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わたしは潔白を主張する:聖書をめぐる旅 4/3

4/3(日)
 ヨブの言葉を読みながら、へりくだることの大切さを説いていた牧師先生の言葉を思い出しました。また、イザヤ書は終わりの時代に起こることが語られ、未来から逆算して今をどう生きるかが問われているように思います。 

ヨブ記27章 

1ヨブは更に言葉をついで主張した。
5断じて、あなたたちを正しいとはしない。
死に至るまで、わたしは潔白を主張する。
6わたしは自らの正しさに固執して譲らない。
一日たりとも心に恥じるところはない。
22神は彼に襲いかかり、許さない。
御手から逃れようと彼はあがく。
23神は彼に向かって手をたたき
その住まいから彼を吹き飛ばす。

 ヨブの言葉から、彼が正当性を主張性すればするほど、
かたくなになっていることを感じます。

ローマ信徒の手紙3章に
「正しい者はいない。一人もいない。
11悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
12皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。
善を行う者はいない。
ただの一人もいない。」
とあることを思い出しました。

私は、この御言葉に救われました。なぜなら、自分は正しいことだけをしていたわけではないので・・・。
神様には100%があっても、人間は100%正しいという者はいません。
ある意味不完全な者ゆえに、神様の助けが必要とへりくだることができます。
自分は神様を信じている・・・ということを盾にするものではないことを学びました。


イザヤ書2章

2終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい
3多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
4主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
22人間に頼るのをやめよ
鼻で息をしているだけの者に。
どこに彼の値打ちがあるのか。

 イザヤ書の最初は警告です。終わりの日に、
エルサレムがどの山よりも高くそびえること
多くの民がそこに集まること
神様が道を示されることが書いてあります。
また、その時代には戦がなくなり、武器が農機具に変えられる時代が来る、と。
それゆえ、偶像や人間に頼るのはやめようと警告されています。

 終わりの時代に神様が示される「道」とはイエス様のことではないかと思いました。
「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)
神様に至る道は、今の時代にも示されています。
その道は、すでにありますが、求めなければ見えにくのかもしれません。

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