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【日記】結局深夜かよ。

「生活リズムを整えましょう。」

小学生の時から呪いのようにつきまとってきた言葉である。
僕はわりと寝るのがすきだ。いつまででも寝てたいし、朝起き抜けに夜眠るを楽しみにしてるぐらいには睡眠がすき。
けれど、得意ではない。
好きと得意はちがうのだ。

「今日は仕事帰ってきてからあの作業とあの件進めて家事は○○時には終わらせてラジオ聴きながらさっさと寝よう〜」なんて画策しつつ、結局やるべきことは後回しにしてしまう。
枕の上辺りに置いたスマートフォンから流れるラジオが面白すぎて布団のなかで一人で声を出して笑っちゃう。
ハガキ職人さんたちの才能にヤられて悔しさすら滲ませる。
結果、目が冴えてしまう。

今日は仕事が休みだった。
久しぶりにマッサージに行った。
「肩、首が張ってますねー」なんて言われた。
気持ちよかった。

今日やったことなんてこの程度。

ピアノの練習に行こうと思い、目処を付けていた市民センターがあったのだが、あいにく埋まっていた。
家でパソコンを起動し、録りたい曲を譜面に起こす作業を進めようと思ったのだが、中々うまくいかなかった。
そのうちに、鍵盤にホコリを発見。
現実逃避するかの如く、掃除は始まった。

こりゃあ、今夜も寝付きが悪そうだ。
休みの日こそ、生活リズムは大切。

休日でも平日と同じ時間に目が覚める。
目覚ましの設定をクリアにしていても、何故だがパッと目が開く。
そうと分かっていて夜更かししてしまう。
うつらうつら生きちゃってます、自分。

そしてまたこんな時間だ。

若かりし頃は、深夜が苦手だった。
考えなくていいことを次々と頭に浮かべては、勝手に悲観していた。
本来起きている現実から勝手にフィクションを作り上げ、自分を追い込んでいた。
翌朝にはすっかり忘れてヘラヘラ生活するのに、何故だか夜は悲しみや虚しさが束になって襲ってきたのである。
その最中(さなか)に書いた曲もあるから、別に無駄な時間ではなかったけれど。

考えることはとても大切だ、けれど。
そうして自分自身を追い込んではいけない。

現実は現実。
「こうだったらどうしよう〜」という仮説はあくまでフィクションで、8割は起こらない。
最善を尽くす、ということは、危機管理というより僕にとっては幸せを噛み締めるということ。
日常においては特に。

なので、夜更かししちゃってる今、無理に寝よう等と思わず、どうやってこの宵を素敵なものにしようか考える。
そっちの方が自分好みな考え方なのである。

・・・・・

明日はどんな一日にしようかしら。
おとなは自分の生活を好きにクリエイトすることができる。
付き合う人も、愛する人も選ぶことができる。
食べ物だって、時間の使い方だって、案外自分本位に選べる。
何か枷があるのだとすれば、それはきっとお金。(だがお金は手段を選ばなければ作れる)
あとは思い込みなのかも知れない。

「自分にはできない」
「どうせ○○だから〜」
そういった思い込みの数々が、いくつのチャンスを素通りさせてきたことだろう。

おとなは責任が付き物です。
憑き物と言った方が正しいかも。

しかし、責任には自由が付いてきます。
裏と表の関係。表裏一体。

自分で始末がつく範囲のことであれば、別に何したって、誰といたって、何を食って、何を着たって別に構わないということ。

んな簡単に言われてもよぉ。
って自分自身でも思う。

でも、実のところそうなんだとも思う。

「こうでなければいけない!」っていう常識や概念は意外と隙間だらけで、それは人間の未熟さと似ている。
どうせ未熟なままならせめて自由に生きていたい。 
 別に「誰にも縛られたくない!」とかって言うんじゃない。
縛られたい人に縛られて、消費されたい人に消費されて。
皆に好かれようとか愛されようとか思わない限り、自分が選んだ人に尽くしている限り、僕は気持ちよく生きられるのである。

あら。もうこんな時間。
文章書いてたらそれなりに楽しいサタデー・ナイトになったね。
おやすみなさい。

最後に一言。


「生活リズムを整えましょう!」


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