり記憶に残っています。たまに 10円玉を置いて行かない客がいると、母が「あの人は常識がない」とか「ドケチだ」とかひとりごちていたのもよく憶えています。

なーんか、そういう世の中だったんですね。そういう世の中ってどういう世の中よ?と言われるとよく分かりませんが(笑)

その辺りのことを思い出すと、人が個人個人で行動することが当たり前になってきたから携帯電話が登場したのか、電話が発達するに連れて国民が個人主義化したのか、やっぱり分からないと言うか、ま、いろんなことが複雑に絡み合っているんだなあと実感する今日この頃です。

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