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終戦の日

結局のところ、1945年の敗戦はもとをたどれば明治以来の立憲主義と政党政治の敗北に帰する。

扇動に惑わされ衆愚政治に堕し、外交的失敗を重ねながら勝ち目の薄い戦いに突き進んでしまった。

そして、この末に、もし本土決戦が行われれば日本人の8割は殺害され国土は回復不可能なまでに破壊される手筈であった。

昭和天皇はこの危機から国民を救ってくださった事になる。

しかもこの時、連合軍は昭和天皇の待遇を保証しておらず、処刑される可能性もあった。

にも関わらず、反対する一部軍人に押し込められる危険も乗り越え、政治に関与しない立憲君主の分限を超え、国民の生存のためだけに文字通り身命を投じて下さったのである。

さらにいえば、特攻や南洋、硫黄島、沖縄での悲惨な防衛戦が無ければ敵の進行はさらに早まり、玉音放送の手筈が整う前に本土決戦が始まってしまっていただろう。

1945年のこの日、もし昭和天皇が救ってくれなければ、また数多の将兵が命を投げ出さなければ、日本人は自らの民主政治の失敗の末に絶滅していたのである。

翻って、今日にても、未だに軍部や昭和天皇に責任転嫁している者がいる。

これでは同じ轍を踏む事になるだろう。

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