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『長渕剛大辞典』

※随時加筆中

あ行

●アイコウジュンコ
1990年の『オールナイトニッポンスペシャル』で発表された、長渕が小学校二年生の時に好意をよせていた同級生の女生徒の名前で、後の楽曲『順子』のモデルになったという。長渕は過去に好きになった女性の名前は幼少時代から全て覚えているとのこと。
●アイ・ファイブ
長渕がハマーH2を購入した、世田谷区にあったアメ車専門のカーショップ。黄色のH2は日本初だったという。同店は所ジョージ御用達でも知られたが2017年に閉店。
●青木俊樹
ファッションデザイナー。2011年に自身のブランド『FAGASSENT』を立ち上げ、2013年から長渕のステージ衣装制作を手掛ける。富士山オールナイトライブや2022年のREBORNツアーの衣装も青木によるもの。長渕の他には、B'z稲葉、X JAPAN YOSHIKI、ONE OK ROCK Takaの衣装も製作したことがある。
●阿川佐和子
90年代後半に『週刊文春』の阿川の持つ連載で長渕と対談したが、シリーズ化し出版されている単行本には未収録である。対談で阿川は、当時全盛期であった小室哲哉のことをどう思っているのかを長渕に尋ね、長渕は「ダンスミュージックをやるのなら本場のアメリカでやれば良いのにとも思うが、僕にはダンスミュージックを書く才能は無いから羨ましい気持ちがあるのかも」と、答えている。
●あご出汁
好物。妻の志穂美悦子が古舘伊知郎の奥さんからあごを分けて貰っていることが、古舘司会のテレビ番組出演時に判明。
●朝ごはん 
毎朝トレーニング後にボウル一杯のサラダを自分で作って食べる。
●浅田孟
アサダタケシ。ベーシスト。森山達也と『THE MODS』の前身バント『開戦前夜』を結成→鮎川誠の『サンハウス』に加入→『シーナ&ロケッツ』に加入→長渕剛のバックバンド『ソルティドッグ』のメンバー→『THE BLUE HEARTS』の1stアルバムをプロデュース→石橋凌の『ARB』に加入→布袋寅泰のサポートミュージシャン。という華々しいキャリアを持つ。長渕とはポプコンのステージにも共に立った。
●ASKA
長渕とCHAGE&ASKAは同じ九州出身で同世代ということもあり、かつては親交があり、ラジオやテレビでも共演している。長渕はASKAのことを「アシカ」と同じイントネーションで呼び、長渕がASKAの実家へ遊びに行ったこともあるという。長渕のLP『JEEP』『家族』の一部は、ASKAが1988年に世田谷区に設立したスタジオBURNISH STONEでレコーディングされた。ASKAに最初に違法薬物の使用が噂された時、ASKAの父親がマスコミの突撃取材に対して「怪しいのはうちの息子じゃなくて長渕だろう」と応じた。近年でも、ASKAは長渕のことを刺激を受ける良きライバルであると発言している。
●炙り
元女優の若林志穂によると、長渕が覚醒剤(と思われる白い結晶)を若林宅で接種する際は、マイジェクター等の注射器(ポンプ)ではなく、ガラス製のパイプを用いて、覚醒剤をライターの火で炙り気化させ口(時には鼻口)から吸引する、いわゆる「炙り」であったという。以上の話は若林志穂の告発によるもので、証言者や物証があるわけではない。
●姉
長渕には5歳上の姉がおり、大分県に嫁ぎ暮らしているという。父や母に関しては、インタビュー等でエピソードや対する思いが語られることが多く楽曲にもなっているが、姉に関して言及することは極端に少ない。これまでに姉について歌った楽曲も制作されておらず、『家族』と『ふるさと』に「姉ちゃん」や「一家4人」といった表現で記されるにとどまる。
●あぶく
1991年の長渕主演ドラマ『しゃぼん玉』は、正式な制作発表前は『あぶく』という仮タイトルでテレビ雑誌等に情報が出回っていた。
●アヴリル・ラヴィーン 
長渕が、ラジオ『今夜もバリサン』で好んで聴いていると発言。アメリカの名ドラマー、ケニー・アロノフは長渕とアヴリル双方のレコーディングに参加したことがある。
●安倍晋三
長渕は2015年にテレビ番組『ワイドナショー』に出演した際に、安保法案に対して「感覚論的に戦争に近づいている」と危機感を表明し、安倍晋三に対しては「俺らの大将それはちょっと違うんじゃない?」と発言している。2022年の安倍晋三の国葬では長渕の楽曲『CLOSE YOUR EYES』が、自衛隊の音楽隊により演奏され話題になった。長渕(側)が曲の使用を承諾していたのかは不明。
●有吉弘行
ラジオで長渕のことを「筋肉刈り上げサングラス」と命名したことがある。「長渕は身体を鍛え出してから生意気になった」とも発言。長渕は有吉の恩師の哀川翔の師匠であることから、有吉にとっての大師匠にあたるとも言える為、有吉の長渕に対する敬意を欠いた発言を不義理と解釈する長渕ファンも存在する。
●文音(あやね)
長渕の長女。吉田拓郎が娘の彩をアヤちゃんと呼びかわいがっていたことに憧れ、ミーハーと言えるほどの拓郎ファンだった長渕も、真似して娘にアヤとつく名前をつけたとされる(拓郎には『アヤたんの歌』という曲もある)。ライブDVDの楽屋のシーンで、娘をアヤちゃんと呼んでいるところも見られ「長渕は自分の子供の名前すらもパクるのか」と一部ファンからは呆れられた。文音は、母親の志穂美悦子似の美人とメディアで紹介されることがあるが、実際には顔は父親似である。文音は、佐野元春が制作に携わったドラマ『コヨーテ、海へ』に出演し、試写会で佐野元春と共に舞台挨拶をしたことがある。
●ANJI
イギリスのギタリスト、デイビー・グレアムが作曲し、ポール・サイモンが演奏したアコースティックギターのインストゥルメンタルの楽曲の曲名。長渕が『順子』の弾き語りの間奏でサンプリングしたことでも知られる。また、THE ALFEEの坂崎幸之助がこの曲のギター演奏が得意で、テレビでコピーを披露したことがある。
●アンタッチャブル
漫才コンビ。柴田と山崎、両者共に長渕ファン。2009年ラジオで、柴田が長渕のライブを観覧した際の様子がモノマネも交えつつ克明に語られ、一般的には有名ではないコアな曲のタイトルも二人の口から次々と飛び出した。柴田はライブ終演後に長渕の楽屋へ挨拶に行ったが、自分にはまだ早いと感じ、長渕へ連絡先の交換を申し入れることは出来なかったという。
●伊嵜充則(伊崎充則)
1987年の長渕主演ドラマ『親子ジグザグ』で、子役として下別府勇を演じた俳優。長渕のことを「自分の役者人生を決定づけた世界一大好きな方」と仰ぎ、2022年の長渕の世田谷人見記念講堂でのライブで久しぶりの再会を果たしたという。親子ジグザグ撮影当時に、長渕からプレゼントされたサイン入りの『LICENSE』アナログ盤を家宝にしている。長渕の娘、文音と映画で共演している。
●石坂敬一
元ユニバーサルミュージックの会長で長渕の恩師。長渕のことはかなり高く評価しており、インタビューではジョン・レノンやピンクフロイドと名前を並べて才能を絶賛していた。
●石橋貴明(とんねるず)
昔、長者番付芸能人部門で長渕が1位石橋が2位になった際に「なぜ俺が長渕より下なんだ、レコード100万枚売るより視聴率20%取る方が難しいぞ」と『とんねるずのオールナイトニッポン』で発言した。当時、木梨憲武と交際中だった安田成美をドラマで共演中の長渕がしつこく口説いていたことも、石橋の逆鱗に触れたのではないかと噂された。長渕の娘の文音と、石橋の娘の石橋穂乃香は友人関係であり、交流の様子が文音のブログに書かれていた。
●石野真子
離婚した最初の妻。近年、趣味と自身のコンサートでアコースティックギターを演奏しているが、長渕の影響があったのかは不明である。石野は、ギターメーカーK・YAIRIの工房を訪問しオリジナルのブラックボディのギターをオーダーした(塗装の技術上の問題で、黒色は塗料が厚塗りになってしまい音に悪影響だからと、当初それを渋ったヤイリの職人であったが、職人がアイドル時代の石野のファンだったこともあり、特別にオーダーに応じサプライズで石野にそのギターをプレゼントした)。
●泉谷しげる
長渕が1994年に体調不良によりツアーをキャンセルした際、泉谷は仮病を疑っていた。桑田佳祐と長渕の『すべての歌に懺悔しな』騒動の時には、けしかけるような発言で介入した。「長渕はスタッフを殴るのをやめろ」とも発言。泉谷が自身が主催するチャリティーコンサートへの、長渕の参加をテレビを通して呼び掛けたことがあったが、実現はしなかった。泉谷は1976年、長渕は1996年に、同じ『家族』というタイトルのLPをリリースしており、その両方に中西康晴がキーボードで参加している。また、2人とも「ギターは打楽器だ」と同じ格言を説いている。
●市原悦子
女優。1961年に演出家の塩見哲と結婚し、本名が塩見悦子となる。長渕の妻、志穂美悦子の結婚前の本名は塩見悦子の為、同姓同名の時期があった。
●一本道
長渕が音楽を始めるきっかけになったほど、感銘を受けた友部正人の楽曲。ラジオで弾き語りのカバーを披露したこともある。2019年の長渕の楽曲『Orange』は『一本道』を土台に作られており、歌詞にも一本道という単語が出てくる。また、連合赤軍のあさま山荘事件の時に、友部がトーキングブルースで歌った楽曲『乾杯』にも影響を受けたという。友部の奥さんが新人時代の長渕のコンサートに遊びに来てくれたことがあると、インタビューで語った。
●伊東屋
長渕が作詞をする時の愛用の原稿用紙のメーカー。上質な紙で滑らかな書き心地と言われている。伊東屋の店舗は銀座の本店の他、横浜元町店他、数店舗ある。長渕は、かつてはコクヨの原稿用紙を使っていると語ったこともある。
●INNOVATION WORLD
J−WAVEで毎週金曜に放送されている、川田十夢がナビゲーターを務めるラジオ番組。長渕は、2020年に2週に渡りゲスト出演をしている。最初に番組から長渕側へ出演の打診をした際、長渕はまずは川田との面談を望んだといい、川田と番組ディレクターは長渕の事務所オフィス・レンへ出向き、長渕と面談をし、信用を得た上でゲスト出演を承諾して貰ったとのこと。そのようなケースは番組始まって以来だったとし、長渕は直接会って対話し見定め、自分の感覚にそぐわない仕事は断っているのではないかと川田は述懐した。それ以降長渕と川田は懇意になり『イノフェス』でコラボレーションを果たし、再び共演を望む長渕ファンからの声が多く聞かれる。
●忌野清志郎
80年代、長渕がロックに傾倒していた時期に、影響を受けたとされる。1980年の『長渕剛のオールナイトニッポン』にRCサクセションの忌野と仲井戸麗一がゲスト出演し、長渕はRCのライブを観て「最高にぶっとんだ」と語った。当時長渕と親交があった吉見裕子が、RCサクセションの廃盤だったLP『シングルマン』の再発への運動を手掛けた際には、長渕も自身のラジオで曲を流しそれを支持した。忌野が雑誌『テレビブロス』のコラムの連載で、フォーク歌手が弾き語りで東京ドームを埋めたというのは興味深いといった内容のことを書いたことがある。
