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歓喜の歌

じりじりと照りつける夏の陽射しによって、教室の中はさながら蒸し風呂の如き様相を呈していた。凡ての窓は全開状態にあったが、一向涼しくならない。地理的な問題もあるのか、二階だというのに風が教室内に全然通らないのだ。兎に角もうすでに暑くてやり切れぬ一限目前のホームルーム。突として担任の松江先生が畏まったように咳払いをし、我々生徒たちに向って見知らぬ少女を紹介し始めた。転校生である。たとえば小学生の時分ならばそれこそ大ニュース。やって来た転校生のぐるりを囲んでは男子も女子も大騒ぎをし、挙句授業どころではなかったのやも知れぬが、高校二年生ともなればその辺は少しばかり醒めている。わたしも表向きは醒めていた。兎も角も、暑さが耐え難いといったていで頬杖を突き、どこか聞き流すようにして先生からの説明を一応耳に入れる。どうやら和歌山からの転校生らしい。ちらりと教壇の横に立つ転校生に眼をやる。漆黒の髪は長く、綺麗でつやがある。身体は華奢で背も小さい。どうにも少し可愛いのが気に障った。名前は――「雑賀里穂です。よろしくお願いします」転校生が和歌山訛りのある発音で小さくぺこりと頭を下げて挨拶をする。不思議と聞いていてその訛りにはあまり違和感を覚えなかった。徳島弁と和歌山弁、近しいものがあるのだろうか。転校生――雑賀里穂は松江先生に促され、「えーと、三好の後ろが空いてるな。そこに坐って」とわたしの背後にある空席に来て、ちょこんと腰をかけた。くやしいが一々の仕草がやはり可愛い。
 
休み時間。わたしは椅子をぐるりと後ろに向け、転校生の雑賀ちゃん相手にコミュニケーションを取ってみようと試みた。醒めているとは言ったものの、内心この可愛い転校生のことが少々気になって仕方がないのが実情だ。騒ぎこそはせぬが訊きたいと思うことは山ほどある。「ねえねえ、雑賀ちゃん。雑賀ちゃんって呼ぶよ? 徳島は初めて?」わたしの問いかけに対し、雑賀ちゃんがこくりと頷く。何でもお父さんの仕事の都合でこちらへ引っ越して来たらしい。「で、徳島はどうよ? 楽しく過ごせそう?」暫時雑賀ちゃんは思案を巡らすように目線を逸らし、またこくりと頷くと「徳島と和歌山ってなんか少し似てるような気がします。たとえばラーメン」「ああ、醤油豚骨の徳島ラーメンね」一般的に豚骨ラーメンと言うと九州の白濁したスープをイメージする人も少なくないだろうが、徳島では醤油で味付けした茶色いスープが主流である。こってりとしたコクのある味わいで、病みつきになったら止まらない。それが徳島ラーメンだ。「和歌山のラーメンも徳島と同じく醤油豚骨なの。あと、なるとが絶対入ってる」雑賀ちゃんは笑顔で話した。なるとと言えば、これまた徳島名物鳴門の渦潮がモチーフになっているとされる具材である。そうか。和歌山ではラーメンになるとは絶対的な付き物なのか。「私、大好きなんだあ、和歌山ラーメン。地元では中華そばって呼ぶんだけどね」「ふうん。まあ、わたしも好きだけどね、徳島ラーメン」こんな話題で喋っている所為か、なんだか少しお腹が空いて来たような気配。
「それから、私、和歌山にいた時から四国放送ラジオを夜中によく聴いてました」
「えー変なの。ラジオ聴くなら地元の放送局とか聴きなよ」
「それがね、電波環境の関係なのか、前の地元では和歌山放送より四国放送の方がいつも綺麗に受信できたの。だから、ついつい」雑賀ちゃんがにこりと眼を細める。そうなんだ、面白いこともあるもんだねえと、わたしはふむふむ呟きながら相槌を打った。ラーメンにラジオと他愛もない話の連続だが、続けているうちにいつの間にか、雑賀ちゃんとの心の距離が幾分縮まったような気がした。

