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無職と魔法

「ぼくと契約して魔法少女になってよ」

 は? と思うた。眼前には猿のような猫のような毛の無いつるつるとした見たことも無い小動物。なんじゃこれはと訝しみ、首根っこを掴んで抓み上げてみたが、まるで莫迦の如く「ぼくと契約して、ぼくと契約して」をその小動物は繰り返す。

 そろそろひるを廻ったころ。石神井公園には馴染みのおっさんたちが屯している。皆が皆、小汚い恰好をしていた。俺だって人のことを言える身形はしていないが、少なくとも公園の閑所を使っての毎日の洗顔歯磨きは怠らずに行っている。こんな時刻に良い歳をした俺たちが意味も無く公園でぶらぶらしているのだから、仕事の方は推して知るべし。いわゆる喰いつめ者。無職である。やることが何もないので、時間潰しに公園へと皆集まってくる。人生の落伍者の集いというわけだ。はは。なんて笑っている場合ではない。抓み上げた小動物がまだ繰り返し俺に声をかけて来る。

「お願いだよ。ぼくと契約して魔法少女になって」

 声色は中性的。大人の女が無理して子供の声を発しているような感じだ。そもそもこの生き物は何故なにゆえ人語を解するのか。サーカスにでも売り飛ばせば、銭の種になるのではなかろうかという邪悪この上ない考えが脳裡を掠める。

 大体にして俺は中年の無職――魔法少女になれと言われてもそんな解せぬ話に合点承知などと言えるはずも無く、そんなことより眼の前に突として現れたこの見たことも無い生き物に興味がわいた。一寸ちょっと憎いが可愛らしい。猫のように顎の下を指で撫でてやれば悦ぶのだろうか。すると小動物がその躰を捩じらせて、俺の手のうちから逃げた。ぷるぷると矢張り毛の無い長い尻尾を震わせながら、体勢を整えるようにしてまた俺に向って人語を発した。

「仕方ないんだよ。現代は人材不足。本物の少女たちは夢を失い、優しい世界を作ることに興味が無い。だからきみのような夢見るおじさんに白羽の矢を立てるしかないのさ。さあ、ぼくと契約して一緒に優しい世界を構築しよう?」

 夢見るおじさん。
 確かにそうだ。今年四十八しじゅうはちになるが、まだ音楽を辞めることが出来ない。諦めきれないと言った方が正しかろう。若いころにヴィジュアル系バンドの一員として一旦メジャーデビューするチャンスを掴みかけた為か、その後もズルズルとその日暮らしで何とか糊口をしのぎながら次なる契約の機会を窺っている。もちろん、そんなチャンスなど滅多なことでは訪れないから、こうして心が凍えぬよう同じく無職の集結する公園を根城にしたりしているのだが、まさか魔法少女にならないかという珍奇なスカウトを受けるとは微塵も思ってみなかった。

「魔法少女になったら、カワイイ女の子にでもなれるのか?」

 暇潰しに俺は訊ねてみた。小動物がそのこうべを小刻みに振って否定する。俺は少しばかりチッと心の中で舌打ちした。こう見えても俺は元ヴィジュアル系のおっさんである。女装趣味があるわけではないが、愛くるしい少女になれるのならそれはそれで自分の気持ちが満足はする。というか、大っぴらには言えないが、少女になって試してみたいことも沢山ある。たとえば自慰行為がそれだ。畏まってしまったが、要するにオナニーである。美少女がすオナニーとは如何いかなる快楽をもたらすのか、それを知りたい。確かめたい。ははは。おまわりさんに捕まりそうだな。で、そういうことは可能なのかね? 小動物くん。

「可愛いコスチュームを用意することは出来るよ。魔法も使えるようになる。でも残念ながら本物の少女には変身できない。だって元がおじさんだもの」

 待てぃ。美少女戦士的な衣装を四十八のおっさんが着たらどうなるか。ただの変態中年の誕生である。最前も言ったが、女装がしたいというわけではないのだ。確かにヴィジュアル系バンドには得てして美形な女形キャラがメンバーとして存在したりはする。だが、俺は些か腕っぷしが強いタイプのがっちりスタイル、ドラマー出身なのだ。加えて加齢の所為か、かつてとは別人と判別されるくらいでっぷりと腹も出て現在は角力の如く肥えている。ロリロリした戦闘服を纏ったところで、笑いものになるのが関の山だ。