●刺青
『蝉』の歌詞にもあるように、何度か刺青を彫ろうと検討はしたが踏みとどまったという。「尖っていても刺青を入れた本物のワルになってしまうのは違うと思う」と、ラジオで語ったこともあり、当時親交のあった清原が彫る時には親身になって止めたと噂された。
●岩沢厚治
ゆずのメンバーで、長渕を敬愛し強い影響を受けたことを公言している。所属レコード会社が長渕とは異なった為か、しがらみで長渕のトリビュート盤には参加できなかったとされる。長渕は岩沢の結婚式に出席し『乾杯』を弾き語りで贈った。岩沢が長渕のライブに飛び入り参加し、共に『俺の太陽』を演奏したことがある。
●インスタントコーヒー
ドラマ『ボディガード』の劇中、財前直見が客人である長渕をもてなそうと淹れたコーヒーに対し、長渕が「インスタントですか?」と無礼に尋ねるシーンがあり、ドラマ放送当時、それを真似て喫茶店でコーヒーを注文し「インスタントですか?」と店員に訊くことが全国の若者の間で流行した。
●インタビュー
ファンから以前のインタビューとは言っていることが違うではないかと指摘されることがあるが、インタビューというのは、その日その時の気分や心境で語っているんだから、そんなのは当たり前のことだと弁明している。
●笛吹利明
長きに渡りレコーディングとライブで長渕を支えた名ギタリストで、主にアコギのリードギターを担当した。編曲も数多く担当。富士山ライブのリハーサル風景では、笛吹の頭部の薄毛を執拗にからかう長渕の姿が見られ、旧知の仲の親しさを伺わせた。また、長渕は「笛吹ちゃんから剛のようには弾けないと自分のギタープレイを褒められて嬉しい」とギター雑誌のインタビューで語ったことがある。
●内田裕也
1992年の日本映画『魚からダイオキシン』に、モノマネタレントのミニミニ長渕が演じる暴君長渕を、内田裕也が成敗するシーンがあったことから、内田と長渕に因縁があるのではと囁かれた。内田の死後、内田がオーガナイズしていたライブイベント『ニューイヤーロックフェスティバル』に長渕が出演。ライブ前には内田の墓参りに行ったという。また、内田の妻の樹木希林のことを、志穂美悦子が慕っていたとのこと。内田は生前長渕の桜島ライブを「あれは凄いよ」と認める発言もしていた。
●うどん
好物。DVD『LICENSE』に肉うどんを食べるシーンがある。ライブ直前のカーボチャージには素うどんを食べるという。
●ウォータームーン
1989年に東映系列で公開された、長渕が実質の監督と主演を務めたSF映画。長渕が客観性を失い独善的に暴走した末の、破綻した駄作と揶揄されることが多い映画だが、一部の映画マニアからはアブストラクトなカルトムービーとして高く評価されている。また、長渕の情熱がスクリーンから汲み取れる点では価値がある作品と評する長渕ファンも存在する。本作は興行的にも不振に終わっている。
●A型・乙女座
長渕剛、田代まさし、梶原一騎、等、A型の乙女座の男性には犯罪傾向が強い格闘技好きが多いというデータがあると、自身もA型の乙女座だという吉田豪が語った。また、女々しいイメージがあるA型でさらに乙女座となると、乙女色を払拭しようと勇ましく男らしく振る舞う傾向もあるとのこと。
●江口寿史
漫画家。1984年に漫画雑誌『フレッシュジャンプ』で長渕と対談したことがあるが、2005年に出版された自著『江口寿史の正直日記』で、長渕の『静かなるアフガン』を、時代遅れの反戦歌と嘲笑し、友人に嫌がらせとして長渕のCDを送りつけて遊んでいるという長渕を侮蔑した記述もあり、実名をあげ強いトーンで批判している。初期の長渕の作品は好きで聴いていたとのこと。
●エラ
長渕のこれまでの女性遍歴から、エラが張り気味で四角いフェイスラインの女性を好む傾向があるとされている。
●エリックビューティーアート
原宿にあった美容室。主に80年代に長渕が通っており、長渕と同じヘアースタイルにしたいというファンも多数来店したという。2020年閉店。ビデオ『HUNGRY』発売時に長渕がそのビデオを持って来店し、プレゼントかと思いきや定価で買わされ、ヘアカットの代金より高かった為差額を取られた、しかもそれがレコード店等に配布する見本品だった、というエピソードが、エリック氏のブログで公表された。同美容室は南こうせつやイルカも顧客であった。
●エルトン・ジョン
2001年発売の長渕のLP『空』をアメリカLAでレコーディングする際、その8年前に『Captain of the ship』のLAレコーディングにも携わった、ミキシングエンジニアのブライアン・シューブルが「ツヨシがLAに来るなら」と、先に予定が入っていたエルトン・ジョンのレコーディングをキャンセルし、長渕の方のミキシングを買って出たというエピソードを、長渕がラジオや雑誌インタビューで誇らし気に披露した。その件をエルトン・ジョンがどう思っているかは不明である。ブライアン・シューブルは、他にシェリル・クロウ等のエンジニアも手掛けている。
●Angel In Blue(悲しみのエンジェル)
J Geils Bandの1982年の楽曲で、メロディとアレンジが長渕の『勇次』の元ネタになっていることでも知られる。
●遠藤賢司
フォーク然としないワイルドな遠藤のアコギ奏法に長渕が影響を受けたとされ、ラジオで遠藤の『カレーライス』のカバーを弾き語りで歌ったこともある。また2002年のインタビューで「いまだにふとギターを持った時に、カレーライスを爪弾いてることがある」とも語った。遠藤が渋谷の明治通り沿いで営んでいたカレー屋ワルツに行ってみたいとも発言。デビュー当時の長渕のライブを遠藤が観に来たというエピソードもある。
●おうたがんばってね
『家族』のMVで「おとうさん、おうたがんばってね、わたるもあやちゃんも、おうえんしてるからね、わたるより」という息子の航からの手書きの手紙(イラスト付き)をスタジオの壁に貼りレコーディングに励む長渕の姿が確認出来る。『家族』は大麻事件後の復帰第一作目だった為、色々あったけど心機一転頑張ってねというニュアンスも含まれた手紙だったと推察される。
●狼たちの遠吠え
長渕が森進一に提供し発売された楽曲。森側は書き下ろしの新曲を望んだが、長渕が以前に自分用に書いたボツ曲を提供した為、森は曲をあまり気に入っておらず、コンサートでも歌っていないという噂があったが真偽は不明である。同曲を長渕が歌っているデモバージョンが動画サイト等に流出した。
●大槻ケンヂ
90年代、空手大会の観客席で偶然大槻の隣に長渕が座り、会話した時のことを自著エッセイに書いている。長渕は気さくで、大槻は、マスコミで悪く言われているが、この人は良い人だと直感的にわかったという。しかし長渕は、大槻のことを池田貴族と間違えていた様子であったとのこと。
●大根仁
ドラマ、映画監督。映画『竜二』のファンで『とんぼ』は竜二のモロパクリだから嫌いだと強いトーンで批判した。『とんぼ』最終回のラストの空撮シーンには、大根が群衆の一人として写っているというエピソードも披露している。大根が監督したドラマ『モテキ』では長渕の『巡恋歌』が使われている。また「長渕のギターにはなにかがある」と肯定的な記述も大根のブログに見られる。
●大山倍達
極真会館創始者。大山倍達の名言「力無き正義は無力なり」を、長渕が楽曲『SAMURAI』で「力無き正義などくそっくらえ」とサンプリングしている。大山の死後、極真会館から分派した新極真会のリニューアルの記念として、会歌『新極真会の歌』を長渕が作詞作曲し歌った。当初は大会の入場記念品としてCDが配布されただけだったが、要望の声が多かった為一般発売もされた。
●岡田斗司夫
汚かったり荒々しい言葉にこそ、人間の真実や本音があると思いこむ世間の中年男性達が、そういった言葉使いをするイメージの強い長渕剛を支持していると、独自の分析を2022年に自身のYouTubeチャンネルで披露した。
●オガサワラユウ
AR三兄弟の三男。AR三兄弟と長渕がコラボした2020年の『イノフェス』のリハーサルで『激愛』のギタープレイを、TAKAMINEの長渕モデルのギターを使い忠実に再現し、本番と同様の環境でステージのシュミレーションをする様子が、テレビ番組『AR三兄弟の素晴らしきこの世界vol.3』で放送された。同番組では音楽とナレーションも担当。オガサワラは「長渕剛はミュージシャンの概念を超越し、花や木と同じ自然界の生命体のひとつという粋に達している。長渕の存在そのものがオリジナリティとして成立している。」という持論を語ったことがある。また、オリジナルの楽曲やアニメを自身のYouTubeチャンネルで発表しており、そちらも音楽ファンから高く評価されている。
●御徒町サンプレイ
40歳になる頃に本格的な肉体改造を決意し、御徒町駅近くのガード下にあるジム『サンプレイ』に通い、宮畑豊会長の元でトレーニングを積んだ。その期間は、音楽を忘れギターを握ることもないほど集中したといい、有名歌手というプライドを捨て、一般会員に混じりしごかれたことが貴重な経験になったと語った。サンプレイの入り口には、長渕から贈られた大きな詩画が飾られている。
●沖縄料理店
沖縄を訪問した際に沖縄料理の店に行くと、食事は美味しいが、店内で決まって流れている沖縄音楽が耳障りだと、沖縄の放送局のラジオ番組出演時に言及した。その後長渕からのクレームが沖縄料理店で活かされ改善されたは不明である。
●奥田民生
歌手活動をする人を、ミュージシャンか芸能人かで分けるとしたら、自分や長渕剛はミュージシャンであるといった記述が自著にある。民生が武道館センターステージで弾き語りライブを開催する直前のTVKのインタビューで「それって長渕剛じゃん」とインタビュアーから指摘されるが民生はスルーする場面が見られた。
●親子丼
テレビ歌番組『FUN』に出演した際に、松任谷正隆から好物を尋ねられ、親子丼と返答。松任谷正隆は、長渕のアルバム『風は南から』でピアノを担当している。
●俺たちのキャスティングミス
長渕が出演した映画『男はつらいよ』に、ラーメン屋のラジカセから、長渕の『俺たちのキャスティングミス』が流れるシーンがある。数ある長渕の楽曲の中からその曲をセレクトしたのは、映画に長渕を起用したのはキャスティングミスだったという、山田洋次監督のウィットに富んだ匂わせではないかという都市伝説がある。
●御柱祭
長野県諏訪郡下諏訪町で、7年に一度催される古来の祭。山の急斜面を御柱(巨大な丸太)にまたがった精鋭の男達が滑り下りる『木落とし』では、毎回死者が出ている。長渕は、自身の桜島オールナイトライブを、活火山桜島の袂で行われる命をかけたイベントとし『御柱祭』と同種の祭であると語っていた。

