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Xデザイン学校大阪分校2020年度、修了。

※写真が懐かしい(笑)そして、今日のように寒い日に、ほぼ夏の写真(笑)撮影はTさん。今日もコメントありがとうございました!

今年度はドタバタしすぎて、Xデザイン学校大阪分校の学びの記録を書きとどめることがまったくできていませんでした。

今日、オンラインでの報告&講評会で、いったん今年度の学びはおひらき。昨年度はベーシックコースで学んだんですが、今年はマスターコースとして参加させてもらいました。

実質的には、ベーシックとマスターの混成クラス。普通であれば、私もベーシックの方にアドバイスをということになるのかもですが、幸いにも先輩のマスターの方が同じチームにいてくださったので、私も導かれながら学んでいました。

入り口としてのUXデザイン。

UXデザインという言葉、日本全体を見渡すと、ちょいちょい浸透してきたのかなという印象はあります。ただ、近畿も含めてそれぞれの地域で考えると、まだまだというべきなのかもしれません。何事につけ、ちょっと話を聞きかじっただけで「あー、そんなん昔からやってるわ」とか、「あー、それれってアレやろ、意味ないわ」とか、一知半解というか、無知無解のようなことも少なくないというのも現実の一端としてあるのかも。

ただ、昨年と今年とXデザイン学校を受講させてもらって、UXというのがある種の方便(←ネガティブな意味ではありません)でありつつ、同時にとんでもなく奥行きのある空間への入り口であるということを実感しました。

UXって、まちがいなく使う人にとってのエクスペリエンスであることは確かなのですが、それがほんとに使いたくなる、使うよりほかない提案なのか、そしてそれをいかにして持続可能なしくみたらしめるのか、ここを考え抜き、また実装へと進めていこうとすると、その魔界的な奥深さに慄いてしまいます。それがおもしろいんですけどね。

旧来的な学問の枠組とかは、ひとまず措くとしても、経営という問題を考えるときに、UXを入り口にするというのは、すごく「よい」アプローチやなとあらためて感じています。

サービスデザイン、とは。

いや、こんなもん、そんなすぐに答えの出る話ではないです。しかし、ビジネスという現象をエコシステム的に捉えるとき、いわゆる無形商品としてのサービス / サービシィーズ(Services)ではなく、プロダクツやコンテンツ、サービシィーズを包括する概念としての〈サービス〉を考えるというのは、とんでもなくcriticalに重要であるということは、私のなかで疑いをいれない考え方になりつつあります。

サービスデザインというのは、まさにここにポイントがあると思うのです。少なくとも、私がXデザイン学校で学ばせてもらって、いくらかなりとも実感的に身体化できつつあるように思っている(←まだまだ、「気のせい」レベルですがw)のは、ここです。

Xデザイン学校のことを書いているので、私自身がいつも使っている言葉を使うのはできるだけ避けたいのですが、やはり〈価値の流れ〉というよりほかない事態、それをいかにしてデザインしていくのか、ここにサービスデザインのポイントの一つがあるのではないか、と。ゲームチェンジというのも、この価値の流れを変えることに他ならないわけです。

言葉は時代で変容するので、それほどにこだわるつもりもありません。が、今しばらくはこの概念を軸に考えていってよさそうだと、あらためて感じた2020年の学びでした。

さて、自分(たち)のこと。

今年、Bチームは4名で動いていきました。とある家電メーカーさんのとあるカンパニーからのお題という設定。浅野先生や佐藤先生からの講義のなかで、ゲームチェンジやプラットフォームといった考え方が、かなり強調されていたので、そこを意識しようというのは最初の段階から共有で来ていたように思います。

とはいえ、今日の最終提案に至るまで、すんなりと進んだわけもなく(笑)最初に考えていたアイデアは、少なくとも今回の提案に直接反映されることはありませんでした。この経験は、個人的には大きかったかも。

当然やんって言われるかもですが、いったん設定したアイデアというか、想定を擱いて、見る方向を切り替えるというのは、思った以上に苦しい部分がありました。切り替えるのが嫌とかいうんじゃなくて、パースペクティブを切り替えるというのが、こんなに難しいのか、と。でも、そこに4人で舵を切れたのは、私自身としてはすごく大きな経験でした。

