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すわ!『木綿のハンカチーフ』の登場人物にはモデルがいた!?

1975年に発売されて大ヒットを記録し、近年でも『エレファントカシマシ』宮本浩次さん
俳優橋本愛さんによるカバーが話題となった、
歌手太田裕美さんの代表曲であり、
昭和歌謡の名曲としても知られる

『木綿のハンカチーフ』

…の誕生秘話を、同曲の作詞を担当した
作詞家松本隆氏が語っているインタビュー記事を、
ネット上で目にしました。

松本隆氏とは、「日本語ロック」の草分けとされて
いる伝説のバンド『はっぴぃえんど』ドラムと作詞を担当し、その当時では画期的であった「ダブルミーニング的な手法」を歌詞に取り入れ、日本のロック界や歌謡界に大きな影響をもたらしめた

「言葉の魔術師」

…であります。

とくに、作曲家(故)筒美京平氏とのコンビは
「最強タッグ」と呼ばれ、『木綿のハンカチーフ』
以外にも『スニーカーぶる〜す』…など、
数々のヒット曲を生み出してもいます。

そして、松本氏はインタビュー中で
『木綿のハンカチーフ』の
制作プロセスを振り返りながら、
筒美氏の類(たぐい)稀なる才能について、
こう称賛しています。

「京平さんがすごいのは、歌い出しの♪恋人よ ぼくは旅立つ…の最後の『つ』の音階を上げるところ。
普通の作曲家はそこまで飛躍しない。天才だと思う。
あと、この詞に明るい曲をつくるのもすごい才能。
普通ならもっとしっとりした曲にするはずだから」

たしかに『木綿のハンカチーフ』をカラオケ
歌うときでも、いきなりやってくる試練が、この

「旅立つ」の「つ〜♪」

のパート──ここをどう切り抜けるかが、同楽曲のフル歌唱の成功・失敗を分けると言っても過言では
ありません。歌い出しのたった4小節目にこうした
アクセントを持ってくるのは…
やはり凡夫の成せる技じゃない!
もちろん、太田裕美さんの「つ〜♪」完璧で、
これをきっかけに太田裕美ファンになった
純朴な男子も当時は少なからず…だったハズ…?

皆さまもご存知のとおり(?)、
この『木綿のハンカチーフ』の歌詞とは…
かいつまんで説明してしまうと、

「成功を求め、都会へと旅立った男が、徐々に都会の絵の具(=洗礼)に染まりはじめてしまい、田舎に
残されて離れ離れとなってしまった素朴な恋人が
その煌びやかな変貌ぶりを憂う」

…といった、ある意味
救いようのない内容…だったりします。

しかし、そんな悲しい気分を楽しく歌う
日本人にはない感性──
まさに(村上龍氏曰くの)三波春夫さん

『チャンチキおけさ』

…ばりな「ブルースの世界観」(※ぼくはむしろ
サンバ・ボサノヴァの世界観だと解釈しているのですが?)を曲調に取り入れることによって、
切なさがよりいっそう際立っている。
当時…どころか今でもなかなかお目に(お耳に?)
かかれない斬新なアプローチではありませんか!

しかも、この哀愁ただようラブストーリーには、
なんとなんと! 

「実在のモデル」

…がいたと言います。

「(筒美氏との)話し合いの中で地方都市の歌を
作ろうと。『東京育ちのきみは地方のことを知らない
だろう』と言われたりもしたけれど、炭鉱町に
なじみがある福岡県出身のレコード会社の
ディレクターをモデルに(歌詞を)書きました」

なるほど〜〜〜!

「東へと向かう列車」

…はボタ山が並ぶ福岡の炭鉱町から
出発していたわけですな!!

こうした新たに発覚したシチュエーションを
曲中に彩りとして加えてみると…
またこれまでとは違った情景と情緒が頭に浮かび
心に染みてくる『木綿のハンカチーフ』とは…
まごうことなき

「昭和の名曲中の名曲」

…なのでありました。マル!


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