か行

●回転焼き
ドラマ『とんぼ』に、英二と仙道敦子演じる妹あずさが「今川焼き」か「回転焼き」かで言い合いじゃれ合う有名なシーンがある。2019年、テレビ番組『ぴったんこカンカン』のとんぼ同窓会で、35年ぶりに再会したという長渕が仙道にそのシーンのセリフを口にし再現を持ち掛けたが、仙道は忘れているようでスルーしていた。
●隠さないでくれ
長渕は、瀟洒でスタイリッシュな音楽や、世間一般で芸術性が高いとされている音楽、若者が好む流行の音楽等を好む層からは、自分の一見泥臭くアクが強い歌が敬遠されていることを自覚しているようで、ファンやリスナーに対しては、「俺のファンだということを隠さないでくれ」と切実に訴えかけている。
●鹿児島市唐湊
長渕は、鹿児島県日置郡伊集院町で生まれ、3歳の時に警察官だった父親の転勤により鹿児島市唐湊(とそ)に引っ越したが、そこでは長渕家は流れ者であり近所付き合いもなかったと、2007年のラジオ出演時に語った。
●葛城ユキ
『ボヘミアン』のヒットで知られる歌手。長渕が作詞作曲をした楽曲『COME BACK TO MY HEART』を葛城に提供した。長渕が同曲を歌ったバージョンはセルフカバーにあたる。
●糟谷銑司(かすやせんじ)
長渕が独立前に所属していた事務所『ユイ音楽工房』時代のマネージャー。新人時代の長渕と苦楽を共にし、長渕をスターにまで育てた人物とされる。長渕の他にBOØWYも手掛けた。2010年の糟谷氏の娘の結婚式で、長渕からの「糟谷さんがいなければ今の僕はありません」というメッセージを添えた『乾杯』のピアノ弾き語りのビデオレターが流され感動的だったと、式に出席した布袋寅泰が自身のブログで綴った。
●かっぱ焼き
メリケン粉に砂糖を入れ水道水で溶いたものを、フライパンで焼いたオヤツ。練乳をかけて食べる場合もある。長渕が子供の頃に、母親が自宅に級友を招待して長渕の誕生日パーティーを開いてくれたことがあり、その時に母親がバースデイケーキの代わりにかっぱ焼きを作って出したことが、切ない思い出として残っていると追憶した。かっぱ焼きはドラマ『しゃぼん玉』にも登場する。
●角川春樹
2005年に角川が制作した映画『男たちの大和』に、長渕が主題歌として『CLOSE YOUR EYES』を提供した。長渕が角川を兄貴と呼び、毎日長電話をするほど親密な時期があったが確執があり没交渉となった。長渕が依頼を受け同映画の劇中挿入歌用に書き下ろした『YAMATO』を、角川が映画に採納しなかったことが確執の原因とされる。角川は娘の角川慶子にたしなめられ、長渕に謝罪の電話をかけたが長渕は出なかったという。確執後に角川は「映画の主題歌は本当は中島みゆきに頼みたかった」と放言している。
●カトリーナコルベット
長渕所有のコルベットの愛称。同車は、タレントでアメ車カスタマーでもあるイクラが、2005年にアメリカを襲ったハリケーンカトリーナで水没した1962年式コルベットを引き上げ、エンジン等の内部のパーツを新たに組み込んでリノベーションして出来た車だという。全米のカスタムショー『グランドナショナルロードスターショー』で賞を受賞したと、イクラがラジオで語った。
●上大崎
かつて品川区の上大崎に住んでいた時、自宅近くにカラスが集まる場所があり、行き交うカラスを眺めていた時に楽曲『RUN』がひらめいたという(長渕には『カラス』という楽曲もあるが何故か『RUN』)。
●川田十夢 
AR三兄弟の長男。2020年の『イノフェス』でコラボレーションを果たし、それ以降も長渕が信頼を寄せる拡張現実クリエイター。配信ライブ『ALLE JAPAN』では、長渕がライブ本番中に川田への感謝を語りかける場面があった。川田も長渕からの影響を公言しており、長渕がゲスト出演したことがある自身のラジオ番組『INNOVATION WORLD』では度々長渕の話題に触れ「俺の兄貴分」と呼び慕っている。また『シンガー・ソング・タグクラウド』という川田がオリジナルに開発した手法を使い、長渕の楽曲を読み解いた文章を自身のnoteのアカウントで発表した。
●革のカバン
長渕が長年愛用している革のカバンがあり、そのカバンを叩いた音を、パーカッションとして『ガーベラ2017』のレコーディングに使用した。
●カポタスト
ギタープレイでほぼローコードしか弾かない長渕にとってはなくてはならない道具で、高頻度で使用する。コードフォームの簡素化やキーチェンジの為だけではなく、ハイポジションに取り付け、音色を煌びやかでシャープにする目的で使う場面も多い。YAMAHA、SHUBB、Kyser等、様々なメーカーのものを使用。
●カレーライス
好物。カレーを食べる前にコップの飲料水でスプーンを洗う描写が、ドラマ『とんぼ』と映画『太陽の家』で見られる。自由が丘にあったカフェ『ロックオン』では、長渕家レシピのカレーライスが人気メニューだった。一時期親交があった角川春樹から、自炊のカレーライスをふるまわれたことがある。
●関西フォーク
長渕が思春期に好んで聴き影響を受けたフォークは、所謂フォークソングではなく、関西フォークだったという。加川良、高田渡、友部正人、遠藤賢司、等の名前を挙げ、彼等への敬意の念は今でも忘れておらず、その時代のフォークスピリッツをそのまま継承している自分は、ある意味では保守的であるとまで言及した。長渕が学生時代に学園祭のゲストに高田渡へオファーをしたが、当日姿を見せず反故にされた(連絡は取れた)というエピソードもある。
●神田啓介(keisuke kanda)
1976年、鹿児島県生まれ。2004年にファッションブランド『ケイスケカンダ』を設立。同ブランドは、峯田和伸やaiko等ミュージシャンの愛用者も多い。同い年で知人の川田十夢と初対面の時に、2人で長渕剛からの影響を熱く語り合ったというエピソードが川田氏から語られた。
●カンフーパンツ
黒いボンタンシルエットのカンフーパンツを90年代に愛用しており、ライブのステージ衣装としても着用していた。
●菊地成孔
自著『CDは株券ではない』で、長渕の楽曲『金色のライオン』をレビュー。「荒れ果てた」と「荒野」の意味の重複を指摘するなど、日本語の体をなしていない程めちゃくちゃな歌詞ながら、曲として聴くと違和感がないと評した。長渕を擬音の天才とした記述もある。
●キッチュ
一部のサブカルチャー界やインテリ層には、長渕剛の作品やキャラクターを、キッチュやバッドテイストとして、斜に構えたようなスタンスでおもしろがってる人が少なからずいる。
●GUILD
ギルド。アメリカのアコースティックギターのメーカー。長渕はデビュー当時に、F50を使用。上京する時に母親から貰った餞別の20万円で購入した。前妻の石野真子と夫婦喧嘩をした際に長渕がヒステリーを起こし叩き壊した為、現存はしていない。
●キック
世間で長渕キックと呼ばれているキックは、ドラマの暴行シーンでおぼつかない脚で酔ったようにフラフラとよろめきながら蹴るキックのことだが、映画『竜二』からのサンプリングである為、正しくは竜二キックである。
●KICK THE CAN CREW
3人組の日本のヒップホップのグループ。メンバーのLITTLEが、2004年の桜島オールナイトライブに観客として参加した。行きの飛行機で同ライブにゲスト出演するZEEBRAに偶然遭遇し、プライベートで1人で桜島まで行く熱意と行動力を驚かれたという。ライブには感銘を受けたようで、自分もいつか地元の八王子でそういったイベントを開きたいと語っていた。
●奇妙礼太郎
1976年生まれ、ミュージシャン。少年時代から、長渕剛、浜田省吾、CHAGE&ASKAを聴き「その三組は一緒に育ってきた感じがある」といい、ドラマ『とんぼ』を観て泣いて母親から冷やかされたという思い出も語った。ライブで『乾杯』や『とんぼ』をカバーしたこともある。長渕で一番好きなLPは『LICENSE』とのこと。
●清木場俊介
歌手。子供の頃、学校でいじめを受けていた時に帰宅してから聴く長渕の歌が心の支えだった。特に長渕の90年代の楽曲には強い影響を受け、EXILEを脱退しソロになる際には、長渕のような歌手になりたいというと思いもあったと語った。朝倉未来のYouTubeチャンネル出演時に朝倉から影響を受けた歌手を尋ねられ、長渕、ASKA、玉置浩二の名を挙げた。
●清原和博
親交のあったプロ野球選手。長く親密だったが、清原の覚醒剤使用の噂が報道された時期から没交渉になった。それ以降長渕は清原には触れないが、清原は『オルゴール』や『とんぼ』を話題に出すことがある。
●クサい女 
かつてクサい女が嫌いだと語った。クサいとは実際の匂いのことではなく、スレててガサツというようなニュアンスと推察されるが、蒸れて臭いを放つ女性器も想起させる絶妙に野卑な語り口調であった。
●邦治
クニハル。長渕の父親。警察官をしており、丸刈りに体重80kgの逞しい身体をした厳つい風貌であったという。90年代、長渕の自宅へ押し掛けた、非常識な取材陣を叱りつけ追い払う邦治の姿が、テレビのワイドショーに映ったことがある。2006年に邦治が亡くなった時、長渕は、転勤で単身赴任が多かった父親が暮らしていた鹿児島県内の各地を一人でレンタカーで回り、父が生きてきた軌跡を辿ってみたといい、その時の情景や感情を楽曲『鶴になった父ちゃん』で歌っている。
●首狩り族
長渕は自身の先祖は首狩り族だったと自称している。
●クラッカー
ライブの定番曲『勇次』の「激鉄が落とされ」の部分で、観客が号砲に模したクラッカーを鳴らすことが恒例になっている。『JAPAN』ツアーの際に、病床の母への思いを綴ったシリアスな内容の楽曲『MOTHER』演奏時に『勇次』で余ったクラッカーを無遠慮に鳴らす観客が散見された為に、長渕が演奏を中断し行為を諫める場面があった。
●栗原康
政治学者。専門はアナキズム研究。熱心な長渕ファンとしても知られており、桜島ライブ、富士山ライブにも観客として参加。長渕も観客も、トランス状態になり死ぬ寸前まで自分を追い込む長渕のライブを「踊り念仏」と呼んでいる。桜島ライブで、気絶してから目を覚ました時には、一度成仏してから生まれ変わったような「再生」を体感したという。長渕の楽曲『カラス』の歌詞を引用した『執念深い貧乏性』というタイトルの著作を、文藝春秋から出版している。長渕のファンクラブの会報に寄稿したこともある。
●グルーヴ
長渕の楽曲(特に弾き語り)には、シンプルなコードストロークやアルペジオでも、一般的なフォークとは異なる長渕オリジナルのグルーヴ(ノリ、リズム感、雰囲気)があり、それが魅力の一つになっている。長渕本人もグルーヴを意識し重要視している様子がリハーサル映像等で確認出来る。
●グレッグ・ラダニー
アメリカLAのレコーディングミキサー。ジャクソン・ブラウン、マドンナ、ジョー・コッカー等のミキサーとして名を馳せ、TOTOのミキシングでは、グラミー賞を受賞している。長渕のLP『HOLD YOUR LAST CHANCE』『HUNGRY』『LOVE SONGS』のレコーディングにもミキサーとして参加した。
●クレヨンしんちゃん
2007年発表の楽曲『いけ!いけ!GO!GO!』をテレビアニメのしんちゃんの主題歌に使いたいという番組サイドからのオファーを、長渕が子供向けアニメに抵抗を示し無下に断ったと女性週刊誌で報じられたが真偽は不明。
●黒土三男
ドラマ、映画の監督、脚本家。映画『英二』を最後に長渕とは没交渉となる。『英二』で、黒土は英二とヒロインのラブシーンを入れようとしたが、長渕が「英二は妹を探す為の旅の道中なのに女を抱くのはおかしい」とそれに反発し、お互い折れずに衝突したと、確執の経緯を後年長渕がラジオで語っている。『英二』は興行的にも不振に終わり、それを最後にとんぼの続編は制作されなかった。
●桑田佳祐
『すべての歌に懺悔しな』騒動以降に、音楽雑誌『BRIDGE』での渋谷陽一によるインタビューで、「長渕のようにメッセージ性のある歌でリスナーを啓蒙するようなスタイルは、僕にはわからない、好き嫌いではなく性分としてわからないんだ」と語ったことがある。また、別のインタビューでは、アコースティックギターのプレイについて訊かれ「自分はストロークしかしない、スリーフィンガーとかは好きじゃない」と答えており、スリーフィンガーは長渕のトレードマークでもあることから、暗に長渕のことを指しているのではと一部で物議を醸したことがある。
●ケニー・アロノフ
KENNY ARONOFF、アメリカのセッションドラマー、スタジオミュージシャン。長渕のLAレコーディングの3枚のLPの他、レイ・チャールズ、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、B.B.KING、ブライアン・ウィルソン、スマッシング・パンプキンズ、ジョン・メレンキャンプ、サンタナ等の作品にもドラムで参加している。長渕はケニーのドラムをやはり別格だったとし、日本人ドラマーにはケニーが演奏した長渕の曲を聴き「大いに刺激を受け触発されて欲しい」と語った。
●喧嘩
雑誌『SPA』のインタビューで、男にとっての強さとは?と質問され、喧嘩(口喧嘩ではなく腕力を用いた)が強い者が強いと返答し、その浅薄さと幼さがインタビュアーを驚かせた。
●剛毅木訥仁に近し
ゴウキボクトツジンニチカシ。テレビ番組『堂本兄弟』出演時に、座右の銘を訊かれ挙げた諺。素朴で無口な人ほど思いやりがあり優しいという意味。
●コード進行
長渕が作曲した楽曲のほぼすべてが、シンプルな定番コード進行で書かれている。凝ったコード進行やオシャレなコードを知らないわけではなく、あえてそうしているとラジオで話したことがある。
●紅白歌合戦
これまでに4回出場している。1990年の初出場では、で3曲(16分)を歌い「日本人はタコばっかり」と発言し伝説を作った。2003年の出場では「トリの長渕の視聴率が期待より振るわずにNHKは落胆している」と週刊誌等に報道された。それもあってか翌年の大晦日前のラジオで長渕は「今年は紅白じゃなくて俺の桜島DVDを観て年を越そう」と呼び掛けた。2014年の出場では、新曲の『明日へ続く道』を歌い、紅白で視聴者から認知されていない新曲をセレクトするのは異例だと話題になった。宮藤官九郎が「紅白で新曲って、そんなのアリなの?」とラジオで発言した。
●501(66前期)
2003年頃、リーバイス501のヴィンテージ66前期を大阪のアメ村で購入し、ラジオ番組『今夜もバリサン』で「高かった」と発言した。その66は腰穿きする為にオーバーサイズの40インチを選んだとし、気に入っていたようで、写真集『未来』他、多くの写真や映像で着用している場面が確認出来る。同じくリーバイス501のレギュラーモデルや、505を着用したこともある。
●小顔
雑誌インタビューで「自分は顔が小さいから流線型のサングラスの方が似合う」、ラジオの収録時に「顔との対比でマイクが大きく見える」と発言し、小顔への自負をのぞかせた。また、長渕は身長は低いが、小顔でバランスの良いスタイルの為ステージ映えするといった意見も聞かれる。
●コクヨ
原稿用紙のメーカー。コクヨの原稿用紙にモンブランの万年筆で歌詞を書くと、『JAPAN』の頃の雑誌インタビューで語った。
●御三家
橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の昭和歌謡界の三大スター。長渕はインタビュー等で、中学生の時にラジオから流れてきた友部正人の『一本道』が音楽に目覚めたきっかけだと度々語っているが、デビュー当時の雑誌インタビューでは、高校一年生の時に吉田拓郎のコンサートを観てフォークに目覚めるまでは「御三家にシビれていて、そればかり聴いていた」と発言したいた。それ以降そのエピソードは話さなくなった為、御三家ファンだったことは、反骨フォークの自身のブランディングにそぐわないと判断し封印したのではないかと言われている。
●米
普段は節制をして糖質の摂取を抑えているが、ここぞという時に馬力を出す為に、80gの白米をラップに包みポケットに携帯している。米の品種や銘柄は不明。

