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神武は瓊瓊杵の子?瓊瓊杵は台与の子?

やまとみずほの国に生まれて  第十四話

卑弥呼の死によって大いに塚が作られた。
径は百余歩、殉死した奴婢は百余人。
互いに誅殺し合い、当時千余人を殺した。
また卑弥呼の宗女の台与という歳十三の者を立てて王とすると、
国中がついに平定した。

魏志倭人伝通りに日本神話を読み解いてきましたが、いよいよ最終回です。
アマテラスは力ずくで大国主から国を譲り受けましたが、国中の不満を鎮めるために、託宣を行うシャーマンを登用したのが台与です。実権を握るのはあくまで天照なので、台与は卑弥呼とは呼ばれません。神話は国譲りの後、落ち着いてから天孫降臨です。したがって台与はニニギより前の人物です。

それは「栲幡千千姫命」、日本書紀ではトヨを消されていますが、古事記では「萬幡豊秋津師比売命」、ニニギのかかさんです。徳島市内に式内社では唯一大苫邊尊をまつる宅宮神社があります。大苫邊尊は神世七代の第五世代の神々の一人、阿波は本当に凄いですね。その宅宮神社には平安時代から続く「神踊り」が12もあるのですが、その中の「出雲歌」がヤバ過ぎです。

伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます
こくちは壱字とおたしなむ

魏志倭人伝の13歳と見事に一致します。伊豆毛の国とは伊面津のある国の意味。なぜ伊面津なのかは、「倭面土は伊面津(橘港)金印隠しました」。そして壱宇を今は一宇と書きます。伊の国の中央で伊中だったのがイチウになりました。一宇は剣山の北に源流持つ吉野川支流の貞光川沿いに広がる村でしたが、そこにある神楽岩天岩戸神社天岩戸の舞台にふさわしいです。

一宇に召喚されたのなら天照も一宇にいたのでしょう。そしてニニギは矢野に移りました。八倉比売神社は徳島市国府町矢野にあります。社伝は天照の葬儀を大国主が仕切ったと伝えますが、大国主を屠った天照の葬儀を行うのは不可能です。八倉とは矢野にある倉の矢倉が起源でしょうか。八倉比売から大日靈女命に祭神まで変えたのに、神社名がそのままなのが不思議です。

この後神武東征まで神話は日本昔ばなしの様相となります。ニニギの子は、山幸彦海幸彦、山幸彦は竜宮へ行き豊玉姫と結ばれるのですが、豊玉姫の出産シーンが凄まじくナーガの神そのままです。そして生まれた子が神武の父であるウガヤフキアエズ、「鸕鶿草葺不合尊と瀬織津姫」が神話の大目標だから仕方ないでしょう。ニニギから神武まで仲間づくりのための御伽噺。

次からは魏志倭人伝から開放される空白の150年、腕が鳴る、腕が鳴る。

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