昨年と同様といえばもちろんそうなのですが、その〈見定め〉が必ずしも十分ではないままにインタビューすることの難しさも、あらためて痛感しました。今日の報告&講評のあとのオンライン雑談会でも、浅野先生からお話がありましたが、常日頃から見たり、聞いたり、触れたり、考えたりを重ねておかないと、リサーチの軸がすぐにぶれるし、状況が変わったときに腰の定まらないことになってしまうってのを、今回の学びのなかで何度も感じました。

加えて、オンラインでのチーム作業。昨年も、定期的な学びの場以外で、オンライン使ってワークはしていたので、まったくの初体験ではなかったですが、心持ちとしてリアルでのワークが難しいというのは、ある種のプレッシャーではありました。それでも、経験値の高いNさん(←めっちゃ頼らせていただきました。ありがとうございます)、ベーシックながらそれぞれに知見や経験をお持ちのYさんとMさんとご一緒させてもらって、めちゃくちゃ学びもありましたし、助かりもしました。ほんとにありがとうございます!

今日の最終報告、ちょっと時間切れの感は否めませんでした。ちょっとじゃないかな(笑)

考えが深まっていないところ、せっかくヒントをもらったのに活かしきれてないところ、十分に視野を取り切れていないところ、数えあげればまだまだまだまだです。

でも、チーム4人で呻吟しながら、かつみなさんお忙しいなか、時間を何とかやりくりして議論をして、ひとまず最終提案にまでもっていけたのは、ほんとに嬉しいことでした。もっと考えて、ブラッシュアップできたなって思いつつも、方向性としてズレてなさそうというのが、いちばんの収穫だったように思います。あと、「昨年より進歩したね、合格点ではないけどw」というコメントを頂戴できたのは、やはり嬉しかったです。

学びの生涯化。

そもそも大学教員というのは、基本的に一生考え続ける存在なので、学びが生涯続くのは当然っちゃ当然です。ただ、自分の考え方に固執して、自分で権威づけなんかし始めてしまうと、これは最悪です。ちょっとでも油断すると、そうなりかねません。もちろん、研究会や学会などで報告するというのは、そういった油断を戒める効果もあるわけです。

ただ、経営学の場合、やはり経営実践に触れる機会も必要です。以前の私なら、絶対にこんなこと言わなかったでしょうけど(笑)しかも、学者として触れるのではなく、可能な限り実践に近い位置で触れる必要があるかなと。これは、すべての学者がやらないといけないとは思っていません。

私の場合、経営学史や経営学原理という、きわめて抽象的な概念の世界を取り扱っているだけに、リアルな経営実践と突き合わせて、それらの概念がどこまで実践と切り結べるかを考えることが欠かせないのです。そういう意味でも、このXデザイン学校での学びは、ものすごく大きな意義をもっています。

こういう学びの場が大阪にもあるというのは、ほんとに重要なことだと思っています。2020年、新型コロナウィルスの蔓延で、オフラインでの学びがすごく難しくなってしまいました。Xデザイン学校大阪分校も、急遽オンラインになるケースも何度かありました。むしろ、オフラインで何度かできたこと自体が僥倖だったと言えるかもしれません。

知識を得るという学びは、たしかにオンラインでも可能です。また、グループワークも、一定程度まではオンラインでできる部分もあります。しかし、同時にオフラインで五感的に共有する学びの場も、やはり欠かせません。そこらへんを組み合わせた場を、大阪にも設けたいなって思ったりもします。

これから。

これからのことは、特段何も考えてません(笑)

ただ、私がXデザイン学校で学んでるということが影響しているとも思いませんが、今の3回生あたりから、サービスデザイン(デザイン経営)という領域に本気で関心を持ち始めてくれたゼミのメンバーが出てきました。これは嬉しいことです。もちろん、初心者の私から見てもまだまだ感はあるのですが、それでも私が「こんなんあるで」って言うたことに参加したりしてくれるメンバーが出てきたということそれ自体が、やはり嬉しいし、また大事なことなのです。

同時に、そうであるからこそ、私も学び続けないとあかんなという思いも新たにしています。教員が学び続けてないのに、学生が学び続けるわけがない。

2021年、どんな感じに学んでいくのかは、まったくの未定ですが、しかし学び続けることだけは、仮に細くなったとしても途切れさせないようにしようと思います。

あらためて、佐藤先生、浅野先生、Bチームのみなさん、そしてXデザイン学校大阪分校2020年度のみなさん、ほんとうにありがとうございました!!

またどうぞよろしくお願いいたします!

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