さ行

●最勝寺武
長渕が高校時代に結成していたフォークデュオ『T&T』(タケシ&ツヨシ)の相方。T&Tは、学園祭に呼ばれたり地元の放送局のラジオに出演する等、鹿児島県内では人気があったという。長渕の未発表曲『友に捧げる挽歌』は彼のことを歌ったとされ、音源が動画サイトに流出している。
●坂道ダッシュ
傾斜のきつい坂道を見かけると駆け上がりたくなると発言。
●サクラ事件
2007年『Come on Stand up!』ツアーの代々木第一体育館公演で、ライブ中に即興で客席から女性客をピックアップし、ステージに上げ長渕とダンスをするという場面があったが、ライブ後にその女性が、モデル(芸能事務所所属)の仕事で長渕のライブに参加したと自身のブログに書き、演出上の仕込みであったことが露見したことがあった。そのブログはすぐに削除されたがコピペがネット上に流出した。そもそも、このパフォーマンス自体がブルース・スプリングスティーンの模倣だが、スプリングスティーンもサクラを使っているかは不明である。
●桜島 
悩んだり自分を見つめ直したい時に訪れる地元の火山。楽曲も作り現地でオールナイトライブも開催した。自分のルーツが活火山というのが、長渕剛らしい出自だと言われている。
●桜井和寿
デビュー前のMr.Childrenのライブでは長渕の楽曲『顔』をカヴァーしており、その音源が動画サイトに出回っていたことがある。Mr.ChildrenのLP『深海』には、長渕の影響を受け長渕を意識して制作された曲があり、桜井は「レコーディング中に長渕さんが降りてきた」と『ROCKIN ON JAPAN』のインタビューで発言している。
●桜金造
『竜二』に出演した俳優で『英二ふたたび』にも出演している。
●さだまさし
1990年の紅白歌合戦で長渕が3曲(16分)を歌い世間から顰蹙を買った際に、あれはNHK側からのオファーであり長渕君は悪くないといった趣旨のことをラジオで語り、長渕を擁護した。長渕は自身のラジオ『今夜もバリサン』でさだの北の国からのテーマ曲をモノマネをまじえ歌ったことがある。
●殺気
『殺気 黒い血が流れる日』は、2013年に開催された長渕の詩画展の展覧会名。黒い血とは墨汁を指すと思われ、長渕らしいと言えるおどろおどろしいコピーライティングセンスが話題を呼んだ。展覧会と同時に詩画集『殺気』もリリースされた。
●指原莉乃
長渕のLINEスタンプを日常的に使っていると発言。
●されど私の人生
斉藤哲夫が作詞作曲し歌った楽曲だが、吉田拓郎がカバーしたバージョンの方が広く知られることから、拓郎のオリジナル曲だと勘違いしている人も多い。長渕もこの曲を気に入っていて、ラジオや2005年のYAMATOツアーでカバーを披露した。THE BEATLESの『LET IT BE』のコード進行をベースに作曲されているとのこと。
●サングラス
気に入っているようで、高頻度で着用している。ライブ中のサングラスは、プロンプター(歌詞モニター)を凝視している視線を悟られない為でもあると言われている。テレビ出演時には、トークの途中でほどよいタイミングでサングラスを外すのが恒例となっており、一見強面なのに実は優しい目をしているんですねと言われたい思惑があると推察される。
●椎名林檎
『長渕剛LIVE89』とラベルに書かれたカセットを手に持つ写真が、雑誌に載ったことがある(本人の私物かは不明)。名越由貴夫が林檎と長渕のギターをほぼ同時期に務めていた。
●J−45
ギブソンのアコースティックギター。年式違いで数本所有している。『JAPAN』のレコーディングで訪れたLAで購入した、1949年製を現在でもメインギターとして使用しており、レコーディングで多数使われている他、エレアコを除けば映像や写真で目にする頻度が一番高い。吉田拓郎が所有するJ−45(1967年製)が一番良い音がすると発言したことがある。
●J−50
ギブソンのアコースティックギター。J−45との違いはカラーのみ。長渕はJ−50も何本か所有しているが、ライブDVD『ACOUSTIC LIVE Tsuyoshi Nagabuchi Tour 2013 』収録『パークハウス 701 in 1985』の弾き語りで使われているJ−50は、長渕所有のギターではなくスタッフからの借り物だといい「深い音がするんだよね」と楽器雑誌のインタビューで言及した。
●J−200
J−45の他にJ−200も愛用している。ロングスケール(J−45より2cmほどネックが長い)で弦の張力が強いギターの為、ワイルドに力強くストロークする奏法に最適なギターであり、『勇気の花』のイントロや、1990年の『夜のヒットスタジオ』での『巡恋歌』でも弾かれている。ボディのサイズが大きいギターの為、ライブやテレビ等で立って弾くと長渕の身長の低さが強調されてしまうという欠点がある。
●自殺
LP『STAY DREAM』のプロモーションを兼ねてテレビ番組『徹子の部屋』へ出演した際に、思春期の麻疹みたいなもので自殺に惹かれることがあるのはわかるが、メディアで自殺を美化するような取り上げ方をするのは駄目だとそれを批判した。長渕自身は今でも死にたくなる時があるとも発言した。
●清水美砂
女優。1991年、ドラマ『しゃぼん玉』で長渕と共演した際に、清水の自宅マンションを長渕が出入りするところを写真週刊誌に撮られ不倫と報じられた(長渕は、あくまでドラマの打ち合わせであり男女の関係ではないと弁明した)。清水は、その前年に桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』で主役に抜擢され、桑田から寵愛されていた為、桑田が長渕と清水のスキャンダルを快く思わなかったことが、後の『すべての歌に懺悔しな』制作の引き金になったのではないかと言われているが、真偽不明である。
●清水ミチコ
「清水が長渕の顔マネのネタをメディアで披露していると、それを見た長渕(側)からライブに招待され、叱責されると思い萎縮して出向いたが、長渕は思いのほか寛大に対応してくれホッと胸を撫で下ろした」というエピソードをテレビ等で披露している。清水は90年代から現在に渡り複数の媒体で繰り返しこの話をする為、さすがに使い回し過ぎである。
●ジミ・ヘンドリクス
『Come on Stand up!』ツアーで、長渕がエレキギター(レスポール)のギターソロに挑戦したことがある。その際のメイキング映像で「ジミヘンが俺に降りてくる」と、冗談めかして発言している。
●志村けん
長渕の楽曲『素顔』を、自分が好きな歌と紹介しラジオでかけたことがある。志村は、長渕の前妻石野真子の妹の石野陽子と交際が噂されていた為、長渕と志村が義理の兄弟になる可能性があったと冷やかす声が一部であがった。
●シャイアン族
三人組のフォークバンド。長渕と同じ時期に福岡の『照和』で活動しており、親交があった。当時、曲の合間のMCが苦手だった長渕は、シャイアン族のステージから勉強をしたという。
●シャカパン
歩くとシャカシャカ音がする、ナイロン製のチープなズボンをシャカパンと呼び愛用する。シャカパンで街を闊歩するのは地方出身者の特権と自身のラジオで発言。
●シャブタレ
シャブ中とバカタレを合体させた長渕による造語。主演映画『オルゴール』の劇中のセリフでも「シャブタレ」が確認出来る。
●ジュークボックス
長渕所有のスタジオにはジュークボックスが設置されている。中にセットされているディスクは全て長渕剛の曲だといい、例えば、客人を招いた時にはこの曲、トレーニングをする時にはこの曲、といった具合に長渕自身により選曲されるという。この話は、イノフェスのリハでスタジオを訪れた川田十夢から語られた。
●ジャニーズ事務所
長渕が作詞作曲を担当し2008年にTOKIOに提供した『青春』を、2009年、長渕がセルフカバーしリリースしようとしたところ、長渕が製作したとはいえ、あくまでTOKIOの楽曲で権利もジャニーズ事務所に帰属している為カバーの許可が降りなかった。これに納得がいかない長渕は自らジャニーズ事務所に乗り込み社長に直談判をし、カバーのリリースに漕ぎ着けた。というエピソードが当時週刊誌で報道されたが、真偽は不明である。2018年、TOKIOがメンバーの不祥事で世間から叩かれる中、テレビ番組『スッキリ!』の生放送で、長渕が『青春』の歌詞を一部変えたバージョンをTOKIOへのエールとして弾き語りで歌い、その侠気が評判を呼んだ。
●庄野真代
『飛んでイスタンブール』のヒットで知られる歌手。庄野の全国ツアーの前座を、新人時代の長渕が務めたことがある。長渕のステージが客からの反応が良くアンコールを求める声が上がり、メインの庄野がヘソを曲げたこともあったというエピソードが当時マネージャーの糟谷氏から語られた。
●照和
長渕が福岡時代に活動していたライブハウスの屋号。後の楽曲でアルバムタイトルにもなった『昭和』と『照和』は、まったく関係なく意識もしていなかったと、『昭和』発売時の雑誌インタビューで語ったが、それは真意ではないのではと深読みするファンも存在している。
●女装
観客を女性のみに限定したライブツアー『Lady's Night 2007 Acoustic』を開催した際に、女装して入場を試みようとし、不審に思った係員から制止される男性ファンがツアーの各会場で出現したという。同ツアーは、長渕(側)が年齢が若い女性を選別し優先的にチケットを販売した為に、古参の熟女ファンからは非難の嵐だったという噂があるが真偽不明。
●しょんべん 
歌詞や出演ドラマに頻繁に登場する長渕お気に入りの排泄物。
●シルヴェスター・スタローン
2010年、スタローンが監督を務めた映画『エクスペンダブルズ』の日本版の主題歌として長渕の『絆KIZUNA』がセレクトされた縁でスタローンが同映画のプロモーションで来日した際に長渕との対談の席が設けられたが、長渕は大御所ハリウッドスター相手でもへりくだった姿勢は見せずに「30分だけなら」と承諾したという。対談ではスタローンからのリップサービスで、長渕へ次回作への出演が打診される場面があった。
●白の情景
1994年発売のライブビデオのタイトル。長渕が『西新宿の親父の唄』を歌う前に、まるで酩酊しているような自己陶酔に浸かったエキセントリックで冗長なMCをする場面があったが、2017年のDVD化の際には、その場面が丸々カットされている。恐らく、本人が見返して羞恥の念にかられたからではないかと言われている。VHS版は現在、中古で安価で入手可能。
●SINGING IN THE RAIN
『SINGING IN THE RAIN』は1952年のアメリカのミュージカル映画で、1929年の同名楽曲がベースになっている。長渕の楽曲『SITTING IN THE RAIN』という曲名は、これのパロディと言われているが、長渕のこういったポップなユーモア精神は一般的には認知されていない。同曲は2022年のツアーでも演奏された。
●新代田
上京して最初に住んだ、京王井の頭線線沿いにある世田谷区の街。長渕は四畳半一間のアパートに住んでおり、深夜2時くらいに隣室から泣き叫ぶような女性のあえぎ声が聞こえることがあったという。その頃のことを歌った楽曲『東京青春朝焼物語』の制作中に、当時の心境を思い出す為に久しぶりに新代田を訪れたと語った。
●新人発掘
長渕はかねてから「才能はあるのに世に出ていない若手ミュージシャンにチャンスの場を与えてあげたい、光るものを持つ人材がいたら自分のライブの前座を任せても良い」と発言している。実際に桜島ライブの時には、前座ミュージシャンのオーディションを開くとしてデモテープを募集したが、結果的に該当者無しに終わった。
●身長体重
長渕の身長に関しては諸説あるが、桜島ライブに備えたトレーニングの様子が掲載された雑誌『Tarzan』には、身長171㎝、体重71Kgと記されている。体重はビルドアップ前は53kgほどで、20代後半の心身が衰弱していた時期には50kgを切るほど痩せ細っていたという。桜島ライブ終了後には、5kgほど絞り66kg前後だとラジオで語った。
●深夜4時
深夜4時というフレーズを気に入っており何曲かで使っているが、リスナーから午前4時は深夜ではなく早朝ではないかという指摘を度々受けている。
●スウェットシャツ
『とんぼ』や『英二ふたたび』で英二がグレーの上下セットアップのスウェットを着用していた。とんぼ放送当時真似するファンもいたが、それも映画『竜二』からのサンプリングである。
●SUPER LIVE IN 西武球場
1983年リリースのライブビデオ。当時VHSとLDで発売されたが、今日に至るまでDVD化はされておらず、会場の西武球場に空席が目立つ場面が映っていること、独創的な衣装に本人が羞恥の念を持っていることが、その原因と言われている。ネットオークション等で中古品が数千円で出回っている。
●スカーフェイス
1983年のブライアン・デ・パルマ監督のマフィアの世界を描いた映画。ドラマ『とんぼ』のストーリーとキャラクターの設定は、この映画を土台にしていることは明らかな為、『とんぼ』は『竜二』だけではなく『スカーフェイス』からもパクっていたのかと世間から揶揄われ呆れられた。
●杉作J太郎
漫画家。杉作獣太郎は旧名義。杉作は、学生時代に初めて好きになったアイドルの石野真子が長渕と結婚した際に大変なショックを受け、その後好きになった女優の志穂美悦子も長渕と結婚した為、「長渕さんは僕の好きな人を全部持っていっちゃった」とぼやいた。しかし杉作は、長渕に対して嫉妬や逆恨みの感情は抱いておらず「長渕さんは僕と女性の趣味が一緒、話せば気が合いそう」と長渕を同類として受け入れる懐の深さを見せ男を上げた。また、杉作は、長渕が日本版主題歌を務めた映画『エクスペンダブルズ』の劇場用パンフレットに増子直純との対談を寄稿している。
●スコット・マーフィー
アメリカのバンドALLiSTER(アリスター)のボーカルとベース。Weezerのリバース・クオモとスコット&リバースとしても活動している。2008年に長渕の『乾杯』を日本語でカヴァーしてリリース。長渕とスコットという意表を突いた組み合わせが話題になった。
●鈴木茂
はっぴぃえんど、ティン・パン・アレーのギタリスト。ソロLP『BAND WAGON』は、日本のロック史上に名を残す名盤として知られている。鈴木は、長渕の『巡恋歌』のアレンジを担当し、LP『風は南から』でギターを弾いている。また、「巡恋歌はパチンコ店の軍艦マーチをヒントに作曲したと長渕君から聞いた」いうエピソードを、雑誌インタビューで披露したことがある。鈴木と長渕には大麻逮捕という共通点もある。
●スタジオ
長渕は本格的なレコーディングスタジオを所有しており、他のミュージシャンに貸すこともあるようで、2022年にASIANKANGFU GENERATIONのレコーディングにも使用されたという。そのスタジオには厨房も併設されていて『イノフェス』リハーサル時に、志穂美悦子が調理した豚汁をスタッフへ振舞ったいうエピソードが、イノフェスで共演した川田十夢氏から語られた。
●STUDIO VOICE
1976年創刊のカルチャー系雑誌。長渕の全盛期とされる90年代、音楽専門誌がほとんど長渕を取り上げない中で、同誌は、一般的な先入観にとらわれず長渕の作品や活動を正当に評価し好意的な記事を掲載していた。
●スティーヴ・フォーバート
アメリカのフォークシンガー。長渕が特に80年代に強く影響を受けており、長渕の楽曲『プライベート』の歌詞では、フォーバートの『ロミオの心臓』の訳詞から大胆に引用している。長渕はフォーバートの来日時に、ホテルの彼の部屋で面会を果たし、セッションをする約束をしたと『オールナイトニッポン』(1980年放送)で語った。また「スティーブは、ゴリラとか間寛平とか言われ評判の悪いLP『逆流』のジャケットの顔写真を褒めてくれて嬉しかった」とも発言した。
●ステイドリームのコード
楽曲『STAY DREAM』中の「手探りしてでも」の部分のコードは、原曲ではGだがBmに変えて演奏する場合もある(メロディは一緒)。90年代中期以降、弾き語り演奏時はBmバージョンが殆どであるが、2020年にラジオ『INNOVATION WORLD』にゲスト出演し、パーソナリティーの川田十夢からのリクエストで同曲を弾き語りした際には、久しぶりにGバージョンで演奏された。長渕の粋な計らいにより、少年時代に川田氏が愛聴し影響を受けたという原曲に近いバージョンを贈ったのではないかと言われている(原曲では歌っているが普段は省略する、誰もがここあそこに〜「ほら」という部分も歌った)。
●素敵にジングルベル
1983年の伊藤さやかのシングル曲で、長渕が作曲を担当した。作詞はHeart Boy。アレンジがTHE CLASH『LONDON CALLING』にソックリな為、長渕がパクったと言われることがあるが、長渕はアレンジには関与していないと推察される。編曲はRobert Ahawai。1995年には大塚ジュンコが同曲をカバーしシングルリリースしていて、こちらはアレンジが異なる為『LONDON CALLING』には似ていない。
●ストラップ
ギターに付けるストラップ。長渕は90年代までは、ストラップの片側をヘッドに結ぶクラシカルなフォークスタイルだったが、2000年代以降はギターボディやネック根元のストラップピンに取り付ける通常スタイル(エレキスタイル)に変更している。尚、クラシカルフォークスタイルは、ゆずが継承している。
●Streets of philadelphia
『ストリーツ・オブ・フィラデルフィア』1994年にシングルでリリースされた、ブルース・スプリングスティーンの楽曲。2002年の長渕の楽曲『静かなるアフガン』のアレンジがこの曲にソックリだとして、物議を醸した。
●関淳二郎
アルバム『FRIENDS』のアレンジでは長渕の新たな魅力を引き出したとされ、富士山オールナイトライブでも音楽監督を務めたが、長渕と喧嘩別れをし現在は疎遠との噂がある。
●セックス
2022年のラジオ『長渕剛のオールナイトニッポン』で、上京したばかりの頃はアパートでセックスばかりしていたと発言し、アナルという単語も口にした。セックスの相手は不明。
●世良公則
1982年〜83年にニッポン放送で『長渕クンと世良くん』というラジオ番組を、長渕と2人で担当。弾き語りコーナーでは長渕がコードを弾き世良がリードギターを弾いた。2019年の南こうせつのコンサートのゲスト出演で久しぶりに再会し、共に『乾杯』を演奏した。
●戦争
戦争には常々強く反対しており、それに関しての発言も多く、テレビ番組『ワイドナショー』出演時には、安保関連法案に対する反対意見を表明した。『冷たい外国人』『JAPAN』『親知らず』『神風特攻隊』『静かなるアフガン』『CLOSE YOUR EYES』『YAMATO』等、戦争の悲惨さに触れたり反戦をテーマにした楽曲も書いている。
●ソフトクリーム
好物。美味しいと評判の店には自ら積極的に出向くという。テレビ等で頻繁にソフトクリームの話をすることから、長渕といえば暴力的とかヒステリー持ちといった世間からのイメージを、お茶目なエピソードで回復したい狙いがあるのではと推察される。ソフトクリームをチーズケーキに変えて話す場合もある。

