見出し画像

平成のデザイナー10人て誰だろう?

明日、新元号が発表されるらしい。あんまり関心を持っていなかったけど、発表されたら急に平成が過去のように感じられるのかなとふと思った。(実際に変わるまでにはもう少し時間があるけど。)
そうなるとなんとなく平成の振り返りをしてみたくなるから不思議だ。なんだかんだで僕はこの30年に思い入れがあったらしい。

この間、「平成の建築10選」というのがツイッター上で流れてきた。自分でも何が入るかなーと考えていたのが結構面白かったので平成のデザイナー括りでやってみようと思う。

選んだ基準は次の3点。

1. 平成に主に活躍していること
2. 後々に及ぼした影響の大きさ
3. 個人名を特定できること
 

それぞれ補足しておくと、1は当たり前のようだけど、いわゆる昭和から平成にまたがる大御所や、平成初期の「昭和の残り香」と思えるような存在は省く。
2は個人として決定的な仕事をしているよりも、どれだけ影響力を持ったか、フォロワーを生んだかを優先した。
3は多分にこちらの都合で、特に近年はグループや現象として重要なムーブメントもあるけれど、ちょっとややこしくなるなあと思ったのでシンプルに考える。
他には、なるべくジャンルがバラつくようにと思ったのと、あとこれはランキングではないので順番は特に意味を持たない、というか書きやすい順になるかなと。

では、前置きが長くなったけど10人をまとめて発表します。 

原研哉
ナガオカケンメイ

佐藤卓
佐藤可士和
服部一成
松本玄人
祖父江慎
有山達也
鳥海修
大原大次郎 

……どうだろう?
え?この人が?とか、それよりこっちだろーとかあるかと思うけど、一応それなりに選定理由があるのでまずは聞いてほしい。
あと、作品は名前で検索すればいくらでも出てくるので割愛します。

原研哉
「平成」という括りで考えたとき、この人が外れることはまずないかな、と思う。例えば無印良品のADのように、その感性が一般にまで広く伝播して、デザイン界という垣根を越えて存在感を放っている。
ちなみにgggの原研哉の作品集の帯文を隈研吾が書いていて、なるほどなと思った。
両者とも政治的な振る舞いに長けていて(これは全く皮肉ではない)、大きな構想を実現するための手続きまで含めたデザインをしているように思う。互いに共感するところが多いのだろうと一人で勝手に腑に落ちた。

ナガオカケンメイ
原研哉と同様、今の世の中の価値観に与えた影響は大きい。これまで当たり前にあった工芸品に目を向けたり、地方をブランディングしたりと、既存の価値の再定義を行なってデザインが消費されることに抗っている。
ただ、ナガオカケンメイの成果を表面的になぞって地元の名産や工芸に安易にデザインが介入することは、本来の意図と逆行しているんじゃないかなーと心配になる。一時的な起爆剤にはなっても続かないのは悲しい。

佐藤卓
佐藤可士和

影響力という点から見ていくと、どうしても広告系に偏ってしまうけど、その中から選ぶとこの2人になるのかな。
仕事のスケールやその浸透具合は言わずもがな。メディアへの露出も多くアートディレクターという存在をわかりやすく体現していると思う。
というか自分は広告に関する知識はほんとに乏しいと今再確認した。(この内容の薄さからお察し。)もうちょっと勉強し直さなきゃと思えただけで、この記事は僕にとって価値のあるものとなった。

服部一成
服部一成もどちらかといえば広告寄りという認識だけれど、彼の場合は特に学生(や若手デザイナー)のフォロワーが多いと感じる。キユーピーの空気感のあるビジュアルは新鮮で、かつ模倣しやすいと錯覚させる魔性だった。
この辺りの受容のされ方は、建築におけるSANAAの影響とダブって見える。やわらかく、透明で、軽い。そんな表現が同時代に現れたのはまったく偶然ではない。

松本玄人
90年代、グラフィックにデジタル化の波が押し寄せた際にいち早く乗りこなし、デジタルとデザインを架橋した。
その後もオンデマンド印刷の技術から出版の仕組みを提案したり、音楽やカルチャーの側から仕掛けたりと領域を感じさせない軽やかさがある。

祖父江慎
有山達也

ブック、エディトリアル部門から。
祖父江慎の認知度の高さはブックデザイン界ではほとんど唯一と言っていい。ニッチな分野ではそういったマスとつながれる存在そのものが貴重で(本人が意識していなくとも)出版業界への貢献度は高い。作品(と本人のキャラクター)のクセは強いが、それが単にキワモノとならないのは歴史や文化への敬意を感じられるからだと思う。
有山達也は「ふつうに良い」ものを良しとする空気をエディトリアルの世界にもたらした。ゼロ年代初頭の『ku:nel』やその後の生活系の本なんかは、90年代以前の過剰さを鮮やかに脱ぎ捨てた。それはミニマルで漂白された白ではなく、生成りの自然な白さだった。

鳥海修
1人は書体デザイナーを入れたかった。
近年の文字ブームと呼べるものは、この人に負う部分が大きい。これまで職人の秘術だった文字をつくる仕事をオープンにし、それを僕たちの生活や行為と優しく繋げてくれた。
ところで字游工房がモリサワに吸収されるかたちになったのは結構な事件だと思っている(事実上の写研の吸収だし)。リョービもタイプバンクも取り込んで巨大化するモリサワは今後どうなっていくんだろう。

大原大次郎
10人目はかなり迷ったのだけど、70年代生まれの人を誰か、と思うとこうなった。
文字を主題とした制作は、過去のデザイナーの手つきとは明らかに違っていて、後から見返したときに特異点になっているのかも、という勝手な予想がある。
最近の描き文字の流行とはちゃんと切り離して考えるべき人だと思っている。

改めて……どうだろう?
人物で考える難しさはその人たちそれぞれが時間の幅を持ってるからだという当たり前のことを実感した。加えて情報の密度差がそのまま自分の興味を反映していて頭を抱えた。
最初はこれを建築家でやろうとしたけど、思い入れが強くなりすぎてまったく書けなかった。デザイナーで書けたって事はまだ自分はデザイン界では外様なのかもな、とも感じたのだった。

好みから言えば羽良多平吉北川一成を入れたいけれど、作家性の強さゆえ渋々除外した。なるべく影響されないようにとネットの情報は避けたので、見落としてる人がいたらコメントなどで教えてもらえるとうれしいです。

ありがとうございます。
山でした。


この記事が参加している募集

最後まで読んでいただきありがとうございます!より良い記事にできるよう、サポートは資料購入などに使わせていただきます。