 お昼休みはいつも決まって屋上へ行く。
 本当は禁止されているのだけれども、鍵が壊れていてこっそりと侵入可能なのだ。屋上ならこの暑い季節でも、心地好い風が吹き抜けているわけ。そこでわたしは毎日避暑しながらお弁当を食べるのが日課となっている。いつもは当然独りでこっそり黙々と食べているのだが、今日は特別に雑賀ちゃんを誘ってみた。雑賀ちゃんは「いいんですか!」と嬉しそうな顔をしてわたしについて来た。階段を登り、壊れた鍵をガチャガチャと弄って屋上へのドアを開ける。「三好さん、三好さん、おなか空きましたよね」「ラーメンの話とかしちゃったからね。さ、一緒にお昼食べよう」わたしは屋上のど真ん中に陣取り、お弁当を拡げた。から揚げにウインナー、卵焼き、ほぼ定番のメニューだが、わたしは母の作ってくれたこのお弁当が大好きだ。呑気に「いっただきまーす」なんて言ってると、不図ふと気付いた。雑賀ちゃんの様子がおかしい。「三好さん、いいなア。お母さんの手作りお弁当……私、学食でパン買ってきちゃいました」飽く迄も笑顔を絶やさずに話す雑賀ちゃんだったが、その奥に内在する寂しさのようなものをわたしは見逃さなかった。
 お父さんの都合で引っ越ししてきたとは言っていたが、実は雑賀ちゃんのご両親、離婚したみたいなのだ。親権はお父さんに委ねられ、お母さんとはお別れしてしまったらしい。お父さんは仕事に忙しくてほとんど家を留守にしているとのこと。お弁当を作ってくれる人が雑賀ちゃんにはいないのだ。他人事なのにわたしは結構悲しくなった。涙が零れそうになって鼻を啜った。「雑賀ちゃん、お弁当のおかず、分けてあげるから、そのパン半分ちょうだい」わたしは思わず何だか変な頼み事を雑賀ちゃんにしてしまった。でも、雑賀ちゃんは嬉しそうに「うん!」と頷き、お弁当のおかずをつまみつつ、パンを半分こしてわたしにくれた。「卵焼きおいしい!」けだし雑賀ちゃんは快哉を叫んだはずだ。楽しい食事の時間を二人で過ごせたようにわたしは思う。