た行

●大衆芸術
玄人や評論家にうけるような小難しい音楽ではなく、市井の人々に届く大衆芸術をやりたい、自分は大衆芸術家でありたいと度々語っている。
●大麻事件
1995年、長渕が大麻取締法違反で逮捕された事件。「当初、警察は覚醒剤取締法違反の疑いで内偵捜査を進め家宅捜索に踏み切ったが、自宅から覚醒剤は発見されず尿検査でも陰性、長渕も容疑を否認した。その際に1gの大麻が自宅から見つかり大麻取締法違反の容疑で現行犯逮捕された」と、当時報道された。通常、警察は確証がある場合に限り、礼状を取り家宅捜索をするが、覚醒剤取締法違反の容疑では空振りしており、別の容疑で逮捕され結果的に処分保留の起訴猶予となったことからも、不可解な点がある事件とされる。この事件から長渕は前科者と揶揄されることがあるが、起訴はされていない為前科はついていない。
●高岡蒼佑
以前からの長渕ファンで、自身のInstagramのライブでは、特に思い入れが強い『逆流』や『Myself』を歌った。少年時代、多摩川のグラウンドでキャッチボールをしていた時に、ドラマ『RUN』のロケ中の長渕に遭遇し、自分の目の前を長渕演じるねずみ小僧が通ったことが、強烈な思い出として残っているという。2022年に、友人の市原隼人からの紹介で長渕と対面を果たした。
●高橋ジョージ
高橋が作詞作曲を担当しTHE虎舞竜のシングルとして1993年にリリースされた『道化師(ピエロ)』のメロディが、長渕の『とんぼ』(1988年)に似ている為、盗作ではないかと噂になった。1994年には研ナオコも同曲のカバーをシングルリリースし、改めて『とんぼ』の盗作だと嫌疑の風評が流れ、2バージョンに渡り発表した高橋を面の皮が厚いと嘲笑する声があった。長渕が盗作をされた側で話題に上るのは珍しい。研ナオコと長渕には大麻逮捕という共通点もある。
●高村光太郎
長渕が高村の詩をサンプリングしている。代表サンプリングとして、高村『わが家』の「わが家の屋根は高くそらを切り」→長渕『風は南から』の「僕の家の家根は高く空を切り」。高村『道程』の「僕の後ろに道は出来る」→長渕『いのち』の「道は後ろにあった」がある。
●タクシードライバー
1976年、マーティン・スコセッシ監督のアメリカ映画。長渕の楽曲『少し気になったBreakfast』の冒頭の歌詞「お前はコーヒーとフルーツサラダ俺はブラックにチーズバーガー」は、『タクシードライバー』の劇中のセリフ「ベツィはコーヒーとフルーツサラダ俺はブラックにチーズをかけたパイ」のサンプリングだとする有力な説がある。
●畳
日本人だから畳の部屋が落ち着くと発言。歌詞にも度々登場する。
●ダダリオ
長渕が使用するギターの弦のメーカーで、主にブロンズのカスタムライトを愛用しているとのこと。
●縦笛
1990年、アルバム『JEEP』リリース時にパーソナリティーを務めた『オールナイトニッポンスペシャル』で、長渕が小学5年生の時に好意をよせていたという、同級生の女生徒オダマキコさんのことを「縦笛が上手い子だった」と回想し「今でも縦笛が上手いと思います」と続け、暗にフェラチオを匂わせた。
●旅
大麻事件で逮捕され留置されていた時のエピソードを「10日ほど旅に出ていた」と復帰後のラジオで明るく語り、その話題はタブーだと思っていたリスナーを驚かせた。同じく復帰後のテレビ歌番組『HEY!HEY!HEY!』出演時にも、浜田雅功からのどこに行ってたんですか?の問いに対して「旅に出ていました」と笑顔で応じた。
●玉置浩二
玉置と親交のある哀川翔の妻には、人間のオーラが眼に見えるスピリチュアルな能力があるといい「哀川翔、矢沢永吉、玉置浩二、長渕剛の4人からは、常人にはない別格のオーラが見える」と哀川妻から玉置が指摘を受けたと、雑誌『テレビブロス』のインタビューで発言した。
●タモリ
長渕が福岡の照和で歌っていたのと同じ時期に、タモリもその近所の喫茶店で働いていたという。お互いに『オールナイトニッポン』のパーソナリティをやっていた時に九州ラーメンの話題で意気投合し、2005年のミュージックステーションで23年ぶりの再会を果たす。
●煙草
歌詞に煙草が登場する歌が何曲もあるが、身体を鍛え始めた頃に禁煙に成功し、それ以降は嫌煙家になり「今時煙草なんて吸ってる奴は何をしているんだ」とも発言。その影響で禁煙を実施し成功したファンも多数いるとのこと。
●炭鉱夫
思い入れが強いようで、炭鉱夫を描いた映画を作りたいと度々発言してしているが実現はしていない。
●チーズケーキ
好物。よくコンビニで買うと発言。
●近田春夫
近田の著作『考えるヒット』で長渕の楽曲『真っすぐな瞳のかあちゃん』を、これはもはや前衛と言ってもいいだろう(おちょくるようなニュアンスで)と評した。近田は元々フォーク嫌いを公言している。また、1998年発売のMr.Children『ニシエヒガシエ』を、曲名から真っ先に長渕を連想すると指摘した。
●乳房
「ちぶさ」と呼ぶ時と「にゅうぼう」と呼ぶ時があるが、使い分けの基準は不明。
●チューニング
ギターのチューニングは、チューナーに頼らず自分の耳で出来るようにしないと耳が育たないと、度々ローディーやギターキッズ達にアドバイスをしている。長渕はチューニングの精度をかなり重要視しており、ギター管理担当のスタッフが「長渕のチューニングは自分にしか出来ないという自負がある」と楽器雑誌のインタビューに応えたこともある。半音下げチューニングも好み、オープンや変則チューニングで演奏することもある。
●徴兵制度
戦争には強く反対しているが、若い男の心身を鍛える為に、日本に徴兵制度があっても良いといった主旨の発言もしている。
●つかこうへい
1989年に「つかこうへい氏に脚本を依頼して企画を一転ニ転と詰めている、正月映画だから明るい軽いものでとつかさんは言うんだけど」と長渕が語っているが、発言のトーンからも察し出来る通り結局この話は御破産になった。つか氏は、志穂美悦子主演『二代目はクリスチャン』では志穂美の為に脚本を書くほど、志穂美とゆかりが深かった。2017年にはつか作品の舞台に娘の文音が出演した。
●辻野孝明
ファッションデザイナー、スタイリスト。ローリングストーンズのキース・リチャーズや長渕剛の衣装デザイン、スタイリストの他、林海象監督の映画の衣装等、幅広く手がける。
●蔦谷好位置
テレビ番組『関JAM』の2017年上半期のベストソングを決める企画で、蔦谷は長渕の『Loser』を挙げ「EDMとフォークを融合させ、しかも長渕のオリジナルとして成立させている、ベテランでも新しいことに挑戦する姿勢も凄い」と絶賛した。
●常吉
ツネヨシ。ドラマ『とんぼ』で哀川翔が演じた英二の舎弟の役名。『とんぼ』のファンである清原和博が、自身が飼う犬(ボーダーコリー)に常吉と命名した。常吉の飼育の様子や成長の記録は、清原のYouTubeチャンネル『清ちゃんスポーツ』で見ることが出来る。常吉(哀川)と常吉(犬)の対談を望む声も多く聞かれる。
●鶴丸予備校
長渕が中学生時代に通っていた、鹿児島市にある学習塾。習っていた教科は不明。当時長渕が好きだった泰子さんと、塾の帰りに一緒に帰ったのが思い出だという。泰子さんはロングヘアーでピアノが上手い女の子だったのこと。同校は、鹿児島県を拠点に九州で展開しており現在67校にまで発展している。
●つんく
つんくがモーニング娘。をプロデュースしていた時期に長渕と対談をしており、長渕が「俺がアイドルをプロデュースするとしたら男女の仲になってしまいそう」と発言し、つんくから「じゃあ男性をプロデュースした方が良いですよ」とたしなめられる場面があった。つんくは、2006年発売のセルフカバーアルバムで、長渕の『DON’T CRY MY LOVE』をカバーした。また、テレビ番組で長渕の『俺らの家まで』のカバーを披露したこともある。
●DJ DRAGON
DJ。タレント。TOKYO No.1 SOUL SETの初代メンバーだったが解雇されている。本名、橋本達史。長渕のヒップホップ(風)の楽曲『Keep on Fighting』で、スクラッチを担当した。長渕の娘の文音と2人でbayfmでラジオ番組『A day in the life』のパーソナリティーを5年間務め、番組終了後には、2人でYouTubeチャンネル『DJ DRAGON&文音の虎の巻』を始動。チャンネル登録者は千人に届いたが、現在は更新されていない。
●ティン・パン・アレー
長渕のLP『風は南から』は、ティン・パン・アレーのメンバーが細野晴臣以外は全員参加している為、ティン・パン・アレーの作品のひとつという捉え方をして聴く邦楽ファンも多いという。
●テクノ
シングルリリースされた『走る』は、打ち込みによる四つ打ちドラムのアレンジが印象的な楽曲であり、テクノのDJによりフロアでスピンされることがあるという。アレンジは長渕本人によるもの。
●Terry’s Terry
テリーズテリー。YAMAHAでAPXをはじめとするアコースティックギターやエレアコを、開発、制作していたテリー中本(中本輝美)が、YAMAHA退職後に自ら立ち上げたギターメーカー。通称テリテリ。90年代前半に長渕のトレードマークにもなっていたブラックボディのギター『TerrysTerry No.1 Tsuyoshi.N MODEL』が、REBORNツアーで久しぶりに使われファンの間で話題になった。同じモデルを、長渕ファンで知られるフットボールアワーの後藤輝基が入手している。『家族』ツアーでも、テリーズテリーのモデルTJ -90が使われた。「生ギターに一番近い音がするエレアコだがハウリングしやすい」と長渕が言及したことがある。
●テレキャスター
愛用するフェンダーのエレキギター。年式違いで数本所有していて、デビュー時に50万円で購入したというブロンドカラーの1959年製のヴィンテージをメインに使用。現在の市場の相場では500万円は下らない貴重なギターだが、現役でライブで使われており、長渕がワイルドに扱う為、楽器を管理するスタッフはひやひやしているという。
●テレキャスヘッド
長渕は、小振りでシングルのペグが6連になったテレキャスター型のギターヘッドを好んでおり、本来はエレキギターに多く見られる型のヘッドだが、TAKAMINEにオリジナルのテレキャスヘッドのアコースティックギターをオーダーし、ライブ等で使用している。同モデルは、長渕モデルとしてTAKAMINEから市販されたこともある。
●テレビ
無宗教の人間が多い日本では神棚や祭壇の代わりに、家の居間にテレビが置かれ垂れ流しになっており、連日流されるネガティブ(に演出された)ニュースに気付かないうちに悪影響を受け、いつの間にか洗脳されテレビ教の信者になってしまっていると、ラジオで言及し、テレビの在り方や番組の作り方について危惧を示した。
●デブ
デブは不摂生だから認めないと発言する一方で、デブでも良いから沢山食べる奴は信用できる、食事の量が多い人間ほど活力や士気も高いと語った。
●電気グルーヴ
長渕はツアー中に、ライブ終演後ホテルの部屋へ戻るタイミングで、ちょうど食べ頃になるようグツグツ煮えた鍋をスタッフに用意させている、というエピソードを、自著『メロン牧場花嫁は死神』で石野卓球が語った。卓球は「最初にその話を聞いた時には、長渕を暴君だと思ったが、長渕クラスになると気軽に外に飲みに行けないだろうし、それくらいの楽しみがないとツアーはやっていられないのだろう」と、同じミュージシャンとしての立場から長渕の鍋へ理解を示した。
●天つゆ
長渕は天ぷらを食べる時の天つゆが苦手で、天ぷらは醤油とマヨネーズで食べると若手時代のラジオで発言。ドラマ『しゃぼん玉』では、長渕演じるポーが湯豆腐をマヨネーズで食べるシーンがある。
●電話交換手
長渕の母親が鹿児島の警察署で電話交換手のアルバイトをしていた時に、警察官だった長渕の父親と出会い交際に発展したという。ラブレターを和歌や短歌にしたためてやり取りをする等、初々しく仲睦まじかった2人の様子が後年長渕の口から語られた。
●電話魔
長渕は若い時から自他共に認める電話魔で長電話も好きだとのこと。角川春樹と親密だった時には、毎晩恋人同士の様に長電話をする長渕と角川の様子に、大の大人の男2人が何をしているのかと娘の角川慶子はあきれたという。また、長渕と親交のある川田十夢は、ある日長渕から「起きてる?」とモーニングコールがあり恐縮したというエピソードもある。
●遠山大輔
吉本興業所属のお笑い芸人。ラジオ番組『SCHOOL OF LOCKS!』で、長渕と共にパーソナリティーを務めた。長渕が遠山を気に入っており、ラジオ終了後も長渕のYouTubeチャンネルで進行役を任せたりと親交があるが、遠山は長渕の作品や活動に関して知識が浅く不勉強な上に、愚鈍で機転も効かない為、長渕と会話やテンポが噛み合っていない場面が散見され、視聴者や長渕ファンからは評判が悪く、遠山のプロとしての仕事に対する姿勢や資質を疑問視する声もある。
●ドクターストップ
長渕が病気や怪我をした後にメディアや観客の面前に出る際には「今日はドクターストップを振り切って来たぞー!」と言うのが恒例となっている。
●戸張大輔
アシッドフォークシンガー。コアな邦楽ファンからは天才と評され、同業者からも定評がある。1999年リリースのLP『ギター』が話題になり各所で絶賛され、2016年には新装盤が再発された。その中の収録曲を中納良恵(EGO-WRAPPIN)がカバーしたことでも知られる。戸張はインタビュー等で「音楽は長渕剛とU2とCHARAしか聴いたことがない」と度々発言している。
●トムソーヤ
1986年に日清カップヌードルのテレビCMのナレーションを担当。「おーいトムソーヤー」という印象的なフレーズが茶の間に流れる。

