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そこからこの手で引き出す:聖書を巡る旅 7/24

7/24(日)
 本日はアモス書の最後の章、そしてオバデヤ書です。不思議と、神様が隠れた人間を引き出す・・・ということが語られています。裁き主としての厳しさと、愛なる方のやさしさがこの中にはあるように思います。

アモス書9章

1わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。
「柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。
すべての者の頭上で砕け。
生き残った者は、わたしが剣で殺す。
彼らのうちに逃れうる者はない。
逃れて、生き延びる者はひとりもない。
2たとえ、彼らが陰府に潜り込んでも
わたしは、そこからこの手で引き出す。
たとえ天に上っても
わたしは、そこから引き下ろす。
14わたしは、わが民イスラエルの繁栄を回復する。
彼らは荒された町を建て直して住み
ぶどう畑を作って、ぶどう酒を飲み
園を造って、実りを食べる。
15わたしは彼らをその土地に植え付ける。
わたしが与えた地から
再び彼らが引き抜かれることは決してないと
あなたの神なる主は言われる。

 アモス書が最後の章となりました。次のオバデヤ書にも共通するところですが、神様はあなた方がどんなところに逃げ込んでも引きずり出すと語っています。誰も、そこから逃げ出せるものはいない、と。これは、罪を犯した人間に対して神様の厳しさのようにも思いましたが、逆に神様の愛の手から逃れる者はないという宣言でもあるように思いました。
 そして、14節以降は回復のイメージが語られています。
私が注目したのは「わたしは彼らをその土地に植え付ける」です。
主の祈りの中で、御心の天になるごとく、地にもなさせたまえという祈りがあります。
これこそ、神様の中にあるぶどう畑をこの地にもたらし、その土地に私たちが植え付けられることなのかと思いました。すなわち、神様の心の中に私たちも住むようになる、と。

オバデヤ1章

4たとえ、お前が鷲のように高く昇り
星の間に巣を作っても
わたしは、そこからお前を引き降ろすと
主は言われる。
7お前と同盟していたすべてのものが
お前を国境まで追いやる。
お前の盟友がお前を欺き、征服する。
お前のパンを食べていた者が
お前の足もとに罠を仕掛ける。
それでも、お前は悟らない。
13その災いの日に
わが民の門に入ってはならない。
その災いの日に
苦しみを眺めていてはならない。
その災いの日に
彼らの財宝に手を伸ばしてはならない。
15主の日は、すべての国に近づいている。
お前がしたように、お前にもされる。
お前の業は、お前の頭上に返る。


 オバデヤ書は、エドム滅亡の預言です。紀元前587年、バビロンがエルサレムを攻めたとき、援軍を出さずに傷ついた都の略奪に加わったエドムへの裁きの書です。
私に響いたのは「お前がしたように、お前にもされる」です。
こちらも主の祈りに関連があるように思います。
「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく
我らの罪をもゆるしたまえ」
人間は自分のはかりで、はかられます。自分が他者にしたように、自分も扱われます。それゆえ、キリスト者が何故人にやさしいのかは、神様が先に私たちを受け入れてくださった故に、他者に対してもやさしくなれると思います。教会に足を踏み入れたことのある方なら、感じていることかもしれませんが、愛されている者は、他者からの愛を奪い合うような力関係に入る必要がありません。こういうことを平安というのかなと思います。
滅びに向かうエドムに対して、私たちは愛された者として、喜んで御心を行う者でありたいと思います。

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