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融合 インテグラル理論

ケン・ウィルバーは『意識のスペクトル』の後にも『アートマン・プロジェクトThe Atman Project: A Transpersonal View of Human Development』や『エデンからUp from Eden: A Transpersonal View of Human Evolution』、『空像としての世界The Holographic Paradigm and Other Paradoxes: Exploring the Leading Edge of Science』、『構造としての神A Sociable God: A Brief Introduction to a Transcendental Sociology』、『眼には眼をEye to Eye: The Quest for the New Paradigm』など精力的に著作を発表し続け、その度に新たな思想的発展を遂げています。
特に1995年に出版された『進化の構造Sex, Ecology, Spirituality』以降では、トランスパーソナル心理学というそれまでの領域を超えた、「統合心理学」という更に包括的な枠組みを用意します。
そして人間の意識の発達はトランスパーソナルな範疇をも超える広がりを持ち、個人のこころの成長とヒトという種としての進化は連携しており、さらにその社会制度や文化の発展とも影響し合っているという視点から、ウィルバーは「インテグラル思想」へと到達しました。

人間にはこころの内部に存在する様々な能力を一つの人格としてまとめあげる「意識の統合機能」がある、とウィルバーはいいます。
意識の進化の中枢にあるこの統合機能は、精神発達の根源を成す認知能力であり、アイデンティティの基盤としての「自己感覚」となります。
人間の「個」はこの統合機能によって作られ、個を越えたトランスパーソナルな領域に達するためには、まずこの個としての機能の成熟が必要です。
個の機能には内面的な領域(こころ)とともに外面的な領域(からだ)があり、内面的な成長は外面的な成長を伴いながら成熟へと至ります。

また「人間」の成長は常に「人の間」において実現するため、「個」の進化と「集合」の進化は一つのプロセスの二つの側面として相補的に展開します。
個人はその属する共同体のレベルによって規定され、共同体もまたそこに属している個人個人のレベルにおいて規定されます。
したがって個人として成長し、進化しようと志向するヒトは、必然的に集団の成長、進化にも取り組まなければならなくなります。

このようにヒトが垂直的な成長を目指す時には、水平的な展開も同時に視野に入れ実践していく必要があり、インテグラル理論ではこの水平的領域として、「内―外」「個―集合」という2つの軸からなる、”I”、“We”、” It”、“Its”という4つの象限(コーナー)を想定しています。
I =Individual Interiorは個の内面領域を表し、個人の認知や知覚、主観的な感覚が含まれます。
We =Collective Interiorは集合の内面領域を表し、共同体の倫理や価値観、文化、慣習として表現されます。
It = Individual Exteriorは個の外面領域を表し、個人のからだとして生物学的に観察されます。
Its = Collective Exteriorは集合の外面領域を表し、共同体の組織形態として社会的に観察されます。
世界のありとあらゆる事象は、これら4コーナーのいずれかに位置付けられ、4つの視点のうちのどれかから認識され得ることになります。

4つの象限はどれも等しく大切ですが、多くのヒトはその考え方や立場により、これらのうちのどれか一つあるいは二つ、三つの視点に偏りがちになります。
17世紀科学革命以降の近代社会では、” It”、“Its”という外面領域に偏った価値観が行き渡っており、ウィルバーはこの状況を「フラットランド」と呼んでいます。
内面的な次元は増殖した外面的次元の中に平たく折りたたまれることとなり、フラットな地図上の位置を書き込むことで世界全体を表そうとしているのが、グローバル化したモダニティ社会の基本的なありようです。
フラットランドでは人間を機械的な「カラダ」として取り扱い、人間を人間足らしめる内面的成長や、人格を醸成する道徳や芸術の存在価値は疎かにされます。
その結果として非人間化したヒューマニズムが生まれ、ヒトはコミュニケーションの主体ではなくなり「情報の対象」となっています。

この近代的フラットランドの「こころの不在」の中で、合理的啓蒙主義による「エゴ」陣営と、自然ロマン主義による「エコ」陣営に別れ、その間に不毛な対立が生じている、とウィルバーは言います。
経験主義科学によってフラットランド化を推し進めるエゴ陣営に対して、エコ陣営による自然という原初的楽園に回帰しようという退行的なロマン主義が、「エコロジー」運動の中核となっていると指摘します。
エコロジー運動の行き詰まりは「樫の木の問題をドングリ状態に戻すことで解決しよう」としたために起こっているのであり、プレモダンとポストモダンの取り違えであるということです。

インテグラル・アプローチでは、世界の4つのコーナーを等価的に認識し、それらを見渡しながら統合的(インテグラル)に成長させていくことの実践が重要となります。
個と集合、内面と外面という領域を相互に関連するものとしてとらえる包括的な視野を、自己の認識構造として確立するために必要となる、自分自身の成長に対する取り組みを重視します。
一見相反するように見える感情や価値観と向き合い、それらを見つめるさらに大きな視点を読み解いていくプロセスは、自分自身が一体となっているものを客体化しながら評価や判断を一旦手放し、そこにあるものを純粋な目で感じ取っていくことです。
集団においてはそれぞれが持つ美意識を認め合い、さらにそれらを含んで超えるような価値観や体験を実現するための仕組みや環境を、創造していくことが必要となるでしょう。
個人の意識とともに、社会の組織も同時に変容させ、成長成熟させていくための全人類共通の視座を、インテグラル理論は提供してくれます。

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