な行

●ないちん
『泣いてチンピラ』→ないちん、『裸足のまんまで』→はだまん、『DON’T CRY MY LOVE』→どんくら、『ほんまにうち寂しかったんよ』→うちさび、『鶴になった父ちゃん』→つるちち、『Come on Stand up!』→かもすた、『BLACK TRAIN』→ぶらとれ、『ACOUSTIC 俺の太陽』→あこおれ、等々、ファンの間で呼ばれている曲名の略称。
●永島瑛子
映画『竜二』で竜二の妻役を演じた女優で、『オルゴール』でも長渕の妻役にキャスティングされた。そういった影響を隠さずに堂々と真似する姿勢からも、『とんぼ』や『オルゴール』は『竜二』の盗作と言うよりは、リスペクトした上でのサンプリングであると評する向きもある。
●中島みゆき
長渕は、中島みゆきと20歳の頃にヤマハの財団で初めて会い、ギターテクニックのスリーフィンガーを中島に伝授したというエピソードをラジオで語ったことがある。そのラジオでは「自分の中では中島みゆきと言えばこの曲」と添えて中島の『タクシードライバー』がかけられた。
●中村有志
映画『オルゴール』に、シャブ中のチンピラで、銃で頭部を銃で撃たれ死ぬ役で出演。撮影前に一ヶ月で10kg以上の減量を課せられ、頭部を撃たれるシーンでは実際に額に仕込んだ火薬を爆発させたりと、かなり過酷な撮影だったと回想した。
●名越由貴夫
コーパス・グラインダーズのギタリストで、そのプレイは国内だけに収まらず海外でも折り紙つきである。上田健司からの紹介で、長渕のレコーディングで一曲ギターを弾いた際に、長渕に気に入られバンドメンバーに抜擢された。パンク、アヴァンギャルド畑からの長渕バンドへの起用は、普段長渕を聴かないコアなロックファンの間でも話題になり、フォークとは毛色の違うグルーヴの演奏が、長渕の新たな魅力を引き出したと評価されている。名越は「乱暴に弾いているように見えて、緻密な音作りをする長渕さんのギターや弾き語りからは学ぶものが多かった」と語った。また、ツアー前のバンド合宿では、長渕からメンバーへ、各々の体力に沿って組まれたトレーニングメニューが与えられたとし「長渕さんはトレーナーとしても一流」とのこと。ライブDVDのメイキングに、演奏でミスをした名越を長渕が叱責するシーンがある。
●情けねぇ
1991年リリースのとんねるずの楽曲。長渕の盟友秋元康による作詞で、いかにも長渕が書きそうな歌詞を書いた、長渕のパロディ作品とされる。作曲は後藤次利(後藤は長渕の『俺らの家まで』でベースを演奏している)。
●なるほどザ・ワールド
特番の生放送にドラマ『しゃぼん玉』の番宣で、ドラマの撮影現場の診療所のセットから中継で出演。医師を演じる長渕が、レポーターの東海林のり子扮する患者を診察する設定で、口腔内を覗き「随分荒れてるけど何をしゃぶってるの?」とニヤけながら口走り、暗にフェラチオを匂わせた。
●ナンシー関
1995年、国生さゆりが、長渕との薬物共同使用疑惑の潔白と愛人関係の清算をお知らせする記者会見を開いた際の、おびただしいフラッシュや記者からの矢継ぎ早の質問に、悠然と微笑みながら物怖じせず堂々と応じる風の振る舞いを、ナンシー関が「長渕イズム入っちゃってる」と指摘した。ナンシー関は、ドラマ『とんぼ』以降の長渕の挙動や素行や発言を、キャラの急変、カリスマ気取り、暴君等と指摘していたが、それは彼女らしからぬありきたりで凡庸な視点や解釈であるとも言える為、深度のある鋭い論評を期待していた長渕ファンは落胆したという。
●兄ちゃん
ドラマ『とんぼ』で仙道敦子演じるあずさは、兄の英二のことを「兄ちゃん」と呼び慕っていたが、テレビ番組『ぴったんこカンカン』で35年振りに2人が再会した際には、終始間違えて「お兄ちゃん」と呼んでおり全国の『とんぼ』ファンを落胆させた。
●匂い確認
ドラマ『とんぼ』の食事シーンでは、英二は匂いをクンクン嗅いでから食べる。ドラマ放送当時、全国の小中学校で給食を食べる時に英二の真似でクンクンするのが大流行したが、行儀の良い作法とは言えない為「給食時の英二禁止」の規約を定める学校もあったという。
●肉体言語
長渕はかねてから、あまりに不条理な目に遭ったり、全力で仕事に取り組まないスタッフに遭遇した時等で、口で言っても伝わらない場合には鉄拳制裁もやむを得ず、それは暴力ではなく『肉体言語』であるという独自の解釈を語っている。実際に桜島ライブDVDのメイキング映像でも、スタッフを叱責し蹴る場面が見られる。「本気で仕事をしている証」「綺麗事ではない正論」「信念を貫ぬく為の必要悪」とする肯定的な意見も聞かれるが、「歯向かってこない事が前提の、自分より立場が弱い相手のみに向けられる肉体言語は陰湿で卑怯だ」「本当は自信がなく未成熟だから手をあげる」「ただの違法行為」といった批判的な意見も聞かれる。
●肉体書道
重量50kgある巨大な筆(筆本体40kg +吸った墨汁10kg)で、縦4m横6mの布に、全身の筋力を使って文字を書く独自の書道のことを、長渕は『肉体書道』と呼んでいる。個展を開催し作品を発表したこともある。
●西蔵ツワン
ニシクラツワン。医師。武蔵台病院医院長。10歳の時に祖国チベットからインドに亡命、13歳で日本に留学し苦労の末に日本国籍を取得した。長渕の楽曲『ガンジス』の制作の元になったインド旅行にはツワン氏も同行している。志穂美悦子が、ボランティア活動で、インド南部ムンドゴッドにあるチベット難民キャンプを訪れた際にもツワン氏が同行したという。
●西田恭平
福岡で活動する歌手で『照和』時代からの長渕の友人でもある。『電信柱にひっかけた夢』は、西田をモデルにし歌詞を書き西田に提供した楽曲で、アルバム『JEEP』収録の長渕が歌ったものはセルフカバーにあたる。
●人間
1994年、シングルでリリースされた長渕の楽曲。1995年に長渕が大麻で逮捕された際に、ファンの1人が留置場の前まで駆けつけ、収容されている長渕に聴こえるようにカーステレオから大音量で『人間』を流し、長渕は檻の中でそれを聴きながら泣いたという。このエピソードは、長渕が釈放後にファンクラブの会員へ宛てた手紙に記されていた。
●人間あなたに会えてよかった
1992年に小学館より出版された長渕の写真集。B4版ハードカバー、表紙写真が長渕の母親の顔のアップという特異な装丁の為、人気絶頂期の発売にもかかわらず、コアなファン以外は購入のハードルが高かったという。撮影は広瀬飛一。長渕は発売時のインタビューで、当初は自伝の出版をする予定だったが、それはおこがましいと思い写真集という形になったと語った。自室の書斎の写真に池田大作の本が写っていることも一部で話題になった。安価で古書店等に出回っている為現在でも入手はしやすい。
●ぬいぐるみ
2012年のツアーグッズで、愛犬レオのぬいぐるみを販売し、かわいいと評判になった。
●NEVER CHANGE
妻が長女を出産した時の様子を、鮮烈に描写した1988年発表の楽曲で、音源で実際の娘の産声を聴くことが出来る。出産時、分娩室まで立ち会ったという長渕は、無我夢中で誰よりも大きな声で「ヒー!ヒー!フー!」と叫んだという。その病院の帰りの車の中で流れていたトム・ウェイツの曲が印象的だったと語った。
●野村忠宏
柔道家。柔道史上初のオリンピック3連覇を遂げ、3度とも金メダルを獲得した。2015年に引退。インタビューで、長渕の楽曲『とんぼ』をオールタイムフェイバリットに挙げ、特に子供時代、柔道の練習と学習塾の両立で辛かった時に聴いて癒されたと語った。
●乗り物酔い
長渕は乗り物酔いしやすい体質のようで、その為全国を移動して回るライブツアーは気が重くもあると、若手時代のインタビューで発言している。

