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無性に書きたくなった父の事

父が亡くなって15年です。もうそんなに経ったのかと思います。
ふと、父の事が書きたくなりました。
父を想い出す時は、いつも教え子たちと一緒です。父は必ず笑顔です。

小学校の教師をしていた父は、子どもたちといるのが大好きでした。
山ゴリ、素うどん先生と呼ばれていました

身長が高くがっちりしていて、とにかく眉毛と髭が濃かったのです。
山田のゴリラを略して「山ゴリ」
教え子たちと出かけた時にご馳走するのが、素うどんだったので「素うどん先生」のニックネームが付いたようです。

とにかく融通が利かない真っすぐな人でした。世渡り下手でしたが私はそんな父がとても誇らしかったです
父のそんな所を私はしっかり受け継いでいると思います。

弱いものの見方で、優秀な子どもよりも出来の悪い子どもたちや規範を無視するような子どもたちを気にかけ、言葉を掛ける人でした。

父の葬儀にたくさんの教え子が来てくれたことを忘れません

権力をかざすものに関していつも憤っていたような記憶があります。弱いものの見方をし、手を差し伸べる判官びいきでした。
いつの間にか私もその気質を受け継いでいるようです。

涙もろく、人が好きで、お酒の席が好きで家族が好きな人でした。

亡くなって15年父が私の夢に出てくることはありません。

私は女性にしては体格が良く、手足も大きくそんな所も父に似ていると思います。

父の言葉を思い出しました。
「お前はお前の思う道を進んだらええ、お父さんは反対せんぞ」
私は父の言葉通り自分の思う道を進んできました。

夢には出てきませんが、父は私の心の中で確かに生きていることに気が付きました。

【毎日がバトル:山田家の女たち】

《あの頃は時代が良かったんよ》

※92歳のばあばと娘の会話です。

「本当に優しいお父さんじゃったよ、子どもらもよう遊びに来よったねー、皆でカレーを作ったりして食べよったよ」

「あ母さん、お父さん思い出す」

私は寂しい時に思い出すんよ、あの頃は良かったなー思うんよ、時代が良かったんよ、今は小学校の先生も大変じゃけんね」

母は私が父の事を書いたことがとても嬉しかったようです。こうして時々父の教えを振り返ってみたいと思います。


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