「じゃ、この話はなかったことで」

 俺は小動物に背を向け、馴染みのおっさんの一人と談笑でもするかと歩を進ませた。すると、小動物がひらりと地を蹴り、俺の前に立ちはだかった。

「待って! きみとぼくにしか出来ないことがある。この世界を救うんだ!」

 小動物が、どこから取り出したのか、コミック調にデフォルメされた大きな星の飾りが先端に誂えられた短いステッキの如きそれを差し出した。俺にそのステッキを手渡そうとしている。明らかに子供の玩具みたいな魔法のステッキだ。不承不承、それを受け取ってみる。握り心地は悪くない。が、当然の如く明らかに似合わない。大体いちいち小動物から放たれる言葉が曖昧だ。この世界を救うとか優しい世界を構築するとか、要するに具体性に欠ける。もっと魔法少女の仕事とやらをしっかり説明してくれたまえ。

「簡単だよ。そのマジカルステッキで魔法を使って、この世の悪と戦うんだ」

 また曖昧。だから、その〈この世の悪〉ってやつが漠然とし過ぎてんだよ。たとえば世界征服を企む秘密組織があって、それを壊滅させる……であるとか、或いは夜の闇に紛れて人肉を喰らう魔獣を駆逐する……だとか、将又、国家間の戦争を阻止すべく秘密裏に世界を暗躍する……とかとか、そういう明瞭はっきりした行動目的みたいなもんがあるってんならまだしも、話が兎に角、模糊もこ模糊もことしていて土台真摯に契約なんか出来るわけがねえ。

「ええい、きみは頭が固いね。この石頭。さあ、魔法の呪文を唱えるんだ!」
「ちょっと待った。もちろんまだ契約するつもりなんざア更々ないが、魔法少女として一日働いたとして日当は幾らだ? そこから話を詰めて行こうじゃないか」
「ニットウ?」
「八千円ぐれエは貰わないとやってられないね」
「きみは魔法少女の仕事に金銭を要求するのかい?」
「あたりきしゃりきよう。銭が駄目なら現物支給でもいいぜ。毎日、酒を一升。そうだな、肴は炙った烏賊でもいい」

 呑兵衛の魔法少女なんか聞いたことは疎か、テレビのアニメなんかで観たことすらもないが、タダではおっさんは仕事しねえんだ。理解したかこの猫猿野郎。

「――分かったよ。お酒と烏賊を用意すれば契約してくれるんだね」

 と、ここまでの流れでいつの間にか、俺が魔法少女になる話が煮詰まりそうになってきた。いや、酒を毎日一升呑めれば、大抵の恥は晒してもいいと思うくらい、プライドなんてものはとっくに崩壊してはいるが、そもこの俺に務まるのだろうか、魔法少女。

「それは大丈夫。だって、ぼくが眼を付けたんだもの。ぼくの眼力がんりきを信じて!」

 まあ、そこまで信じてはいないのだけれども、一寸俺もやる気が湧いて来た。何にしても、長年無職で人から必要とされたことなどなかったから、こんな歪な小動物相手でも「きみしかいないんだ!」みたいなことを言われてしまうと冷めた心にも温かい何かが通う。

「女郎の腰巻、ぱわわのわー」

なんともそれらしくない魔法の呪文を唱えて、マジカルステッキなるものを振ってみた。全身が光の粒に包まれる。着ていたティーシャツとジーンズ、序でに下着も破れ弾け、虚空に現れた魔法少女の衣装が我が身を包む。これはあれだ、要するに変身だ。じゃんじゃじゃーん。変身完了。途端に周囲のおっさんどもが俺に眼を向ける。瞬時に注目の的と化してしまった。これは恥ずかしい。まるでメイドの格好をしたコンカフェ嬢が着ているみたいな黒とショッキングピンクの衣服に包まれて俺は公園に立ち尽くしていた。右手には星の飾りのマジカルステッキ。スカートがやや短めで、ああ、いかにも魔法少女だわ、という靴を履いているのだが、その隙間が生足なものだから濃い脛毛が露わになっている。やっぱり客観的に考えてもただの変態おじさんの出来上がりである。こんなの呑まなきゃやってられねえ。

「小動物! 酒や酒、酒持ってこーい」
「自分の魔法でお出しよ。でも約束通り、一日一升だからね」

 女郎の腰巻、ぱわわのわー。

 ステッキを振ると、眼の前に特級酒の一升瓶が現れた。蓋をこじ開け、瓶に口を付けて直接がぶがぶと呑む。ぷはー。うまい。特級酒なんて何年ぶりだろう。一息に三合ほど呑み干した。いい感じに気分がふらふらになる。最高だなー、魔法少女。なんてこと呟いてみたり。