は行


●ハーモニカホルダー
ギターを弾きながら歌う際に、首に掛けてハーモニカを固定する金属製の器具。長渕が考案し改良した物がTOMBO社から市販されており、海外の有名ミュージシャンも使用しているのを見かけたという長渕は「特許を取得しておけば良かった」と発言している。
●ハウィー・ウェインバーグ
NIRVANA『NEVER MIND』や、BEASTIE BOYS『LICENSED TO ILL』のマスタリングで知られるアメリカのマスタリング・エンジニアで、長渕のアルバム『LICENSE』のマスタリングも彼によるもの。他にも、ハービー・ハンコック、トム・ウェイツ、パンテラ、ラモーンズ等のアルバムも手掛け、マスタリングの王様と呼ばれている。
●HUSKING BEE
ボーカルの磯部正文が長渕の影響を受けており、学生時代に学園祭で『ろくなもんじゃねぇ』を弾き語りで歌った。雑誌『ROCKIN ON JAPAN』で生涯で影響を受けたLPとして『LICENSE』を挙げた。
●パトロール
上田晋也が近所に住む長渕から最近地域の治安が悪化しているから2人でパトロールをしないか?と誘われ、上田は社交辞令だと思い適当にはぐらかしたが、長渕は本気だったようで、具体的なパトロール実施の日時を約束しようとしてきて面食らったというエピソードが、テレビ番組『太田上田』で語られた。
●花の慶次
『週刊少年ジャンプ』で連載されていた原哲夫の漫画。作品内に長渕をモデルにし顔もソックリに描いた真田幸村が登場するが、連載途中で顔が変わり長渕サイドからクレームが入ったのではと噂された。
●ハミングバード
ギブソンのアコースティックギター。LP『空』のレコーディングで渡米した際に現地で1963年製のヴィンテージを購入し、レコーディングにも使用され『くしゃみじゃなくてよかったよ』でそのサウンドを聴くことができる。ナチュラルカラー、アジャスタブルブリッジ。本人曰く当たり個体の掘り出し物。2022年現在の中古市場価格で約70万円。
●原辰徳
読売ジャイアンツ監督。1982年、歌手としてアルバムを発表した際に、長渕が『ありふれたLOVE SONG』の作曲を担当した。作詞は山川啓介。
●般若
長渕を敬愛するヒップホップのミュージシャン。般若の楽曲『ドクタートーキョー』のトラックで長渕がギターを弾いている。長渕の武道館のライブで、般若が前座を務めたことがある。プライベートでも親交が深く、般若の奥さんの出産時には病院へ駆けつけ、父親の般若より先に赤ちゃんを抱き上げたという。
●ハンマリングオン、プリングオフ
コードを弾くだけの長渕のギタープレイに彩りをつけアクセントにもなっている、長渕が多用し得意とするギターテクニック。
●BEAT CRUSADERS
2010年に解散したヒダカトオル率いる日本のロックバンド。ZEEP東京でライブを開催する際に、長渕の楽曲『JEEP』のサビ「Oh my JEEP」をもじって『Oh my ZEPP』とライブのタイトルにつけた。同タイトルのライブDVDもリリースされている。
●ビーチ
ラジオ『今夜もバリサン』で、「神奈川のビーチはサザンの曲ばっかり流れてるから千葉のビーチへ行こう、千葉では長渕も流れてるからさ」と冗談めかして発言したことがある。
●B♭
長渕のギタープレイは、開放弦を活かしたローコードが主体でセーハ(バレー)はほぼしない為、「自分の中ではB♭というコードは存在しない」と、楽器雑誌のインタビューでセーハについて尋ねられた際に答えている。長渕はFコードもセーハはせずに親指で6弦を押さえるグリップフォームで弾く(その場合3弦の開放弦を使ったりハンマリングが出来るメリットもある)。
●光の家
1992年の人気絶頂期に、知人の医師、西蔵ツワン氏からの依頼により重症心身障害児が入所する施設『光の家』を慰問し、患者児童の100人程の前でライブが開かれた。「いつもは何万人もの前だけれど今日は唾が飛ぶくらいの近い距離で歌うよ」と、和やかな様子が伺える録音された音源が、動画サイトに流出したことがある。
●左手文字
利き腕と逆の手を使って文字を書き脳を鍛えるという訓練法。ドラマ『ボディガード』で共演した財前直見が「長渕さんに教わり実践している」とテレビで発言した。
●平井堅
カバーアルバム『Ken's Bar III』で長渕の『順子』をカバー。平井は「女々しさ爆発の切ない曲に自分なりの湿度を投入した」と語った。
●平野歩夢
スノーボーダー。北京五輪ハーフパイプ男子金メダリスト。父親の影響で長渕の歌を聴き始め、疲れた時ややる気が出ない時には励まされていると語る。2022年に長渕と対面を果たす。
●平野悠
ライブハウス『LOFT』創始者。長渕の『静かなるアフガン』を聴き衝撃を受けた。同曲に惚れ込んだ平野は長渕との対面を望み、知人の音楽評論家の吉留大貴に根回しをしてもらい、当時長渕が所属していたフォーライフレコードの横田利夫を紹介され、長渕へのインタビューを実現させた。
●ピンクフロイド
1992年の東京ドームのライブで、当時最新で高価な照明の器材が使われ、日本のミュージシャンでそれを導入したのは長渕が初で、海外ではピンクフロイドが使っているとスポーツ紙で報じられた。
●ファイティングポーズ
1984年発表の長渕の楽曲。アレンジがヘビーな本格的なレゲエの為、レゲエやダブのセレクター(DJのこと)から好まれフロアで使用されることがある。ライブ映えする曲でもあり、桜島でも富士山でも演奏された。編曲は瀬尾一三。
●船山基紀
アレンジャー。長いキャリアの中で唯一後悔している作品が長渕の『雨の嵐山』で、長渕のキャラクターや音楽性を知らずに見当外れなアレンジをしてしまったと、自著やテレビ番組で言及。長渕も、このアレンジを自分の意に反したもので気に入っていない失敗だったと度々発言している。船山は、2007年に長渕がTOKIOに提供した楽曲『青春SEISYuN』でも編曲を担当した。
●ブライアン・アダムス
長渕の『Hold Your Last Chance』のアレンジとメロディの元ネタはブライアンの『Straight From The Heart』とされる。特にイントロはソックリである。
●ブラザー・コーン
「暴力団の名前を出して恐喝された」としてコーンを告発した元マネージャーと「長渕から暴行を受けた」と長渕へ250万円の損害賠償を求めて訴訟を起こした元マネージャーは、同じ人物であった。そのマネージャーは、虚偽の情報を言いふらして回るような、業界では評判の悪いいわくつきの人物だったようで、コーンは逮捕されたがすぐに釈放され、長渕の件もほとんど話題にはならなかった。
●富良野塾
大麻事件で謹慎中の長渕は、友人の倉本聰の計らいで北海道富良野市にあった倉本主宰の富良野塾(の隣の倉本の別荘)に、一家で身を寄せていたという。その時に、倉本の提案により、現地で急遽調達された粗末なギターとハーモニカを使い、富良野塾の塾生約20人の前で長渕が2時間余りのライブ(セットリスト不明)を開いたという話が、後日倉本の口から語られた。また、2000年頃の倉本の誕生日会に長渕が富良野まで駆け付け、ドラマ『北の国から』の劇中にも使われた倉本の愛する長渕の楽曲『西新宿の親父の唄』の替え歌『富良野の親父の唄』を即興で歌い贈ったというエピソードもある。富良野塾は2010年に閉塾した。
●FULL COUNT
大阪に本社を構えるジーンズのメーカー。長渕のステージ衣装のジーンズを制作したことがあり、社長の辻田幹晴は、長渕のライブの楽屋に挨拶に行ったが、辻田の身体が大きい為格闘技の関係者と間違われたと語った。
●プロンプター
長渕に限らず歌手やバンドのライブで使われることがあるプロンプター(歌詞カンペモニター)だが、特に長渕はライブ中終始目を離さないことで知られている。観客の間では「全力のパフォーマンスを標榜しているわりには基本的な努力を放棄している」「ステージ上での動きが制限される為パフォーマンスに悪影響」等、批判的な意見もあるが、「歌詞を飛ばしたり間違えるよりはマシ」「アンコール等で急遽予定にない曲目を増やす事が可能になる」「昔からフォーク歌手は譜面台を置いてライブをしていた」と、肯定的な意見も聞かれる。矢沢永吉や山下達郎がプロンプターは使わない主義として知られており、プロンプター凝視のイメージが強い長渕の名前を引き合いに出し、彼等のプロ意識の高さが賞賛されることがある。
●編曲
フォークロックなアレンジは古臭いのではと指摘されることがあるが、流行の洋楽風とかにするのは容易いけれど、あえてそれはしていないのだ(シンプルで普遍性のあるものを作るというニュアンス)とインタビューで語ったことがある。
●放送禁止
反戦歌である『静かなるアフガン』のリリース時、NHKをはじめ、いくつかの放送局で同局が放送禁止となったという。長渕はそれに対する不満と憤りを表明したが、放送禁止になったというインパクトの強い謳い文句が、宣伝になり箔が付いた側面もあり、長渕もそのエピソードを気に入っている様子である。また、同曲はアレンジがブルース・スプリングスティーンの楽曲『ストリーツ・オブ・フィラデルフィア』に似ていることから「パクリだから放送禁止になっただけでは」とからかう声も聞かれた。日本テレビの歌番組『FUN』で同曲が演奏されたことに関し、長渕は、プロデューサーの藤井淳とディレクターの江成真二に感謝しているとインタビューで言及した。
●防弾
長渕の自宅の門は防弾仕様が施してあると、長渕にインタビューをしたこともある吉田豪が発言。
●木刀
学生時代は喧嘩に明け暮れる武闘派で、やられたら木刀を持って奇襲していたと近年の雑誌インタビューで発言したが、長渕といえば気弱なフォーク青年のいじめられっ子タイプだったというイメージが強い為、虚栄心による創作話ではないかとの疑念が沸く。
●ポケットの中の百円玉
中学校3年生でギターを始めた長渕が、初めて書いたオリジナル曲のタイトル。
●保守的
2022年ツアー中に長渕がコロナに感染した際に、都会に比べ保守的な田舎では感染者を差別するような雰囲気があり、故郷鹿児島ですら冷たい扱いを受けたと、ショックを受けた様子で鹿児島のラジオに出演した際に語った。
●BODY
ボディは明治から発売していたチョコレート菓子で、1988年に長渕がテレビCMに出演。『NEVER CHANGE』ツアーでの『STAY DREAM』のライブ映像が流れ、ナレーションも担当した。
●ボディガード
1997年にテレビ朝日で放送された、長渕剛主演ドラマ。『ボディーガード』は誤表記であり『ボディガード』である。ケビン・コスナーの方と区別する為に「ボディ」としたわけではなく、ケビン・コスナーの方も『ボディーガード』ではなく『ボディガード』である。
●ボブ・ディラン
長渕が影響を受けたことを公言している。長渕の2018年リリースの楽曲『Don’t Think Twice ~桜並木の面影にゆれて~』は、ディランの1963年の楽曲『Don’t Think Twice, It’s All Right』(同曲は桑田佳祐がカバーを披露したこともある)を模した曲名。2005年のYAMATOツアーでは、ディランの『Blowin' in the Wind』を弾き語りでカバーした。また、2009年の長渕の楽曲『Jungle Gym』の「風に聞いても答えは出ないよ」という歌詞は、「答えは風の中にあるさ」と歌ったディランへの(というよりは古い価値観への)風刺である。意図的にディラン風に制作したと思われる『すべてほんとだよ!!』という楽曲もある。

ま行

●マス子
長渕マス子。長渕の最愛の母親で2000年に亡くなった。長渕が自らをマザコンと称するほどに思い入れの強い大きな存在であり、長渕の人格形成に多大な影響を与えている。マス子は53歳の時に大腸ガンに罹り、その3年後には若年性の認知症も患う。長渕自身が自宅で母を介護した期間があり、母を入浴させ性器までを洗ったという鮮烈なエピソードをテレビで語った。
●マイルス・デイビス
癇癪持ち、女好きで女たらし、女も殴る、薬物使用歴がある、身長が低くそれがコンプレックス、楽器演奏がアヴァンギャルド、喫煙者だったが禁煙に成功している、身体を鍛えている、食事にはこだわる、絵を描く(長渕は詩画)、ファッションにこだわりがある、格闘技が好きで自分でもやる(長渕は空手でマイルスはボクシング)等々、マイルスと長渕は共通点が多いと言われている。
●まっすぐ
長渕がこだわる概念。己の信じた道をぶれずに進むというニュアンス。歌詞カードでは「真っ直ぐ」と表記。一時期、ライブのMCで「俺は右でもなく左でもなくまっすぐ行くだけじゃい!」と発言しており、それは、自分の思想や価値観は、右寄りでも左寄りでもなくニュートラルであるという意味だと推察される。
●マツモトクラブ
ピン芸人。コント『長渕剛風の息子』が、長渕ファンからもおもしろいと賞賛された。大喜利の「女体化した長渕」というお題に「コツコツとつけまつ毛をつける〜」と節をつけ回答する場面も見られた。小学生時代からの友人の川田十夢が長渕と共演した際には「小学生の時放送室から電波に乗せて長渕の『ろくなもんじゃねえ』を一緒に歌い全校生徒に届けていた同級生が、今夜J-WAVEから電波に乗せて長渕剛を世界に届けます」と自分の事のように誇り、友達思いの一面も見せた。
●松本人志
桑田佳祐の『すべての歌に懺悔しな』騒動の際、世間では怒った長渕が大人気ないとする見方が大半だったが、松本は「自分の作品を貶されたら本気で怒れるのがプロだと思う」と、自著『遺書』で長渕を擁護した。その少し後に、長渕は自ら志願し『HEY!HEY!HEY!』に初出演している。2015年の富士山ライブ敢行時、一部の批判的な報道に対し「挑戦することが凄いのに何故揚げ足取りをするのか」と長渕を擁護した。
●money
長渕はモネーと発音する。
●マリオ(柴田一幸)
長渕は、ドラマ『親子ゲーム』でマリオを演じた子役の柴田一幸を「ひねてはいない悲しみを醸し出すような魅力がある、自分も学ぶ面があった、あの子には何かあるね」とドラマ放送から数年後にラジオで言及するほど、高く評価していた。
●漫⭐︎画太郎
漫画家。「長渕剛みたいな腐った目をしやがって」というくだりが著作『珍遊記』にある。画太郎は武田鉄矢と電気グルーヴのファンとのこと。
●三島由紀夫
長渕が影響を受けている。ドラマ『しゃぼん玉』の最終回の演説シーンでは、三島の市ヶ谷駐屯地での演説をサンプリングしている。心中(しんぢゅう)を描いた長渕の楽曲『激愛』は、三島が制作した短編映画『憂國』にインスパイアされたとする説がある。
●水吹き
長渕がペットボトルの水を口に含み、天井や客席に向かい霧吹き状に勢いよく噴き出す、ライブでのパフォーマンス。2020年『ニューイヤーロックフェスティバル』に出演した際、コロナ禍で世間が飛沫感染にナーバスになる最中でも、臆することなくそれを行ったと、同フェスで共演した瓜田純士が語った。瓜田は元々長渕ファンで、前田日明主催の格闘技大会『THE OUTSIDER』出場時、入場曲に長渕の『しゃぼん玉』を流していたことがある。
●南こうせつ
新人時代の長渕に、ツアーの前座を任せたり、自身の『オールナイトニッポン』で長渕にコーナーを持たせたりと目をかけていた。長渕は「こうせつのフォークと俺は違う」という自負がありへりくだった姿勢は見せなかったが、こうせつは長渕の評判を喜んでいたという。長らく疎遠であったが、2019年のこうせつのライブに長渕はゲスト出演し、こうせつへの恩義の感謝を表明した。
●ミニマル
2コードで同じフレーズの繰り返しながら15分強ある楽曲『Captain of the ship』を、まるでミニマルミュージックのようだと評するリスナーが存在する。長渕自身が、ミニマルの反復を用いた表現を意識して楽曲制作をしたかどうかは不明である。
●美保純
女優。映画『男はつらいよ』で、長渕と志穂美悦子と共演した際に「長渕さんと志穂美さんが撮影現場でずっとイチャイチャしていて、あてられた」と後年MXテレビ『5時に夢中』で述懐した。
●宮沢賢治
長渕が影響を受けている。特に長渕の楽曲の大きな特徴のひとつである歌詞の擬音の表現では、賢治の詩から強い影響を受けていると推察される。
●ミルクボーイ
漫才コンビ。特に駒田の方が熱心な長渕ファンで、ミルクボーイの漫才の出囃子に、長渕の『俺らの家まで』と『三羽ガラス』を使っていた時期があるが、長渕の色が強く出過ぎてしまい漫才がやりづらくなると内海が不満を漏らした為、内海が選んだドンキーコングのBGMに変更になっている。駒田は富士山オールナイトライブも観戦した他、身体を鍛え始めたのは剛より自分の方が先だったともテレビで語った。
●向井秀徳
ナンバーガール、ZAZEN BOYSのボーカル&ギター。長渕ファンとして知られる。自身のライブで『YOU CHANGED YOUR MIND』『シリアス』『激愛』『西新宿の親父の唄』等をカバーしたことがある。また、2001年の『RISING SUN ROCK FESTIVAL』のイベントスペースでは、ナンバーガールメンバーのアヒトイナザワと共に『とんぼ』を演奏した。特に好きなアルバムとしては『NEVER CHANGE』と『ACOUSTIC俺の太陽』を挙げた。長渕の楽曲から垣間見える繊細さや弱さに惹かれると語り、特に暗い曲だけをセレクトしたベスト盤『ACID長渕BEST』を自身で制作したことがある。TAKAMINEの長渕剛モデルのギターも所有する。
●夢精
1984年、松田聖子のラジオ番組『愛にくちづけ』に長渕がゲスト出演した際に「聖子ちゃんのことを考えてたら夢精しちゃった」と発言した。その放送では聖子が自身の楽曲『青い珊瑚』を長渕のギター演奏とハモリで歌った。
●メタル会員証
長渕剛ファンクラブの会員証は金属製のカードである。硬質で重厚感がある為、財布の中で存在感を放つと評判が高い。2022年からはスマホによるデジタル会員証も導入された為に、愛着のあるメタル会員証の出番の減少を残念がる会員の声も聞かれる。
●餅つき大会
毎年正月に、長渕は自宅に友人や仕事関係者を招き餅つき大会を催している。招かれたギタリストのICHIROは、お城のような邸宅に驚愕したと語った。二股交際発覚前の冨永愛と塩谷瞬がカップルで出席している。
●諸星和己
光GENJI解散直後の自身のソロライブで、長渕の『友達がいなくなっちゃった』のカバーを披露し、歌詞の内容と諸星のその時の心境が重なっていた為に同曲を選んだのはないかと噂になった。

