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【西武を語る】 埼玉西武ライオンズ#1 黄金時代と友の会

このシリーズについて

昭和53年生まれで、2022年4月現在43歳の私が、西武グループに対する思いや考察を書き連ねるシリーズをやっていきたいと思う。

私は子供の頃からずっと西武ライオンズのファンである。
ライオンズがあったからこそ、西武グループや西武と名のつくものにも興味が芽生えた。
西武鉄道、プリンスホテル。
今はいずれも西武グループではないが、流通部門として分離したセゾングループの西武百貨店、LOFT、クレディセゾン。
証券不祥事からの最上場。
創業者の堤康次郎、後を継いだ堤義明オーナー、兄でセゾングループの総帥となった堤清二。
西武の歴史は昭和・平成の日本経済の歴史でもあるとさえ思う。
このシリーズでは色々な切り口から西武グループについて語っていく予定だ。
まず1回目は子供の頃の自分と黄金時代の西武ライオンズを振り返ってみたいと思う。

俺は東京生まれ三鷹市育ち、西武・巨人ファンが大体友達

東京都下の三鷹市で過ごした小学生時代。
当時は地上波での野球中継も多く放映されており、子供達の間での野球人気も非常に高かった。
ファミコンの「ファミスタ」や「燃えろ!!プロ野球」といった名作も小学生の時に次々と発売されていた。(まだ「パワプロ」はなかった時代)

小学校では巨人ファンと西武ファンが二大勢力。それ以外はほとんどいない。都下といえど、三鷹市は23区に隣接したれっきとした東京都のまちである。東京の球団といえば、巨人の他にヤクルトスワローズ、そしてまだ後楽園球場(後に東京ドーム)を本拠地とした日本ハムファイターズもあった。
が、巨人と人気を二分していたのは埼玉所沢の西武ライオンズだった。

当時は埼玉西武ライオンズとは名乗っておらず、埼玉色を前面に出すこともなかった。東京西部から所沢は割と近く、みんな東京の球団だと思っていたのではないか。

強いから人気。力こそパワー!

人気の理由はなんといっても圧倒的に強かったことだろう。
森祇晶監督時代のライオンズは、就任9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成していた。こんな圧倒的な強さというのは、近年他のどの球団でもみたことがない。
その象徴は、秋山幸二/清原和博/デストラーデのクリーンアップではないだろうか。トリオ全員が年間30本以上の本塁打というのを3回も達成している。
子供は特に強くないと応援するのも楽しくない。はっきりいって、渋いグラブ捌きより豪快なホームランに魅せられるものである。実は黄金時代のライオンズは辻の渋いグラブ捌きや、平野のそつのないバントなんかも光っていたのだが。

昔のプロ野球はタダで観るもの

さて当時のプロ野球、私の周りでは西武の人気は高かったものの、セリーグ、特に巨人と比べると、まだまだパリーグの人気は低く、チケットも新聞屋から無料でもらえたものである。
当時は新聞屋のお兄さんが直接集金に来るのが普通。購読料を払う時に「野球の券ありますか?」と聞くと、西武球場、神宮球場(ヤクルト)、後楽園(巨人ではなく日ハム)のどれかを無料でくれたものだ。(我が家は朝日新聞だったが、読売新聞なら巨人戦をもらえたのかもしれない)
プロ野球チームは親会社の広告宣伝費で運営しているようなもので、単体で黒字化しなくてもよかったという、景気の良い時代背景を反映していたのだろう。

この太っ腹っぷり、ファンクラブ についても同様だった。
小学生以下が対象の「ライオンズ友の会」。
これは今ではあり得ないほどの優遇っぷりであった。
まず、西武球場の内野自由席・外野自由席はタダ!
今は外野も全て指定席だが、当時は内野も大半が自由席であった。
(前述の新聞屋がくれるチケットも内野自由席だった)
さらに記念品でバッジとレオマークのついたリュックサックとか(毎年変わる)がもらえる。
それで年間2000円程度だったと記憶している。安すぎる!

実家から発掘された友の会バッジと、秋山幸二&渡辺久信の缶バッジ

今こそ大人になったかつての友の会会員がライオンズを救う時

かつての西武は、戦後に次々と安値で購入した不動産の含み益を実質的な担保に資金を借り入れ、さらに不動産に投資するという手法で圧倒的な地位を築き、1987年に堤義明オーナーは世界一の資産家となった。
だが時は経ち、証券不祥事の後堤氏も失脚し、今はコロナの影響で虎の子のプリンスホテルの一部などを売却して資金を確保している状況である。

かつての友の会会員の子供たちは今何をしているだろうか?
黄金時代のように強くなくても、今も西武ライオンズを応援しているだろうか?

私も一時期球場から足が遠のいた時期もあったが、再び観戦に行くようになって「やっぱりライオンズの応援は楽しい!」と改めて思うようになった。
ライオンズがチャンスの時に流れる「チャンステーマ(チャンテ)」というものがあるが、この中の一つに「清原チャンテ」というものがあり、その名の通りかつての清原の応援歌が流れるというものである。これを聞くとグッとくるものがある。黄金時代からライオンズの歴史が続いていると感じる瞬間だ。

友の会の時にはお小遣いの範囲内でグッズも買っていたが、そもそもチケットを買っていないので大したお金は落としてなかったし、当時の西武には子供のお布施など不要だっただろう。
ただ今は違う。苦境にあえぐ西武グループ。ないとは思うがライオンズ身売りだってちらつく。
こんな時こそ大人になって財力のついた我ら「かつての友の会会員」が、全力でプレミアムシートのチケットを買って、球場ではひたすら飲んで食べて、記念グッズもガンガン買っていくべきだと勝手に思っている。
(別途プリンスホテルにもお金を落とすべく活動しているが、それはまた別の回に)

それではまた次回。

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