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楽しいことがしたくて死を仕事にすることにした

写真は入社式の時のもの。
私は一番右。なんかきらっきらしてるなあ。
そんなわけで今日は「仕事何してるの?」「葬儀社」というと
返答ランキング1位の「え?なんで葬儀社?」について書こう。

お葬式が楽しいってお前頭いかれとるんか

不謹慎この上かもしれないが、私はお葬式が楽しい場でもいいと思っている。
そして、そういうお葬式ももっと広がればいいと思っている。
それを肯定してくれたのがたまたま今の会社だった。

大学生の時、母方の祖父が亡くなった。
その時の葬儀がめちゃくちゃ楽しかったのだ。
普段会えないレアキャラも含めた親族一同、祖父の友人、会社の人が一斉にやってきた。
みんなが祖父のことを話し、祖父を想う「祖父フェス」だった。
きてくれる祖父の関係者の数にたまげる。そんな人望あったんか。
祖父はいつも寡黙で「えりちゃん、おせんべい食べな」としか言わないのに。
近い存在であったはずの祖父の知らない部分を知ることは、私にとって、とても刺激的だったのだ。

祖父の葬儀、祖父フェスを盛り上げるために、孫たちも張り切った。

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折り紙に手紙を書いて鶴を折ったり、棺に入れるせんべいを手配したりした。
泣きながら棺にせんべいをぼろぼろ入れたが、周りの人は笑いをこらえるのに必死だったのではないだろうか…
そういう、人のために創意工夫をこらすという文化祭的要素も気に入った。
やってあげたいことをどんどん発想して、形にして、準備段階でも祖父の話をしながらゲラゲラ笑った。
ちなみにアホな孫たちは真言宗豊山派のお経の響きも新鮮でゲラゲラ笑った。

なあ、じいちゃん、みんなが来て、みんなが楽しそうにじいちゃんのこと話して、最高の最期だろ…という気持ちでいっぱいになった。

葬儀すげえぞ

葬儀の
「身近な人をもっと知る」
「自分たちがやってあげたいこと、伝えたいことを思いきり表現する場」
「死ってなんだろうと考える」という色々な非日常を語彙力が乏しい私なりにでも表現すると、楽しい、いとおかし、趣があると思った。
どうせ、働くならそういう非日常を広めたり、考えたりする仕事が楽しそうだなと、働きたい職業ランキングに葬儀社もランクインした。

もっとお葬式楽しいぞって広めたい

お葬式は残された人のためにあるものだと思う。
亡くなった人が集めてくれる最期の故人のフェス。
故人のことを語りつつ、知らんおばさんとかから「最近どう?」「あなた大きくなったわね」「赤ちゃんの頃、えりちゃんを抱いたけど覚えてないわよね」と声をかけられる。
どれもこれもじいちゃんのつながりのおかげだ。
つながりを知るということは自分のルーツを知ることだ。
あんまり機会はないし、再びの不謹慎ごめんなさいだけど、お葬式は自分探しの旅で絶対入れるべきチェックポイントだ。

葬儀を知ることによって、自分の去り際を考えるのも楽しくなってきた。
生まれ方は選べないけど、去り方は自分で決められる。
もう、そういう時代だぞと声を大にして言いたい。

「やまのうち えりフェス」はどうやってやろうか企んでいる。

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私は出棺(式場から火葬場にむけて出発するときに)するときに
ディズニーシーの『レイジングスピリッツ』みたいに
♪ドゥン!!!という効果音の後に「アディオス!アミーゴ!」と見送ってほしいと頼み込んでいる。(私を知ってる人は私らしいというはず)
やまのうちフェスの話はまた今度したい。

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