や行

●ヤギの乳
沖縄では飲用や食材として馴染み深くポピュラー。匂いに独特の癖がある為に本土では苦手とする人が多いが、長渕は好んでいるとのこと。
●ヤクザ
ドラマ『とんぼ』でヤクザを演じていた頃に、新幹線で本物のヤクザから挨拶をされ名刺も貰って嬉しかったと発言し浅薄な面を垣間見せた。
●役所広司
1984年に役所が歌手としてアルバムを出した際に、長渕は作曲で2曲提供している(作詞は岡本おさみ)。レコーディングにもハーモニカで参加しており、とっぱらいで五万円貰ったと語った。
●安田成美
ドラマ『親子ジグザグ』で共演した際に、長渕が安田をしつこく口説いたり、楽屋に呼び無理矢理自分のライブビデオを見せるなどして、粘着質に言い寄っているという噂が業界内であり、女性週刊誌が真偽を確認する為、安田の所属事務所に問い合わせた所、事務所の社長が「残念ながらそういったことがあったのは事実です。安田は賢い子なので上手くかわしたようですが、長渕さんには迷惑しております。」と噂を認め、その事務所社長のコメントと経緯がそのまま女性週刊誌に掲載された。
●柳井満
TBSのドラマプロデューサー。ドラマ『家族ゲーム』のキャスティングに悩んでいる時に、たまたま見掛けた長渕の新聞記事でその風貌にピンときて、役者未経験だった長渕を主役に大抜擢した。柳井は武田鉄矢主演の『金八先生』を手掛けた経験から、フォーク歌手を主役に使えばヒットすると念頭にあり、長渕に声を掛けたとも言われている。ドラマ『とんぼ』では、ホームドラマを望んでいた柳井はヤクザものの制作に反対し長渕と衝突したが、結果的にヒットした時には喜び認めていたという。
●山下達郎
近年の吉田拓郎のライブで、それぞれ観客として来ていた長渕と山下達郎が、終演後の拓郎の楽屋で鉢合わせて、独特な濃い空気だったというエピソードを坂崎幸之助がラジオで語った。双方、自身で作詞作曲を手掛けた『夏の恋人』という同じタイトルの楽曲がある。長渕の編曲を数多く手掛けた、長渕の盟友とも言える瀬尾一三は、達郎作詞作曲の竹内まりやの編曲もしており達郎とも交流がある。
●山野楽器
1998年に当時ギブソンの日本代理店だった山野楽器が、長渕愛用のJ–45を再現(ペグ等のパーツだけを)したJ−45TNというモデルを企画し、ギブソンから発売した。あくまでシグネイチャーモデルではない為、長渕剛という名前は使えずにTNとしている。現在でも中古市場に出回ることがある。
●山本耀司
ファッションデザイナー。自称隠れ長渕ファン。『西新宿の親父の唄』がフェイバリットで、親父側に感情移入し聴いていると、高橋幸宏司会のテレビ番組で語った。例えば「悲しい」という単語を使わずに悲しさを表現するような作詞に、長渕にはチャレンジして欲しいと雑誌インタビューで語ったことがある。
●山本義徳
ボディビルダー。長渕ファンでライブにも足を運ぶ。2022年に長渕が出演したSIXPADのテレビCMの撮影でアドバイザーを務めた。
●U2
長渕は桜島オールナイトライブのDVDを制作の際、監督の北村龍平に、U2に負けないレベルのクオリティにに仕上げてくれと依頼した。北村は、2004年に長渕が出演した京セラの携帯電話のテレビCMも監督した。
●柳美里
作家。10代半ばから長渕ファンでライブにも行っていた。好きな楽曲は『ひまわり』。2015年に『文藝別冊 長渕剛~民衆の怒りと祈りの歌~』で長渕と対談し、その翌年に福島県立小高産業技術高等学校の校歌の作詞を柳が手掛ける際に、長渕に宛て作曲の依頼の手紙を書き、それを読んだ長渕は快く引き受けてくれたという。柳は「長渕さんは金ではないものに魂を動かされて校歌の仕事を受けて下さった」と語っている。完成した校歌を長渕が歌ったバージョンも動画サイト等で聴くことが出来る。
●酔待草
ヨイマチグサ。1979年発表の長渕の楽曲。作詞は松本隆。アレンジがエレクトロ調な為、1990年代にアンダーグラウンドシーンのクラブDJにより発掘され、フロアで回されることがあった。
●4つ打ち
元々長渕の歌と8ビートは相性が良いと言われるが、特に『走る』や『明日をくだせえ』では、フロア向けのテクノのような本格的な4つ打ちのビートが聴くことが出来る(両曲とも編曲は長渕自身)。実際にクラブDJによりそれらの曲がフロアでかかることがある。アコースティックのイメージが強い長渕だが、新しいものが好きで柔軟な面もあり、打ち込みやリズムマシーンの導入にも積極的である。
●よね工房
LP『昭和』の裏ジャケットや映画『オルゴール』で長渕が着用しているリブ部分がニットのレザーニットキャップや、楽曲『とんぼ』のシングル盤のジャケット写真やドラマ『とんぼ』のオープニングで英二が着用しているレザーハットを、再現し販売する、帽子や革製品を主に扱うショップ。素材の質感からシルエットまでこだわり研究し、試行錯誤を繰り返しながらも忠実に再現する制作の様子がブログで公開された。

ら行

●螺旋
くりぃむしちゅーの上田晋也が長渕と会食した際に、長渕が、懐石料理の螺旋状に細工された人参の飾り付けまでを綺麗に平らげたというエピソードが『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』で上田から語られ、その時のトークがリスナーから反響が大きかったことから「螺旋エピソード」として伝説になっている。
●竜二
金子正次脚本主演による1983年のヤクザ映画。長渕は強い影響を受け、ドラマ『とんぼ』や映画『オルゴール』で、もはやパロディと言えるほど大胆に引用している。その為『竜二』や金子正次のファンからは盗作だと顰蹙を買ったが、影響や引用を隠さない長渕の姿勢に竜二への愛を感じる、引用はしているが竜二とは別物の作品として成立させている為盗作ではなくヒップポップのサンプリング的である、といった意見も存在する。過去に長渕が竜二に関して言及したことはない。
●リリー・フランキー
リリーのラジオ番組で「同じ九州出身ということもあって長渕剛さんの歌が好きだ」と発言。その数年後の2014年に、リリーが司会のテレビ番組『ワンダフルライフ』に長渕がゲスト出演した際には、少年時代に長渕のラジオでの弾き語りを聴いて感銘を受けた、初めて行ったコンサートが長渕だった等のエピソードを披露した。
●リードギター
ギターでコードを弾きながら歌うフォークスタイルで、リードギターは全く弾けない為、それがコンプレックスだと発言したことがある。
●ルゴール
ボブ・ディランのようなしわがれ声に憧れた若い頃の長渕が、ルゴールの原液や焼酎でうがいをし喉を潰そうと試みたというのは、度々語られている有名なエピソードである。
●レオ
長渕が飼ってた犬。犬種は、ホワイトスイスシェパード。シェパードを飼うのはブルース・スプリングスティーンの真似だとする説もある(スプリングスティーンのLP『LUCKY TOWN』中ジャケット写真にもスプリングスティーンとシェパードが一緒に写っている)。長渕は、レオが2015年に亡くなった際には「一緒に死のうと思った」「親が亡くなった時より悲しい」と大変思い詰めた様子であった。
●レシート
帰宅した母親が、ちゃぶ台に買い物をしてきたレシートと釣り銭の小銭を広げながら貧しさを嘆くというのが、長渕の子供時代の日常的な光景で、それを見るのが嫌で仕方なかったとラジオで追想したことがある。
●LOWDEN
ローデン。アイルランドのアコースティックギターのメーカー。2022年に自身のYouTubeチャンネルのライブで使用。普段の長渕とは趣が違うギターの為、長渕の次男でミュージシャンの蓮の影響か、彼のギターを借りたのではないかと推察される。
●朗読勇次
1999年発売、セルフカバーLP『ACOUSTIC俺の太陽』収録の楽曲『勇次』は、長渕が歌わずに、ただ歌詞を朗読するという特異なバージョンであった。歌を期待していたリスナーや原曲のファンからは評判が悪かったようで、ライブで朗読勇次を演奏した際にも観客の反応は鈍く、通常バージョンで歌い直す場面が見られたという。後に長渕は不評だったことを認め「朗読はギタリストの笛吹利明の発案だった」と責任転嫁ともとれる弁明をした。朗読勇次を、無難に逃げていない攻めの姿勢が生んだアレンジと評価する声も一部にある。
● ロッキー4
『ロッキー4/炎の友情』は1985年公開のアメリカ映画。敵対するロッキー(シルヴェスター・スタローン)とドラゴ(ドルフ・ラングレン)がボクシングで試合をするストーリー。長渕は、映画『エクスペンダブルズ』の日本版主題歌を担当した縁でスタローンと対談し、新極真会に所属しているラングレンが、長渕制作の『新極真会の歌』に合わせて空手の演舞を披露した際にラングレンとも面会していることから、『ロッキー4』のロッキーとドラゴ双方と面識がある。
●ROCK ON
ロックオンは、長渕が自由が丘で経営していたカフェの屋号。ごくたまに長渕本人が店にいることもあったという。2016年に惜しまれつつも閉店。閉店の理由は経営不振だと噂された。

わ行

●和製英語
『HOLD YOUR CHANCE』や『STAY DREAM』『CAPTAIN OF THE SHIP』等は、実際の英語では使われない、長渕オリジナルの和製英語であるという。長渕はそれを自覚しているが意に介してない様子である。
●若林志穂
元女優。ドラマ『ボディガード』(1997年)映画『英二』(1999年)で長渕と共演している。共演した際に、長渕の方から「家でセリフ合わせをしたい」と若林に打診があり、断れなかった若林は長渕を家に招き入れたという。
長渕は「今日はプレゼントを持ってきたんだ」と言うと、白い結晶(長渕には『結晶』(1996年)という楽曲もある)が入ったパケとアルミホイルとライターとガラスパイプ(通常覚醒剤を火で炙り吸引し摂取する際に使用する器具)を自らのセカンドバッグから取り出し、その結晶をライターで炙り耽溺し始め(若林は摂取を勧められたが拒絶したとのこと)、若林に向かって強姦と暴力と監禁を行い、「このことを他言したら海に沈めるぞ、俺にはそういうことが出来る仲間がいるんだ」と、脅したという。
以上の告発は、2023年11月に若林により、ツイキャスでの動画配信で行われた。
長渕と言えば薬物や暴力のイメージが強い為、信憑性が高いという意見も多いが、2024年2月現時点では、若林からの告発以外の証拠は出ておらず、若林以外の告発者もいない。
長渕(側)は、この件に関しては反応や言及はしていないが、Twitterの長渕公式のアカウントは、コメントで荒れた為かアカウントごと削除された。
●航(わたる)
長渕の長男。2022年に子供が生まれ、長渕にとっての初孫となった。
●渡哲也
長渕と交流がある。渡は息子に勧められて『とんぼ』を聴きファンになり、カラオケでも歌うとのこと。





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