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『無言の圧力』を馬鹿にするバカ

 例えば、会社の上司や先輩、教師や親などがブチ切れて黙り込むとき、それを『また拗ねだした』だの『不機嫌にさせちゃった』と片付けてしまうことほど、己にとって損なことはない。

 理不尽に屈したくない気持ちは分かるし、自分の正義を守りたいのもわかるけれど、会社やら学校やら家やら閉ざされた世界で生きていく上で、ストレスをただの『ストレス』とカテゴライズするのは賢い生き方ではないだろう。

 勘違いしないでもらいたいのは、『無言の圧力』に屈しろと言いたいわけではない。 なんでもかんでも機嫌をとりにくべきとも思えない。ただ、『無言の圧力』を信じる方も馬鹿だが、『不機嫌』が伝染して『めんどくせえな』とイライラしてしまう方も馬鹿だと思うのだ。

 『理不尽な不機嫌』なんて、いわば天災みたいなもの。閉ざされた世界で生きていくなら、それは遭遇せずにはいられない。ただ天災と違うのは、それは『人間の行動』であり、必ずきっかけや理由など『原因』があるということ。

 つまり、『原因のある行動』である『理不尽な不機嫌』及び『無言の圧力』は、きちんと研究、学習すれば予防でき対応策が練られるということだ。

 こういった時に役立つ、観察力、想像力、行動力、応用力は、生きていく上で必要な力だし、それでいて、あればあるほど社会でも評価されていく。そしてまた、『無言の圧力』などを使う『理不尽な人間』なんて、どの世界にも存在する。対応力を鍛えておけば今後の自分が生きやすくなる。

 ただこれは、健康な精神状態ありきの話。圧倒的な『圧力』に、精神的ダメージを深く負っていては難しい話だろう。『無言の圧力』にはそれだけの力がある。『無言の圧力』は、恐怖心を煽り、人を支配し、自分の都合よく操作しようとする力なのだから。

 だから、その時は捨ていい。
 そんな場所からま『逃げる』のではなく、『捨てる』の。
 あなたが、捨ててやりなさい。

 『無言の圧力』を使うのはバカだろう。しかし、それに対応することもできず、文句ばかり言うくせに外に出ようともしないのならば、それもバカとおんなじじゃなかろうか。

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