 食後。涼しい風を全身に浴びながら、わたしはコンクリートで塗り固められた屋上の冷たい床にごろりんと寝転がった。そして、ゆっくりと伸びをする。こんな姿、お母さんに見つかったら「食べてすぐ横になるなんて、はしたないッ」とか何とかって叱られちゃうかも。でもいいんだ。本当に気持ちいいから。何の気なしに雑賀ちゃんの方を見ると、彼女はスマホで音楽を聴いているみたいだった。
「なに聴いてんの?」少し離れた場所から寝転がったままの体勢で、わたしは雑賀ちゃんに対して質問する。すると雑賀ちゃんがわたしの許へ駆け寄って来て腰を下ろし、「はい」とワイヤレスイヤホンの片方を手渡してくれた。自然、わたしはその手渡されたイヤホンを片耳に添える。大音響だった。吃驚した。しかも聴こえて来るのはクラシック音楽だ。思わずわたしはイヤホンを離し、「雑賀ちゃん、クラシックなんか聴くの? 退屈じゃない?」極々素朴な疑問からそう尋ねてみると、雑賀ちゃんはぶんぶん顔を横に振り、「すごくドラマチックなんだよ。よく聴いてみて」とわたしに再度の試聴を促した。もう一度イヤホンを耳に近付ける。交響曲だ。「ふむむっ」音楽の授業で先生がCDを持参し、そこで聴いたことがある。そう、ベートーヴェン。年末になったらよくテレビなんかで流れてるやつだ。確か第九とか言ったか。
「この第四楽章が大好きなの。合唱部分ね」
 耳を澄ませてみた。ドイツ語らしき歌詞を朗々と歌い上げる合唱団。確かにドラマチックなのかも知れない。いつの間にか、わたしもそれに聴き入っていた。
「お別れしたお母さんの影響で聴き始めたんだ……クラシック。でも本当に素晴らしくって、今じゃお母さん抜きで完璧にハマッちゃってるの。そうだ、三好さん知ってる? 日本で初めてベートーヴェンの交響曲第九番を演奏したのって徳島なんだよ」
 意外なところで徳島の名前が出て来た。
「そうなの?」
「うん。なんでも第一次大戦のドイツ人捕虜たちが徳島の収容所で保護されて、レクリエーションの一環だったのかな? そこで演奏したのが日本初なんだって」
「でも、普通、戦争してて捕虜にそんなことさせるかな?」
「お母さんに聞いた話だと、その収容所は人道的で捕虜たちもある程度自由にやりたいことが出来たみたい。徳島の人はみんな優しいんだね」
 莞爾と雑賀ちゃんが微笑む。
 マジな話とは思えず、わたしはスマホを片手に色々と検索してみた。すると、雑賀ちゃんのお母さんが言ってたそれは概ね事実であり、西暦1918年6月1日、今の鳴門市大麻町にあった板東俘虜収容所というところに収容されていたドイツ人捕虜たちの手によって、第九は日本で初めて見事演奏されたようであった。大戦の捕虜というと暗いイメージしか思い浮かべられなかったけど、本当だったのだ。兎も角も歓喜の歌が日本で初めて歌われたのが、ここ徳島だったなんて。わたしは少しばかり誇らしげな気分になった。更にスマホをタップして調べてみると、徳島の捕虜収容所における一寸ちょっと心温まるような話が次々と出てくる。ドイツ人捕虜の人権と自主性を叶う限り認めた上で、当時の民間人との交流なんかもあったという。雑賀ちゃんの発した言葉通り、とりあえず徳島の人々はみんな優しいのかも知れない。なんて素敵なことなのだろう。
 わたしはまた雑賀ちゃんから借りたイヤホンを耳に、今度はしっかりと装着してみせた。第四楽章。高らかに歌い上げられる歓喜の歌。良いな、と思った。確かに全然クラシックって退屈じゃない。
「いいね。ベートーヴェン!」
「三好さんにそう言ってもらえると、私、嬉しい」
「ううん、わたしこそ嬉しいよ。雑賀ちゃんと、どんどん仲良くなれてる気がする!」
 小さなワイヤレスイヤホンからではあったが、わたしたちの新鮮な友情を称えるが如く響く第九の成分が、いつしか広い屋上の空間一杯に充ち溢れているかのように思えた。無論、第三者には聴こえない。わたしと雑賀ちゃんの総身だけに鳴り渡る歓喜の歌。快くなったわたしはドイツ語の歌詞を真似て、でたらめに大声を上げた。音痴じゃないから大丈夫と雑賀ちゃんが笑う。
 午後の授業が始まるまで、第九は知り合ってまだ間もない二人の間隙を埋めるべく止むことなく鼓膜に轟いた。否、五限の授業中に至ってもなお、少なくともわたしの身体の中においては第九の旋律が渦巻くかの如くその輝きを眩いばかりに放ち続けていた。
 素晴らしい。なんて素晴らしい煌めきと継続。いつまでも、いつまでも、この歓びの歌は途切れを知らずにわたしたちの心と心を繋ぎ、恍惚とした感情の一切を導く道しるべとなることであろう。
 わたしは不知不識しらずしらずのうちに感謝の念を抱いていた。新たなる友人との出逢いに。そして歓喜のシンフォニーとの出逢いに。わたしは屹度きっと、今日というこの日を一生忘れない。

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