「ほら、烏賊だよ!」

 小動物がどこからか皿に盛りつけた烏賊を取り出した。ちゃんと炙ってある。しかも肉厚の烏賊の一夜干しである。喰ってみると塩加減が素晴らしく、これは酒が進む。俺は思わず、小動物、でかした! と、毛の無い頭をさわさわと撫でてやった。

「ここまで来たんだから、正式に契約してくれるよね」

 酒の力で心が大きくなっていた俺は「いいとも。契約してやろうじゃねえか。世界を救ってやろうじゃねえかっつーの」と、小動物を酔眼で睨み付けて力強く握手した。

「それじゃあこの羊皮紙に、住所と職業、氏名を書いて、血判をして欲しいんだ」

 いいとも。
 住所不定、無職、サコタユキオ、と。
 で、血判?
 痛いの厭なんでシャチハタじゃ駄目?

「駄目だよッ」

 小動物がいきなり両手から尖った爪を出し、俺の馬手の親指を引っ掻いた。いてえっ。親指の先がじんじんとする。ぽたぽた血が流れ落ちた。小動物はその血を掬うように羊皮紙で俺の親指を押さえた。まんまと血判を取られてしまったわけだ。しかし、この契約の方法、何だか後ろめたい。正義の魔法少女の契約というより、悪魔との契約を交わしているような気分になって来た。悪酔いしたか。
 
「さあ、これで契約は結ばれた。ユキ、きみには働いてもらわないとね」
「お、おう! って、しかし労働か……俺の得手では無いんだよなあ」
「世界を救うためだから仕方がないよ。きみの仕事は山ほどある」

 たとえば? と問うた時、それまで表情の無かった猿だか猫だか判らない毛の無い小動物が、呵々かかと破顔したように見えた。ぞっとするが如きその破顔。

「そうだね。まずは――この公園を綺麗に掃除してみようか。ここに屯する醜く穢い無職の連中を――全部始末して」

 何を言っておるのだと一瞬耳を疑った。小動物の声は後半凍て付くかのように冷徹で、一気に酔いが醒めた。始末ってどういうことだよ。追い出せって言うのか?

「そんなの手緩いよ。始末は始末だ。殺せ」

 小動物の金色こんじきまなこが冷ややかに光った。そんなこと出来るか! ど阿呆! それこそ、おまわりさんに捕まっちまう。すると小動物は「警察官が邪魔ならそれも始末することだ」とか恐ろしいことを言い出すからやってられない。とんでもない化け物と関わり合いを持っちまったと後悔しながらも、俺は一升瓶の特級酒を呑み続けた。酔うことでこの悪夢の如き現実から逃避しようと思ったからだ。ところがどれだけ呑んでもいい心持ちにならない。寧ろ気分が悪くなり、俺はげえげえと公園の水飲み場で大いに吐いた。鼻汁と涙が一緒に流れて止まらない。胃の中が空っぽになる迄、俺は吐き続けた。あとはもうから嘔吐えずきである。何も出て来ない。苦しみだけが俺を襲う。

「ユキ――何をもたもたやってるんだい? さあ、早く始末を――」

 背後から、小動物の冷酷きわまりない声が聴こえた。意を決して振り向く。醜く穢い無職だと? 仮令たとえ世間の嫌われ者であったとしても、ここのおっさんたちは俺の馴染みであり仲間だ。酒一升と烏賊の一夜干し如きとは引き換えになんぞできねえッ。

「無駄だよ。契約書は、ほらここに――」

 女郎の腰巻、ぱわわのわーッ。
 俺はマジカルステッキを振り翳し、呪文を唱えた。小動物が提示した契約書を燃してやるつもりだった。だが、燃えない。全く以て炎が出ない。小動物が嗤った。

「あはははは。ぼくに対して魔法が使えるとでも思ったのかい? きみはぼくの使用人だ。ぼくに刃向かうことなど出来ないんだよッ」
「な、なんだとぉー」

 と、その時である。馴染みの一人の独居老人が俺に話かけて来た。

「ユキオちゃん、どないしたんや。けったいな格好して。なんか困り事か?」
「寄るんじゃねェ! 得体の知れねえ厄介事だ。さがってくれぃ!」

 小動物の存在に爺さんが気付いた。猫と勘違いしたのか、舌をチタチタ鳴らしながら接近してゆく。蓋し餌付けでもするつもりなのであろう。パン屑をその皺だらけの掌に乗せて。やばい。何だかこの流れ、非常にまずい。

 不安は的中した。

 小動物は「薄汚いじじい――」と言葉を洩らすや否や、長い尻尾を鞭のように撓らせ、爺さんに向って攻撃を仕掛けた。いつの間にか、尻尾の先には鋭利で太いてっしんの如きものが何本も何本も何本も飛び出していた。それが恰もその先端で束の如くに幾重にも折り重なって黒光りしている。小動物は爺さんの眼を狙ったようであった。瞬間、針先が爺さんの両眼を抉り取る。爺さんは絶叫して背後にくずおれた。出血で顔面が真っ赤になっている。弾けるように飛散する血しぶき。眼球は左右共にぐちゃぐちゃ。明らかに潰れてしまっている。

 その様を眺めていた取り巻きの野次馬たちが、おっさんの癖に女のような悲鳴を次々と上げた。まさに阿鼻叫喚。しっかりしろいと爺さんを抱き起したが、あまりのショックの所為なのか失神してしまっている。

「野郎――罪もエ爺さんを――ッ!」
「何を言ってるんだい、ユキ。醜く穢れた老人なぞ、その存在こそが罪。始末だよ。始末。さっさと魔法少女としての務めを果たしておくれよ」

 俺は再度、魔法のマジカルステッキを小動物に向け、呪文を叫んだ。女郎の腰巻、ぱわわのわーッ! ぱわわのわーッ! ぱわわのわーッわーッわーッ!

 しん
 ガクリ。ショボン。またもや不発。
 小動物が高笑う。

「無駄だと言ったはずだよ。ユキは魔法少女。ぼくはきみと契約を結んだその飼い主だ。飼い犬に手を噛まれかねないような契約なんかするはずないだろう」
「うがーッ!」

 俺の中で何かが弾け飛んだ。
 タガが外れたってやつだ。俺はこの公園の仲間たちを守る。そのためには小動物――お前を始末してやるッ。魔法も糞も無かった。小動物に向って跳び掛かり、左手でその頸を絞める。その上で、右手に握ったマジカルステッキで物理的に小動物の脳天をごつんと殴った。殴った。殴った。俺はこれでもドラマーくずれである。太くて重いビートを感じさせてやらん。そのうち、小動物の脳天が凹み始めた。鼻血を流し、口からも血泡を噴いている。それでも止めずに俺は殴った。殴りまくった。

「ユキ……やめ……ろ……」

 か細く小動物が呻いた。
 そしてやがて――小動物は動かなくなった。
 死んだのだ。退治したのだ、この手で俺が。
 頭部は見るも無残にひしゃげたように潰れ、恰も化け物の如き様相を呈していた。

 刹那、小動物の手から離れ落ちた羊皮紙――契約書が、しゅぼっと青い炎に包まれた。ほぼ一瞬で契約書は焼け消え、霧散し、晴れて俺は自由の身となった。途端に穢れた醜いものを手に掴んでいるような気がして、俺は小動物の死骸を地面に投げ棄てた。手に付着した赤黒い鮮血をスカートで拭う。次の瞬間、俺の全身が再び光の粒に包まれた。キャストオフ。魔法少女のコスチュームが溶けるようにして消えて無くなった。

 この時、漸く俺は全裸で公園に佇立していることに初めて気が付いた。
 遠くからパトカーのサイレンの音が聴こえる。公園で俺が難儀しているのを見た馴染みの誰かが、警察に通報してくれたらしい。人心地ついたような気がして、俺の躰からどっと力が抜けた。パトカーから警官が降りてくる。俺は後の始末を凡て警察に委ねたつもりで地べたに坐り込んだ。ところが。

「お兄さん、なんで服着てないのよ? ああ、なるほど。昼間っからお酒呑んで酔っ払っちゃってンの?」

 警官が俺に尋問してきた。
 考えてみれば俺はとんでもない不審者だ。
 連れ立ってパトカーから降りて来た婦人警官が小動物の死骸と、眼をやられた爺さんに気が付く。やばい。あまりに俺は怪しすぎる。魔法少女の血まみれステッキを右手に持って、なおかつ全裸。このステッキ、都合よく衣装と一緒に消えてくれなかった。一升瓶や烏賊の一夜干しもそうだが、正式契約の前に出現したものは契約終了後も悉く残るということなのか。しかし、それにしてもコスチュームだけは消えてしまうという有り得ないバグ。否、あんなもの着ていたところで状況が好転するとも思えない。所詮は変態のおっさんが魔法少女ファッションに身を包み、烏賊をアテに酒を呑んで暴れていたと解釈されるに相違ない。

「一寸、交番まで来てもらおうかね。いいかい、お兄さん」

 俺は釈明しようにも気の利いた言葉も出ず、パトカーのもとに連れて行かれた。もはや夕暮れ時。パトランプの赤い光線が眼に眩しくて、ぱわわのわー。

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